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切るか、切らないか:写真の部屋

「あなたは仕事以外の時間、どうやって仕事を忘れてリフレッシュしていますか」と聞かれて気づいた。24時間、気持ちが切り離されることがない。

仕事のジャンルに関係しているだろう。つねに目の前にあるものを「撮るべきか否か」と判断している。いい状況なら撮るし、撮らないならなぜ撮らなかったのかの理由も説明できるように考えている。写真はシャッターを押せば写るからこそ「その衝動の明確さ」が大事だと思っている。

写真を撮っている人にもいろいろいて、スタジオでセットアップされた商品やモデルが存在するときだけスイッチが入り、それ以外のときはカメラを触ることすらないというタイプもいる。彼らにしたら現場にいるとき以外はきちんと仕事のスイッチを「オフ」にできているのだろう。

ネットの性質上、何度でも言うけどそこに優劣はない。個人の信念の違いだから。俺のように近所のコンビニに行くときでも仕事用のカメラを持っていくスタイルの人がいれば、そうでない人もいるだけだ。自分の場合はもしも手ぶらで出かけたときに撮りたいものを見つけてしまうのが恐ろしいからだ。

割とデカいよ

「なぜカメラを持たずに出かけてしまったんだろう」と後悔するくらいならいつでも持ち歩いていた方がいい。またコンパクトカメラしか持っていないと、「ああ、ちゃんとしたカメラを持っていれば」と後悔することもある。だから重いけどスタジオで使うような仕事用のカメラを持ち歩く。もちろん一枚も撮らずに帰ってくることも多いんだけど。

仕事という言葉の持つ意味はそれぞれ違う。イベントを撮る人ならイベントがない日にはやることがないはずだからそれでいい。これは仕事の定義ではなく、「どう写真と関わっているか」に近いかもしれない。俺は高校生の時に写真に興味を持った。父に立派なカメラを買ってもらい、自宅の暗室でモノクロのフィルム現像とプリントを毎日していたけれど、今それを写真のキャリアには含めていない。あれは単なる「カメラという機械」を手に入れたことを面白がっていただけで、プリントはそこそこ焼けるようになったが、写真を撮る能力はまるで向上していなかったと思っている。

機械を使えるのとそれを表現に仕立てるのは基準が違っていて、日本語が書ければ小説家になれるわけではないのと同じだ。アートディレクターとして「なぜここにこういう写真が必要なのか」という意味を理解したあとでもう一度写真を撮り始めた。さらに言えばアートディレクターが求める写真の在り方と、写真家が撮る衝動は大きく異なっていることもわかった。だから自分の写真家としてのキャリアはそこから始まっていると思っている。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。