人に話すという行為 2020.10.11
おはこんにちばんは!今日も元気に脳疲労!杏豆です!
皆さんは人に悩みを話すことはありますか?
これから書く内容は私が体験したことです。
もし、人に意志を伝えるのが苦手な方は是非参考にしてみてください🙌🏻
今まで人に話した事でいい思いをした事があまりなかった。
自分の悩みを話すことで傷つく人
見当違いにも甚だしく叱ってくる人
私の話よりも自分の経験談を話してくる人
ニュアンス的なアドバイスをしてくれる人
どの結果でも自分を責める自分がいて他人に依存してしまわないか?という結論に至り、「他人に話すという行為」をやめてしまった。
でも最近になり、他人に意見を聞いてみな?と口々に言われる理由がやっと分かった。
「自分」という1つの世界で考える事には限界があって、その1つの世界から捻り出される解決策は偏見や偏った思考が生み出した幻想や理想でもあるあやふやで不確かな現実のみだということ。
自ら鎖国したって自分の成長や学びはなにもないということ。
だからこそ音楽やドラマでは「人間1人では生きていけない」というワードを語るということ。
ASDだと診断されてからずっと2.3cm地から浮いた感覚で何をするにもモヤモヤした得体の知れない何かがあって。
どんなにGoogleで調べても自分で考えても分からなくて気持ち悪いし何より周りに迷惑をかけてる自分が大嫌いで迷惑をかけない生き方をしようと決めたのに何故また?と自己嫌悪に陥っていた。
そうやって溜め込むうちに会社に遅刻しかけたり休むことが増えた。
母とも上手くいかず勝手に姉にASDだと話されたり親心からアドバイスをもらってもイライラするばかりでそんな自分が許せなくなった。
でもある日の夜、母に泣きながら電話し自分の気持ちを話すと母から「話を簡潔に纏めると今、頭の中がパニックになっているんだね。考えすぎるタイプだから自分で沢山考えちゃってるんだよ。」と言われ初めて気づいた。
「あっ私は今、頭がパニックになってるんだ。」と
それと同時にASDだと話した時に父から言われた言葉を思い出した。
「自分が発達障害だと聞いてショックから悲観的に捉えているけど発達障害ってことは、確かに人より出来ない事が多いかもしれない。でも得意分野なら常人がどんなに練習しても出来ない事がすんなりと出来るということなんだよ。これは本当にお父さんから見ても羨ましいくらい素晴らしい才能だよ。だから自分の凸凹の凹ばかり見るんじゃなく人より出来る凸はなんだろう?って考えてみようよ。」
それに俺が小さい頃は発達障害って言葉がなかったけどこいつおかしいなぁってやついたよーと補足しながら車の中で話してくれた。
父には沢山傷つけられたけどその言葉に胸がじんわりと暖かくなった。
それと同時に自分の気持ちを人に話す事の大事さを痛感した。
両親に話さなかったら私は2人をこんな風に思えなかったしちゃんと感謝もできなかった。
理解されないと蔑ろな態度をとってしまっていたかもしれない。
他人の事がたまに分からなくなりやすい私だからこそ意見を聞く大切さを感じられた。
そして1番大切なのが、自分の現状を第三者から聞くことでモヤモヤが晴れたこと。
パニックを起こしてさらには考えすぎて、それによって無気力になっているということ。
前々から急にやる気が無くなる事があったのは常に無意識的なストレスを溜めた状態からさらに自分で処理しきれないストレスからだったという事が分かった。
沢山時間は掛かったけれど自分を知れた感動と色々あった人生だけど死ななくてよかったとまた久しぶりに考えられた。
あの時死んでたらASDだということも自分の両親へ誤解したままだったから。
だから、今度からは、自分で考えて分からなくなったら人に話してみようと思う。
日本は特に察する美学が主なので意志を伝える勇気が誰よりも必要。だから、読んでくださった皆さんも意志や考えを伝える勇気を私と一緒に持ちましょう!というお話でした!
参考になったと感じていただけたら是非♡をお願いします!(フォローして頂けると嬉しいです🧸)
ではまた!!
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