見出し画像

上戸彩さんとヒマな友人:写真の部屋(無料記事)

いつも口を甘辛くして言ってますけど、バエる場所で撮る記念写真が悪いとは言ってないんです。もしも目的が「写真の表現」になったとき、それまで撮っていた記念写真の考え方では限界がある、という意味です。

自分の友だちが日曜日にヒマだというので、海岸で歩いているところを撮った。これを「記念写真からグレードが一段階アップしたポートレート」になった、と勘違いすることがあるんですけどそうではありません。それはただの海岸での友人の記念写真です。なぜでしょう。

まず、日曜にヒマだった友だちは「ヒマだった」という理由であなたのカメラの前に立っています。それは写真家のチョイスではなく消去法ですから、この時点でモデルという、ポートレートの中で9割を占める主題に根拠がなくなってしまいます。クルマで1時間以内の海岸に行きます。これも消去法。日本は外周がすべて海岸ですよね。その風景の候補を全部消して自宅から近い場所にいる。そして衣装とヘアメイクはモデルの自前です。

画像2

さてもうひとり、どうしても「上戸彩さんが撮りたい」人がいたとします。撮りたいと思ってもそう簡単にはいきませんから、いろいろ方法を考えます。友人とはつまり「断られない人」なんです。断られない人の中から選ぶのは、好きな人を撮る衝動ではありません。写真には意味や意義なんかなく、「自分がその小さなデジタルの箱の中に収めたいほどあなたが好きだ」という意思の表明です。

まず知り合いに上戸彩さんの知り合いがいないかどうかを調べます。まあいませんよね。いたとしてもその人が上戸彩さんに頼めるかは別問題です。なんとか薄いつながりを得られたとして、今まで自分が撮った写真を彼女に見せられるところまでこぎつけたとします。上戸彩さんがその写真をとても気に入って「自分もこの人に撮ってもらいたい」と思えば何らかのかたちで撮影が可能かもしれません。

撮りたいと撮られたい、はこの瞬間に対等になります。役者やミュージシャンなどはみずから写真家を見つけて指名することがあります。彼らも当然ですが、「自分がよく写りたい」と思っているのです。

画像3

ですからあなたがすべきことはただひとつ。グダグダと意気込みを説明するんじゃなくて、撮りたい人に、いい写真を撮る人だと知ってもらうことです。もし上戸彩さんを素晴らしく撮れたら、それを見たスカーレット・ヨハンソンからオファーがあるかもしれません。これは冗談でもミーハーでも何でもなく、ネットの時代には写真を撮っていれば誰にでも起こり得ることなんです。大事な第一歩さえ間違えていなければ。

友人を撮っていればいつか上戸彩さんに辿り着くと思っているなら、それは大きな間違いと言えます。それは撮られた友人とその友人が内輪の世界でホメてくれるだけですから。俺が「否定しない」と言っているのは、そういうスタイルが好きだと思っている人のことです。周囲の人だけが喜んでくれればいいというのだって立派な写真の趣味ですからね。ただ、そうしながら「スカーレットが撮りたいなあ」と言っているのだったら違うんです。ファーストネームで呼ぶのも10年早いです。

画像3

山形の国際ドキュメンタリー映画祭でポーランドから来た監督、Annaを撮影させてもらいました。彼女は俺が撮った写真を気に入ってくれて「Harper's Bazaar」にデータを渡して自分のインタビューページに載せてくれました。たまたま山形で起こったことですが、これを見たヨーロッパのアートディレクターが俺に仕事のオファーをくれることだってあり得るわけです。

まだ、ないですけどね。ほっとけ。

ここから先は

0字

写真の部屋

¥500 / 月

人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。