『鬼滅の刃』の “柱登場シーン” の表現の違いに気づきましたか? 画面に隠れた演出家の工夫を紹介
こんにちは。アニメ演出家の"おうし"と申します。
今日は“演出”について書いてみます。
いろんなプラットフォームで発信を続けていますが、いつも必ず聞かれることがあります。
それは「演出ってなんですか?」というもの。
この質問をうけた時に僕が用意している答えは...
「文字だけで書かれた脚本をいかに効果的に映像にするかを考え、それを具体的に各スタッフに伝えて、実際に映像にして完成させ、その全てに責任を持つ」...です。
どうでしょう...?
あまりにもフワッとしてて、結局よくわかりませんよね。
そうなんです。いつもこの質問をされるたびに僕はビミョーな顔になり、こう答えたあとの相手のモヤっとした顔も、数えきれないくらい見てきました。
そんな中、先日『鬼滅の刃』を観ていた時にわかりやすい例を発見したので、柱登場シーンの描き方を題材に『“演出”とは何か』『“演出家の工夫”が視聴者の鑑賞体験にどんな違いを生むか』を具体的に説明してみたいと思います。
この記事を読んでいただければ、鬼滅好きのご友人との会話の時にドヤれることを約束します。。たぶん (笑)
「そんなもの知らなくても、じゅうぶん鬼滅もアニメも楽しんでます。間に合ってます。余計なお世話です。」という方もいらっしゃるでしょう。
おっしゃる通り、余計なお世話かもしれません。こんなことを知らなくても “アニメを楽しむ” という点では一切問題ないと思います。
では、こういう考えはどうでしょう。
例えば今回の題材の『鬼滅の刃』が、これだけ多くの方に受け入れられたのには理由があり、その中の一つに『演出家による細かい工夫』があります。
そこを理解することで、『鬼滅の刃』をスルメのように何度も味わうことができるかもしれませんし、ご自身の大好きなアニメ作品を、より一層楽しんでいただけるようになるかもしれません。
前置きが長くなってすみません。
それでは、本題にいきたいと思います。
▼柱登場シーンをおさらい
鬼滅の刃の柱たちの登場シーンは 第21話「隊律違反」のラスト、そして第22話「お館様」の冒頭で計2回描かれます。
両話数とも全く同じ構図のカットが使われているのですが、それに気づいた方はいるでしょうか?
気づいた方、さすがです。
ただ、あえて “全く同じ構図” と書きましたが、実はすこーーーしだけ、違うんです。
その微妙な違いに、演出のエッセンスが詰まっているなぁと感じたので、紹介していきます。
実際の画面を見た方が早いですね。
▼実際の画面を比較
まず21話ラストから。
次に22話冒頭。
見比べてみて、いかがでしょう?
ほぼ、同じです。。。が、ビミョーに違うことに気づいたと思います。
21話のラストの柱たちは、影の面積が大きいですね。逆光の影つけになっています。対して22話の冒頭の柱たちは、逆光ではなく通常の影つけ、いわゆる“順光”で描かれています。
なぜ、影つけを変えたと思いますか?
お時間あれば、少しだけ考えてみてもらってから読み進めていただければと思います。
….答えが出たでしょうか?
では、まいります。
結論からいうと、『カットに求められる条件が違うから』です。
普通に考えると全く同じ素材を使い回した方が、描き変えの手間も作業料金も発生しないので、同じ素材を使った方が楽なんです。
でも、あえて描き分けている。
それは “柱たちの初登場” が作品上、とても重要な意味を持っているという裏返しでもあります。
鬼滅の刃を未見の方に、“柱” がどんな存在かをざっくり説明すると、新撰組でいうところの「何番隊組長」みたいなイメージです。“沖田総司” とか、るろうに剣心に出てくる“斎藤一” に当たります。
つまり、めっっちゃ強い人たちです。
そんなめっちゃ強い人たちの初登場なのですから、大したことなさそうなキャラだと視聴者に思わせてしまったら、演出の負けです。
ここで、あらためてふたつの画像を見比べてください。
どちらの柱が強そうに見えますか?
感性は人それぞれなので、もしかしたら違う方もいるかもしれませんが、ほとんどの方は21話の方(逆光影)を強そうに感じたのではないでしょうか。
登場は両話数で描かれますが、本当の初登場は21話のラストです。
よって、21話の “カットに求められる条件 ”は、『柱をすごく強そうな印象にしつつ、エンディングになだれ込むこと』です。
そのために、逆光にしているのです。
かつ、このカットは捕らえられている炭治郎の主観カットでもあります。直前まで気を失っていて、起こされた直後にたくさんの大人に取り囲まれながらニヤニヤ見下ろされている炭治郎少年の身になって考えてみてください。
...めっちゃ怖くないですか?
そうです。逆光になっているのは、炭治郎(ここでは視聴者)が柱たちに抱く恐怖心・威圧感をより強く感じさせるため、という理由もあります。
対して、22話を見てみましょう。
本編をみていただくとわかりますが、このカットの前に柱たちそれぞれの個性を表すパーツの極端なアップショットが続いています。(宇随は耳飾り、煉獄さんはトサカ、悲鳴嶼(ひめじま)は合掌と数珠..など)
これらのカットに被せて、それぞれ一言ずつセリフがあるのですが、このアップショットの意味は2つあります。
“各キャラクターの紹介” と、極端なアップを続けることにより、“視聴者の「早く柱たちの顔が見たい!」という欲求(ストレス)を高める” ことです。
そこで、視聴者の欲求に応える形でこのカットがこの場所で使われるのです。
なので、22話のカットに求められる条件は 『柱たちを視聴者に紹介すること(しっかり顔を見せる)』です。
仮にこのカットを逆光影にしてしまうと顔が見にくいですよね。そうなると僕たち視聴者のストレスはより一層溜まってしまいます。
こういった理由で、22話の方では影を通常に描き変えているのです。
さらに、、、実はもうひとつの違いがあることに気づいた方、いらっしゃいますか?
▼おまけ もうひとつの違い
再度、画像を見比べてみましょう。
そうです。甘露寺のポーズだけが違うのです。
この理由も考えてみましょう。ヒントはすでに↑で書いた “カットに求められる条件” です。
【21話の条件】:柱たちの威圧感を表現し、強そうなキャラに感じさせる
【22話の条件】:柱たちの顔をしっかり見せてキャラ紹介(個性を出す)
これらの条件でカットを見てみましょう。
ここでちょっとイメージしていただきたいのですが、、
仮に21話の方で22話と同じポーズ(アゴに手を当てて悩んでいるようなポーズ)だと、甘露寺がちょっと弱そうに見えませんか?
対して22話の方のポーズを、仮に21話のポーズ(体の前で手を組んでいるポーズ)にしてみると彼女の個性がちょっとしぼみませんか?(甘露寺は“いわゆる女性らしいキャラ”)
そうなんです。ポーズを入れ替えてしまうと、カットに求められる条件をクリアできなくなるのです。
※もうひとつ、22話は前カットとのポーズ合わせという理由もありますが、それはあくまでテクニカル的なもので、本質は↑であげた “カットに求められる条件をクリアするため” です。
ここまでくると、「原作はどうなってたんだろう?」と気になりますよね。
▼オマケのオマケ 原作の絵は?
原作の絵がどうなっているかというと....
『鬼滅の刃』6巻より
こんな感じです。
どちらかというと、22話よりですが、構図自体が少し違いますね。(炭治郎がフレームに入っているのと、煉獄さんを少しセンターからズラしています)
長くなってきてるので、原作との比較とその深堀りは今回はやめておきます。もしご興味ある方がいれば、スキやコメントいただければ、がんばってみます!
▼まとめ
いかがでしたでしょうか。
意識せずに見ていると、スッと見過ごしてしまうようなシーンですし、動きも全くない止め絵です。
ですが、そんな一見シンプルなカットに対しても、鬼滅の刃の演出家の方は視聴者の皆さんに楽しんでもらうため、いろいろな工夫をしているのです。
今回は鬼滅の刃を取り上げましたが、他の作品でも同様に演出家はさまざまな工夫をしています。
この記事で彼ら演出家の試行錯誤が伝わって、今後アニメを観る際に新しい視点で観賞いただけるようになれば嬉しいです。
(ドヤれるネタになってたでしょうか。。??)
では、まとめます。
演出は視聴者の感情の動きを先読みして、作品を楽しんでもらうために色々工夫している。
工夫する際に軸になる考え方は以下のふたつです。
『そのカットに求められる条件は何か』を明確化する
『カット内容がその条件をクリアしているか』をチェックする
上の条件を考えながらアニメを観る習慣がつけば、もしかしたらアニメ演出家になれる.......かも。
以上です!ここまで読んでいただきありがとうございました!
もし「おもしろーい」と感じたら、スキやフォロー、コメントなどいただけると嬉しいです!
他にもアニメクリエイターの工夫に関しての記事をいくつか書いていますので、もしご興味あればぜひ。
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