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写真の部屋

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。
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2021年4月の記事一覧

カメラ機材編:写真の部屋

趣味で写真を撮り始めて、それを仕事にしようと思っている人にはいつも同じアドバイスをしていますが、今日はその「機材編」。 大ざっぱに言ってしまうと、自分が撮りたい方法で好きな写真を撮っているだけなら、カメラは一台、レンズは一本で何の問題もありません。フィルムであろうがデジタルであろうが関係ない。好きなモノを選べばいいだけです。 俺はいつもここで「カメラなんてどうでもいい」と書いていますが、仕事場には数十台のカメラと50本を超えるレンズが置いてあるのは矛盾していないでしょうか

時代のトーン:写真の部屋

写っているモチーフのレトロさは置いといて、これを見てください。60年代や70年代にはこういう写真が多かったことを知識としては知っている人も多いはずです。カメラ雑誌には「provoke」などの影響なのか、粒子が荒れていたりブレていたりボケている写真を、アマチュアも量産して投稿していました。 「これじゃないモノを」というのが創造の始まりですから、何かの表現が一般的に浸透してしまうとカウンターがあらわれてくるもので、つねにその繰り返しです。90年代に入ると日本では「薄い写真」

濃い味と薄味:写真の部屋

若い頃からテレビで見ていた人などを撮影することがありますけど、何十年も心から尊敬している方が何人かいます。そのうちの数名は撮影の機会がないまま亡くなってしまいましたが、存命の方はその無念を感じないように撮影をしておきたい。 また、とても尊敬している人と不可抗力で「薄味の撮影」をしてしまった経験が何度かあります。「薄味」とは、ガッツリと撮る、撮られるという環境を作れない状態で撮ることで、濃い味の撮影をする前にそれをしてしまうととても損をしたように感じます。 俺が考える濃い味

知らなければ知らないまま:写真の部屋

写真を撮り始めたうちは、できるだけ同じ方法で撮らないことをおすすめします。簡単に言えば「テーマや方法を決めない」ということです。 教育の弊害のような気もしていますが、勘違いしやすいのは「自分のやり方」を決めなければならない、という強迫観念に囚われすぎだと思うのです。そんなものは30年もやっていれば必ず身につく、というよりも自分のやり方以外で撮れなくなっていきます。 俺もいつも違う撮り方をしようと思っているんですが、張り切って人に見せると「いつものトーンですね」と言われてし

サーキットの画素数:写真の部屋

「カメラの画素数って多い方がいいんですよね」と聞かれることがあるけど、仕事をするとき、ほとんどの場合は2400万画素もあれば困ることはない。これは「300km/h出る方がいいんですよね」と、免許を取って最初に買うクルマを選ぶようなものだ。サーキットかアウトバーンを走るのでなければ必要ない。 A3サイズを350dpiで印刷するときに必要なのは4000X5700pixelで、約2400万pixel。つまりA4の雑誌の見開きはそれで大丈夫だということ。じゃあ、駅貼りのB倍ポスター

Nikon F5:写真の部屋

(2021.6.5 上記のリンクへ) (2021.6.8 上記のリンクへ) 135のフィルムカメラは何台買っただろう。最初に買ったのはCanonのF-1で、A-1、NikonのF4など、それからコンタックスT2、TVS、リコーのGRなどのコンパクト。そこからはハッセルやマミヤなどの中判に興味が移っていったのであまり買わなくなった。 最後にF5を買ったときには「これが究極の完成形だな」と思い、それほど完璧に感じていたカメラだったから、F6が出たときには興味が持てなかった。

必要な機材:写真の部屋

いつもは機材の話をしないんだけど、それは「写真よりカメラのスペック話が好きな人が苦手だから」で、カメラやレンズはもちろん仕事だから気を遣っている。 今日はこれから写真を始めて、仕事とは言わないまでも、それなりの撮影をしていこうと思っている人がどんな機材を揃えればいいかというリストをまとめてみる。 まず一番に考えるのがカメラだと思うんだけど、その前に決めておかなくちゃいけないことがある。何を撮るか、だ。ここが決まっていないとカメラの選択が漠然としてしまう。カメラには大きく分

プリウスとベントレー:写真の部屋

俺の仕事はポートレートが多いんだけど、写真では専門分野がかなり細かく決まっていて、大ざっぱに分けると人物、風景、ブツ撮りがある。その全部を完璧に撮れる人というのはほんの一握り、数人だと言ってもいい。写真というのはシャッターを押せば誰でも撮れるので、その価値を決めるのは「相手」だ。 化粧品広告の例で、モデルの顔が全体に大きく写っているポスターがあったとする。角の方には商品のカットが配置されているだろう。この二枚の写真はほぼすべての場合、別の人が撮っている。人物を撮るのが得意な

上戸彩さんとヒマな友人:写真の部屋(無料記事)

いつも口を甘辛くして言ってますけど、バエる場所で撮る記念写真が悪いとは言ってないんです。もしも目的が「写真の表現」になったとき、それまで撮っていた記念写真の考え方では限界がある、という意味です。 自分の友だちが日曜日にヒマだというので、海岸で歩いているところを撮った。これを「記念写真からグレードが一段階アップしたポートレート」になった、と勘違いすることがあるんですけどそうではありません。それはただの海岸での友人の記念写真です。なぜでしょう。 まず、日曜にヒマだった友だちは

ティッシュな写真:写真の部屋

ネットが登場する前、写真はどう存在していたんでしょうか。 とても単純で、家族や知り合いが撮った記念写真か、広告・雑誌・本などの商業的な写真、写真展に展示されたアートとしての写真だけでした。 つまりマスに広がっていく写真を撮ることができる人は、ほぼ職業写真家しかいなかったわけです。出来事の記録として始まった写真が表現に格上げされてきたのにはやはりネットの影響があったと思います。インスタグラマーという存在は過去にはありませんでした。instagramはTwitterとは違って