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最終章,梅がこぼれた3月

この三月は、冗談ではなくほぼ毎日泣きめそをかいていた。いつでも私を包み込んでくれたこの家との別れが切なく、四年間大好きだったアルバイトを辞めることも、素敵な従業員の方々と、可愛くてたまらない後輩との別れが寂しく、素敵なデートをしてくれた男性とも付き合うことはなかったので今生の別れかもしれないですね、と感謝して別れたのがなんとも切ない日々だった。

何年か前の桜の季節、一人で座禅に行った時に住職が教えてくれたことを思い出す。

「花の終わりには色々な表現がありますね。桜は散る、梅はこぼれる、菊は舞う、椿は落ちる、と花の種類によって最後の表現は変わるそうです。一つの花が終わってゆくたびに寂しさは募るものです。それでもまた違う美しい花が咲いては終わってゆくを繰り返してゆきます。まるで私たちの人生のようですね、私たちが自然と花を愛でるように、自らの人生というものも愛でてゆきたいものですね。」

日本語の美しさに感化された瞬間だった。

幼いころ見慣れた梅の花が今年はやけに寂しかった。川端康成は別れる前に花の名前を教えておきなさいと女々しいことを言っていたけれど、私は大好きだった人たちに、感謝していた人たちに、梅の花はこぼれるのだとクサイことを伝えた。私が寂しがっていることを知る由もなかっただろうが私は毎度、たまらなく寂しかった。この季節に一緒に梅の花を咲かせてくれたことに猛烈に感謝していた。そしてそれが私なりの精一杯の表現だった。

私にとって三月は大きな節目だった。誰かと別れるたびに、梅の花がこぼれていくのだとロマンチックに悲しんだ。桜の蕾が膨らむ度に切なさを抱えた。それでも住職が言っていたように、桜が花を開かせた。その美しさにこれから始まりまた終わっていく何かを楽しんでいこうと心に決めた。

大袈裟かな。

ただ、それだけ、私のこの四年間は愛おしかったのだから仕方がない。

もう、本当に全てが愛おしかった。
もう私の人生には一切の関わりを持たない私を愛してくれたあの人も、私を傷つけたあいつさえも、私の人生には欠かせない登場人物だった。そして、私の寂しさと虚しさを掻き立て包み込んでくれたあの街が本当に大好きだった。


また、いつか。

それはきっとない。
この四年間のような出来事が今後あっては私が困ってしまうから、これで終わりである。



梅の花はもう全てこぼれた。
美しくって儚い桜の花が楽しみでたまらない。



拙い文章でしたが、読んでくださった方々ありがとうございました。

書き進めていて、色々なことを思い出してクスっと笑ってしまうこともあれば、グズグズ泣いてしまうこともありました。公開してから恥かしい〜〜となったこともありました。でも、実はまだまだ面白可笑しい出来事はあって、例えば、誕生日に見知らぬ年下の男の子とチャンバラをした話とか、病院実習で「お前も死ね」と叫ばれた話とか、彼氏が前科持ちだった話、目の前で人が線路に飛び降りた話、ネパール人に求婚された話、本当に色々、馬鹿馬鹿しい出来事も、考えさせられる経験も山のようにあった楽しい四年間でした。明日の4月から私は社会人になる。大学生活を振り返るのは今日までにしようと決めていたので打ち切りにしてしまうのが内心もったいないと思うほど濃い四年間だった。

楽しかった、寂しい。と何度もしつこいほど言ってしまったけど私はこれから口が裂けても「あの頃は良かった」なんてつまらないことを言うつもりはない。今になって伊坂幸太郎さんの『砂漠』で校長先生が卒業式に言っていた言葉が刺さる。

「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな、そういう人生を送るなよ」


素敵。


よし、お仕事も楽しんじゃお 〜 (軽)


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