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三,日本の国旗が燃やされていた初めての海外

一人で異国の空港に降り立った時は胸が高鳴った。ここには誰も知人がいないのだと思うと、たまらない開放感があった。

そこはメイグワンシーな街、台湾だった。

浮かれていた。台湾の人々は日本人に優しいと思い込んでいたのも束の間、たったの一時間で私は反日に出くわしてしまった。目の前で日本の日の丸国旗が燃やされていた。動けなかった。そのわざわざな行為に何の意味があるのか理解できなかった。その場で私が日本人だと知れたなら私も燃やされていたのかもしれない。危機感はあれど立ち尽くしてしまった私を通りすがりのカップルがここから離れた方がいいよ。というニュアンスで私を想像していた通りの台湾に招いてくれた。旅の始まりは思っていたよりも現実的だった。

私が歩いたこの国は、ものすごくアバウトでキテレツだった。

野良犬かどうかもわからない犬がそこいらで横たわっていた。犬の表情はどことなく腹も満たされ愛に溢れた可愛らしい表情だった。死んでいるのかと思ったがお昼寝をしていただけだったことに安堵した。

可笑しくなって「 うわ、自由〜〜 」と声にでた。

次に目に入ったのは決して綺麗だとは言えないゴチャゴチャとした市場で一見ボロボロの屋台を広げフルーツを売っているじいさんだった。この人たちはお金がないのだろうか、と私はこの市場をどこか遠くからそして少し上から見下げていたのかもしれない。海外に行くと価値観が覆されるとよく言われるが私にとってまさにその瞬間だった。どれだけ自分の店がボロボロに見えようと、乳首が透けてしまうような薄っぺらいTシャツに、「もうそれは多分、地面やで」とつっこんでしまうようなすり減ったサンダルを履いていようと、このじいさんはあんまりにも幸せそうだった。日々の生活に何の不満も疑問も抱いていないような満足感や爽やかさがフルーツのみずみずしさを引き立てているようだった。

お腹が空いて、緊張しながら入った店は日本の定食屋さんのような雰囲気だった。驚くほど、お客さんがいなかったが店の前に立っていたお兄さんに手招きされて入ってしまった。万が一、お金を取られすぎても自己責任であることはもう覚悟済みだった。台湾のソウルフードであるルーローハンを食べたかったが、予習したその文字は見当たらず、写真にあったすごく鮮やかな野菜の下に麺か米かもわからないものが隠れているらしき食べ物を指さした。お冷は当たり前のように計量カップに注がれた。こんなヤケな言葉を使いたくはないが、死ぬほど面白かった。

なにせ数年前の話なので、届いたご飯の名前は一文字も思い出せないがこれがびっくりするほど美味しそうだった。ただ写真とはまったく違っていた。なぜか冷たいお米の上にピンク色のサーモンを敷き詰めてレタス、パプリカ、紫たまねぎ、スナップエンドウ、ライムのスライス、が綺麗に配置されていたのに最後の最後で面倒になったのか、投げつけられたであろう紅生姜がまたらしさを演出していた。美味しかった上にお会計は120台湾ドルだった。

夜は出歩かないでと母にきつく言われていたが、台湾にきて夜市にいかないわけにはいかなかった。さすがにバスに乗って九份に行くほどの度胸はなかったが好奇心には勝てずホテルを抜け出した。士林夜市を歩いた。いけないことをしている緊張感も独特の香辛料の香りと人々の喧しさによって徐々に和らいでいった。道端で一人、小籠包を食べながらビールを飲んだ。日本に置いてきたしがらみがどことなく愛おしくもなったし、このままどこかを旅し続けたいとも思った。私を通り過ぎていく人々の足取りは実に愉快で楽しそうで何時間でも眺めていたかった。

そのほかにも、色々な出来事はあった。サニーヒルズのパイナップルケーキを求めて山道を汗だくで1時間歩いたり、道を教えて欲しいと願えば丁寧に紙に道のりを書いてくれた上に手をつないで途中まで連れて行ってくれたお姉さんもいた、読めもしない絵本を高く買わされたり、日傘を盗まれたこともあった。そんな時も、メイグワンシー、大丈夫なんとかなる精神がいつのまにか宿っていた。

私はこの国が、ものすごく自分にあっているような気がした。それと同時に世界は本当に広いのだと思い知った。色々な国をこの足で歩きたい。その中で一番気に入った場所で死にたいとバカみたいなことを思ってしまったきっかけは間違いなく、

メイグワンシーな街、台湾だった。

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