ティッシュな写真:写真の部屋
ネットが登場する前、写真はどう存在していたんでしょうか。
とても単純で、家族や知り合いが撮った記念写真か、広告・雑誌・本などの商業的な写真、写真展に展示されたアートとしての写真だけでした。
つまりマスに広がっていく写真を撮ることができる人は、ほぼ職業写真家しかいなかったわけです。出来事の記録として始まった写真が表現に格上げされてきたのにはやはりネットの影響があったと思います。インスタグラマーという存在は過去にはありませんでした。instagramはTwitterとは違ってテキストだけの投稿はできません(ストーリーズはのぞく)。
何かをアップするときには必ずビジュアルを添付する、という強制的なルールが生まれました。カフェで可愛らしいパフェを頼むとそれを撮ってインスタにあげる。いや、インスタにあげるために電車に乗ってその流行のカフェに行ったのかもしれません。本末転倒に思えますがこれは特に珍しくない行動です。
何かを見たから撮る、という受け身から「撮るために行く」という行動に変わったことはとても大きな変化です。わずか20年前くらいなら「週末は写真を撮りにどこかに出かける」なんてことをしていたのは、カメラマンベストを着てカワセミかレースクイーンを撮っているおじさんしかいなかったのです。それが誰でも日常のジャーナリズムとしてどんなことでも写真をソーシャルメディアにアップするようになりました。
昔、ティッシュペーパーは買うモノでしたが、今は街を歩いているとどこでも配っています。もちろんもらったモノだけで生きていくのは難しいでしょうけどティッシュの価値は無料という選択肢ができたことで変化したでしょう。それと同じで写真は写真館で撮るものだという意識も変わりました。民主化というと聞こえはいいんですが、メープルソープとお母さんが作ったお弁当の写真が同じ場所に並ぶという新しい場ができてしまったのです。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。