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テンテコマイな毎日です。🧡

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最近の記事

何を言っているか分からない正月真っ昼間

年が明けた。 私の頼りにならない記憶では、 お正月はいつも眩いくらいに晴れている。 ちなみに、七夕の日は「うんうん、分かってた。」という具合に雨が降る。 天気を定めるマニュアルでもあるのだろうか。この日とこの日は晴れにしないとダメだよ。でもそれ以外は好きにしていいからね。とまるで放任主義を繕ってあれこれと束縛をしてくるあの人みたいでなんとも言えない。 昼間にワンルームで灯油ストーブを点けて、 文庫本一冊分窓を開けた。 足元を漂う暖かい空気とそれを掻っさらう冷たい風が心地良い

    • 番外編, また、うっかり、素敵な恋愛をしてしまった話。

      一言目は「どこいこうか」といつもと変わらないデートの始まり文句だった。 違うのは、独特の緊張感と寂しさの入り混じった雰囲気くらいで、話す言葉さえいつもと変わらないくだらないことばかりだった。 気を抜けばいつものように腕をつかんでしまうかもしれないし、ふらっと明るい内からホテルにでも押し込んでしまうかもしれない無意識の衝動を抑えながら、ああ、最後だ。という感覚はいっときも頭を離れなかった。 「別れることに反対ではないよ。」と話し出した彼の言葉のひとつひとつが優しかった。その

      • 最終章,梅がこぼれた3月

        この三月は、冗談ではなくほぼ毎日泣きめそをかいていた。いつでも私を包み込んでくれたこの家との別れが切なく、四年間大好きだったアルバイトを辞めることも、素敵な従業員の方々と、可愛くてたまらない後輩との別れが寂しく、素敵なデートをしてくれた男性とも付き合うことはなかったので今生の別れかもしれないですね、と感謝して別れたのがなんとも切ない日々だった。 何年か前の桜の季節、一人で座禅に行った時に住職が教えてくれたことを思い出す。 「花の終わりには色々な表現がありますね。桜は散る、

        • 七,教育実習で私が大人になった話

          大学の教職課程の一番の思い出はやっぱりどんな人も教育実習なんじゃないかと思う。はじめて教壇に立ったドキドキとか、はじめて○○先生と呼ばれてタジタジしちゃう感じとか、多くの人は教育実習を機に教職につくと決心するか、向いていなかったと違う道を選択するかに分かれる。 私は教職の道を迷わず選択した。 教育実習はたまらなく楽しかった。生徒は可愛い、給食は猛烈にうまい、部活は楽しい、毎日スキップで学校に向かった。でもそれは結果としてそう言えるのであって、はじめはものすごく憂鬱だった。

        何を言っているか分からない正月真っ昼間

        • 番外編, また、うっかり、素敵な恋愛をしてしまった話。

        • 最終章,梅がこぼれた3月

        • 七,教育実習で私が大人になった話

          五,泣きながら食べた広島焼き

          あれは一年前、生温い風が吹く三月半ばの夜だった。ソメイヨシノは蕾をぷくっと可愛らしく膨らませ、カンヒザクラは一足早く満開になったと思ったのも束の間、私の寂しさを誘うようにひらひらと儚く花びらを落とし始めた季節だった。 そこは、路地にひっそりとある少し古びた広島焼きのお店で店主は無愛想で怖いと噂だった。この日は、私の恩師であり、第2の母のようであり、友人の一人でもある養護教諭のなおちゃんが最後の大仕事を終えた日だった。高校生の頃、私が養護教諭になると決めたのは彼女に憧れたから

          五,泣きながら食べた広島焼き

          四,涙のユーラシア大陸

          当時付き合っていた彼は、(三,横断歩道の安全地帯で…)で現れた例の私が顔を覗くだけで口元を結んでにやけてしまうような可愛らしい人だった。彼と過ごした二年間は私がはじめて経験した落ち着いた大人な恋愛を象徴する。お互い干渉しすぎることもなく、依存することもなく、何かにつけて感情を乱していた高校生の頃の恋愛はもう遠い昔のように思えた。 彼はあたたかくもつめたく、つめたくもあたたかい人だった。どこが好きだったかと問われると1番にこのわけのわからない人柄が浮かぶ。情に溢れた暑苦しい部

          四,涙のユーラシア大陸

          三,日本の国旗が燃やされていた初めての海外

          一人で異国の空港に降り立った時は胸が高鳴った。ここには誰も知人がいないのだと思うと、たまらない開放感があった。 そこはメイグワンシーな街、台湾だった。 浮かれていた。台湾の人々は日本人に優しいと思い込んでいたのも束の間、たったの一時間で私は反日に出くわしてしまった。目の前で日本の日の丸国旗が燃やされていた。動けなかった。そのわざわざな行為に何の意味があるのか理解できなかった。その場で私が日本人だと知れたなら私も燃やされていたのかもしれない。危機感はあれど立ち尽くしてしまっ

          三,日本の国旗が燃やされていた初めての海外

          二,横断歩道の安全地帯で月9の主人公かと錯覚した話

          あれは、心斎橋筋商店街を抜けた明け方の横断歩道だった。抜けきったお酒が名残惜しいほど私の頭は冴えていた、冷えきった右手は何者かに優しく握られていた。 例の彼氏(一,素っ裸で土下座された話)に振られて迷い込んだこの街は、不埒な街だった。夜になると蛍光色のネオンがいやらしく人々を照らした。飛び交う関西弁はあまりにも欲望にストレートだった。それでも、当時はこの街に、どことなく、心地よい正直さを感じていた。 私はまだ前の素っ裸土下座マンが好きだった。それでも、彼には彼女ができた。

          二,横断歩道の安全地帯で月9の主人公かと錯覚した話

          一,素っ裸で土下座された大晦日

          12月30日の深夜2時だった。窮屈なシングルベッドで寝ているこの男と私は早起きをして京都に行ってすこし贅沢な食事をしてすこし贅沢なホテルに泊まり年越しをする予定だった。19歳だった。お互い少し背伸びをしたデートをしたかった。 高校三年生のはじめ、私は彼に惚れた。ムードメーカーと言うほど明るくはなく、それでも居なくてはならないみんなに好かれる男性だった。優しさと真面目さが取り柄だった。笑った時に垣間見える八重歯が可愛くて爽やかでたまなくドストライクだった。お互いに惹かれあって

          一,素っ裸で土下座された大晦日

          序章,大学生活が終わってしまう前に

          四年前、十八歳の私が描いていた大学生には、私はなれなかった。大学で同じ目標を持った同志ができても、休日に遊ぶ友人は一人もできなかった。 例えばサークルの飲み会というものには、入ると言ったかどうかも怪しい天文部の新入生歓迎会で品のなさと喧しさにげんなりしてそれ以降行っていないし、 何をするにも一緒がいいという女の子たちと一緒にいても、ブランドのお化粧品のお話、近頃のイケメンのお話に見事ついていけず、一日の終わりには中学生の時に走り切ったフルマラソンよりも疲弊していた。 大

          序章,大学生活が終わってしまう前に