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一,素っ裸で土下座された大晦日


12月30日の深夜2時だった。窮屈なシングルベッドで寝ているこの男と私は早起きをして京都に行ってすこし贅沢な食事をしてすこし贅沢なホテルに泊まり年越しをする予定だった。19歳だった。お互い少し背伸びをしたデートをしたかった。

高校三年生のはじめ、私は彼に惚れた。ムードメーカーと言うほど明るくはなく、それでも居なくてはならないみんなに好かれる男性だった。優しさと真面目さが取り柄だった。笑った時に垣間見える八重歯が可愛くて爽やかでたまなくドストライクだった。お互いに惹かれあって、悪戯に仕掛けた私の罠にハマった振りをして、とんとん拍子で付き合った。

大切にしてくれていた。高校生の頃から恋愛体質だった私も長く一人の人を好きでいたのはこの人がはじめてだった。甘酸っぱい青春と言われて浮かぶのはこの男しかいないのが悔しくてたまらない。

そんな彼が、旅行を控えた12月30日の深夜2時、素っ裸で私に頭を下げた。パンツは履いていたけど、私の脳味噌は彼に辱めを与えたかったのか素っ裸と記憶を上書きした。本当は頭を下げただけだったが土下座をしたことにしてやった。それくらい、脳味噌はパニックだった。

「 元カノを好きになった 」

嫌な予感は12月25日のクリスマスの日に訪れていた。地元の友達で遊びにいくといって女の子がいることを隠していた。もう帰った?と鎌をかけるともう帰ったよ。と嘘をついた。女の勘は百発百中なのではないかとパニックの中、どこかで冷静だった。

クリスマスイブの手紙には「来年も一緒に祝おうね」と人柄溢れる丁寧な字で書かれていたことがなんとも馬鹿馬鹿しい。頭を下げた数時間前には誘わずとも私を抱いていたことがなんともあほらしい。

「 そう、じゃあ別れやんとあかんねえ。 」

私の口から出てくる言葉は、憎たらしさとは反対にどことなく家を出ていく息子を見送るような、物寂しさだけで溢れかえっていた。すがりつけないクソ食らえなプライドもあった、もう何を言ってもダメだと諦めもあった。


大晦日、泣きながら電車に乗った。どんな景色を見ても涙がこみ上げてきた。訳あって15歳で家を出てからはじめて実家で年を越した。年越しは京都でするんだと自慢していた娘が目をパンパンにして帰ってきたものだから、母が察してくれた、温厚な父がどこか苛ついていた、幼なじみが「やっぱりお前は一生独身やな」と大人ぶって朝までお酒を飲んでくれた。

忘れられないほど、素敵な大晦日を過ごした。


その後は、簡潔に言うと少し、乱れた。半年ほどはまだ好きだった。数人と付き合ってはみたもの自分本意な恋愛はうまくはいかなかった。そんな泥ついた闇の中を歩いてる最中でも、彼は別れて2週間で元カノとくっついていた。

ズタボロだったあの頃、

二,横断歩道の安全地帯で月9の主人公かと錯覚した話 が訪れた。


補足しておくと、数年前私に素っ裸で土下座したあの男は、三年後、私に会いたいと言ってきた。やっぱり私がよかったと思ったのか、性欲のせいか、元カノに手を出す性癖からかはわからない。どうだっていい。振られた女がいつまでも自分を好きだと勘違いするような人だと思っていなかった。誠実に付き合っていたのに、別れた女にノコノコ連絡してくるような男であってほしくなかった。これ以上、私の甘酸っぱい青春を汚さないで欲しかった。私の乙女心をあの人は何一つ知らなかったのだと思うと、笑えてきた。あれは清々しい夏の始まりだった。

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