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何を言っているか分からない正月真っ昼間

年が明けた。
私の頼りにならない記憶では、
お正月はいつも眩いくらいに晴れている。
ちなみに、七夕の日は「うんうん、分かってた。」という具合に雨が降る。
天気を定めるマニュアルでもあるのだろうか。この日とこの日は晴れにしないとダメだよ。でもそれ以外は好きにしていいからね。とまるで放任主義を繕ってあれこれと束縛をしてくるあの人みたいでなんとも言えない。


昼間にワンルームで灯油ストーブを点けて、
文庫本一冊分窓を開けた。
足元を漂う暖かい空気とそれを掻っさらう冷たい風が心地良いけど、どっちつかずな彼女みたいで馬鹿馬鹿しい。


一時間に一本の電車が今日も動いている。
いつの間にか覚えてしまった春風亭小朝さんの扇の的をスピーカーで流す。お湯を注ぐだけのカフェラテに祖母から貰った少し高いチョコレートを一粒入れて溶かした。人生を舐めているのかチョコレートをただ舐めているのか分からなくなるほど甘ったるいのは彼奴みたいで後味が悪い。

今年の抱負を考えていると、いつもだいぶ序盤の方でこんな風に脱線してしまう。これを仏教では煩悩というのだろうか。一時期座禅に通っていたお寺の和尚さんは
「古くから煩悩、煩悩と言いますけれども、余計なことなどないのかもしれません。生きてる今に集中できる人間は煩悩を煩悩として扱わないのではないでしょうか。ぱっと浮かんだ煩悩が今の自分に必要なときだってあるでしょう。煩悩を取り払うとは煩悩を受け入れることなのやもしれませんね」
と凡人にはなんやさっぱりわからんことを並べていた。


難しいことは分からないが、
最近どんな人の言葉も仕草も表情も
「好きにしはったらよろしいやん」
と訴えているように感じる。
和尚さんまで、
「煩悩とかそんなんもう私は知りませんよ。煩悩を煩悩かどうかとか考えんでよろしいやん。もうなんでもええですやん。あんたがそう思うんやったらほなそれでええんとちゃいますか」と言っているように聞こえてなんとなく滑稽。

捻くれてしまったのかもしれないが、
私もそう思う。


例えば気分が乗らないからとマニュアルを無視して
沖縄に雪が降るみたいに、札幌に椰子の木が生えるみたいに
いつか、お正月に雨が降れば面白いよね。


そんな能天気なことを考えながら甘いカフェラテを飲んでいたら、灯油がなくなったストーブがボンっと切れて、那須与一の矢が扇の要を射貫いた。


時ならぬ 花や紅葉をみつるかな 
吉野初瀬のふもとならねと


ああ、こりゃこりゃ。





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