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四,涙のユーラシア大陸

当時付き合っていた彼は、(三,横断歩道の安全地帯で…)で現れた例の私が顔を覗くだけで口元を結んでにやけてしまうような可愛らしい人だった。彼と過ごした二年間は私がはじめて経験した落ち着いた大人な恋愛を象徴する。お互い干渉しすぎることもなく、依存することもなく、何かにつけて感情を乱していた高校生の頃の恋愛はもう遠い昔のように思えた。

彼はあたたかくもつめたく、つめたくもあたたかい人だった。どこが好きだったかと問われると1番にこのわけのわからない人柄が浮かぶ。情に溢れた暑苦しい部分もあれば、物事を客観的に眺めて冷めた意見もぽろっとよく口にしていた。そのあたたかさに包み込まれた時もあれば、あの辛辣さに凹む時もあったが、私は彼のそんな正直さが好きだった。

もう一つ、彼は私に「がんばれ」とは言わなかった。採用試験の勉強で泣きながら勉強している最中も、私の周りの人は「がんばれ」「絶対できる」と励ましをくれたが、彼は「がんばってるね」とさりげなく言えてしまうような人だった。どれほど救われたかわからない。好きだという気持ちも大きかったが敬愛に近かった。

好きな人ができるとまっすぐになってしまう癖がある。どうみえているかわからないがこうみえて、意外と従順な性格をしている。彼は地元をこよなく愛していたし、地元から出たことがない人だった。これからも、そこで生きていくと決めている人だった。はじめこそ私もその都道府県の採用試験を受けると簡単に決めてしまったし、中距離だった物理的な距離が近距離になるのを心待ちにしていた。

ある日、大学の先生は私に日本人学校をすすめた。海外で働くことに興味があると言っていたのを覚えてくれていたのだと思う。行く気があるなら推薦するとまで言ってくれていた。惹かれた。それはそれは惹かれた。でも、別れたくはなかった。どっちつかずの状態で話してしまった挙句、いつも明るくおちゃらけた彼が泣いた夜を私はしばらく忘れられなかった。遠距離は無理だと、僕は行って欲しくないと言ってくれた。分かった海外には行かないと約束した夜、一人になった途端に嬉しいのか悔しいのか分からない涙が止まらなかった。推薦をお断りしたのはそれから2週間後だった。

それから一年ほどが経って、採用試験の勉強をしつつ、こっそりと日本人学校の教員募集ページを覗いていた。物心ついた頃からユーラシア大陸のような大きな大陸に惹かれていた。色々な国がつながっていて、色々な人がいて、色々な言語があるそこは私の憧れだった。彼と過ごす日々にも慣れて所々不満が溢れる時期だった。カップルが価値観の違いで別れるのは馬鹿馬鹿しいと思うタイプだった。人の思っていることが一致することの方が少ないと分かっていたにもかかわらず、私たち二人が激しく対極な思考を持っていることが焼き魚の小骨が喉に引っかかった時のように痛くもないのに気になって仕方がないという状況だった。そしてそれは何れにせよ取り除くか、飲み込まねばならないものだった。「好き」という事実はあれど将来性は一向に見えてこない若々しい日々だった。それでも、彼は彼なりに私に寄り添ってくれていたのが苦しくなってきた頃だった。

海外の学校を受けてもいいよ。と言ってくれた夜は唐突に訪れ、行きたいということがバレていたことに心底申し訳なく、情けなかった。

確か、今年だけという約束を自らしてしまったのか、彼が言ったのかは忘れてしまったが、今年だけの受験という約束だった。


このまま交際が進んで、結婚を考える年になり、彼の住む場所で私も永住するのかと思うと、胸騒ぎがした。色々な場所に住んでみたいという欲が沸沸と湧き出しては止まらなくなってしまった。別れを切り出すのは早い方がいいと分かっていながら好きだと言う単純な感情がいつも喉奥で言葉を引き留めていた。

決心したのは採用試験の1ヶ月前だった。

私はやっぱり海外で働いてみたいし、今年がダメなら来年も受けたい。もちろんそれだけの理由で別れ話を切り出している訳ではなく、受け入れられない部分も増えたこともきっかけだと言うような呆れるほど上っ面な言葉を並べたように思う。二年間の二人の時間はそんな話をしたたかだか15分で終わってしまった。初めこそ慣れなかった彼の自慢のスポーツカーの助手席は深く私を沈み込ませてしまっていた、低く耳に響くマフラーの音はうるさいと思っていたにもかかわらず、私の心を何よりも落ち着かせた。彼がどんなことを思っていたのか分からない。悲しかったのか苛立ったのか分からない、それでも最後に求めてしまった握手を握り返す彼の力は、遠慮を知らないほど強かった。それが愛おしく、辛く、寂しかった。

つい先日、三月の半ば、就職先が決まった。日本人学校は受けたすべての国をことごとく落ちた。国内で山ほど講師登録をしたにもかかわらず、一番に電話がかかってきたのは採用試験の後に適当に○をした彼の住む都道府県だった。この一年間はそこで働くことが決まった。悔しさと恥ずかしさの両方があったが、これもまた何かの縁だと思うことにした。

あれから何度か、連絡をくれる。
彼が私に残す言葉は未だに「がんばったね」だった。
当時私を癒したその言葉はあまりにも今の私には虚しく、不甲斐なく、いただけなかった。
いつか、あの大きな大陸で、
憧れた世界地図のなかの一番大きな大陸で、どれだけ愛すべき男性が現れていようと脳裏には彼の言葉が木霊するような気がする。喜びと安堵の涙が零れてしまうような気がして、楽しみで、どことなく、まだまだ名前の付けられない悔しさが込み上げてくるのでたまらない。


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