本当はおかしい日本の学校教育
ネット上に流布している多くの教育関係者が発する情報は正しい。
そして、そこから学ぶことは多い。
私は教育関係者ではないが、勉強になるので、結果として、教育関係者の記事を多く読むことになってしまっている。
他方で、学校教育の実態として、様々なおかしな教育コンテンツが正々堂々とやらかされており、それを推進している教育関係者が教育界隈では出世し主流派になっている。
そして、そのおかしな教育コンテンツを新聞社などのメディアが賞賛している。
1.闘志なき者は去れ!
具体的な問題は、Xで、学校部活研究部(@wu76jgS82zThc8u)さんが多数提供してくれている。下のリンクに関する事柄はほんの一例だ。
何らかの心理的な素養が欠落し又はその程度が低い高校生であっても、学習者であることを鑑みれば、学習の機会を閉ざす文言(「闘志なき者は去れ!」)を標榜することは不当である。
教育者は学習者に対して適切な言葉を選び使用しなければならない。
不思議なことに、このおかしな文言に対する批判的な意見は世間にはあまり流布していないようだ。「闘志なき者は去れ!」とは言葉遊びであって、教育実態ではないので、問題視するほどのことではない、という考えなのだろうか。
しかし、「闘志なき者は去れ!」という文言が、高校生に対する教育として、適切なのか、不適切なのかと問われれば、不適切であるということになる。教員自身が教育技法を謙虚に学び続け、適切な表現に修正すべきだ。
高校生に対してよりも、まず教員に言う。
教育技法を学習せざる者は去れ!
いったん言い始めた独特の言い回しを意固地になって言い続けている事例を次の記事に書きました。
2.海外メディアの反応
おかしな教育コンテンツの事例とそれへの批判として、次の、海外の反応を紹介している記事を挙げることができる。
海外メディアによる日本の部活動への評価:
・負けたら終わりのトーナメント試合の多さ
・応援に専念するだけの部員たち
こんなことは、海外の人達に指摘されるまでもなく、日本の多くの有識者はおかしいと思うのではないだろうか。
おかしいと感じる読者は、下の、「スキ」ボタンを押してください。
上の記事では、海外からの意見という取扱いにしており、日本の当事者である私達の意見ではないかのような取扱いをしている。この時点でおかしい。
3.聖地花園
東大阪市では市役所が加担しています。
東大阪市役所は、東大阪市花園ラグビー場を「聖地花園」であると持ち上げ、高校ラグビーを煽っています。
スポーツ競技は勝利主義です。
勝者は称えられ生き残りますが、敗者は退場します。
部員の数などの資源の豊富さによって、強豪校が有利であるのは自明です。
合理的に考えれば、強豪校でない学校が優勝することは不可能です。多くの参加者は計画的にものごとを考えているとは思えません。
敗者になることが自明であるにも関わらず、勝利を信じることは愚かしいことです。不合格になることがわかっているにも関わらず、東京大学を受験するようなものです。
ここで、2個の、ものの考え方が出てきます。
(1)負けがわかっていても、戦うことは勇敢である。
(2)負けがわかっているのであれば、他のことに時間などの資源を費やす方が合理的である。
経営者に求められる資質はどちらの考え方でしょうか?
これは、学校は何のためにあるのか?という問いでもあります。学校は生徒に知性を授ける機関ですが、教育の場に勝利主義を持ち込むことには知性を感じません。
何故、非合理的な勝負をするのでしょうか?
背後にはラグビー業界がいるのです。生徒は、ゲームを面白くするための駒なのです。
このような教育的意義の無いイベントに対して、東大阪市役所は「聖地花園」と称え崇高性を持たせようとしています。「聖地花園」は、敗者に不都合なシステムを、敗者に内面化させているのです。
ブラック労働に文句を言わず、耐えるように教育しているのです。
自虐を仕向ける教育から脱皮し、主体的な学習者を育てて欲しいです。
そもそも、優勝することに意味はありません。意味の無いことに対して崇高性を持たせようとする「聖地花園」が誤っているのです。
4.体育会系の台頭
何故、おかしいことをおかしいと、日本人自身が主張しないのだろうか。
主張しない結果、公教育においても、正々堂々と、不公平な教育が行われることになっている。その事例として、北海道に関する記事を書きました。
沖縄県では不当な序列があります。
これらの問題の原因は、悪い意味で、多くの教員は真面目で、子どもへの教育に専念し過ぎていることにある。
学校全体の管理運営のあり方に対して関心が低いのだ。
そして、一生懸命努力しているにも関わらず「64秒先生」と揶揄されることになる。64秒で食べれるなんて、すごい!
また、多くの教員が教育に専念しているスキを突いて、体育会系教員が学校運営の主導権を勝ち取ってしまっている。
体育会系の信条は、勝った者勝ち、だ。
彼らには、他者に対して平等とか公平という概念は無い。
他者に勝利することは、スポーツを通じて、当たり前のこととして、精神面で鍛えてある。
東大阪市立日新高校では、ラグビー部に限って優遇し、年間税金137万円を使って、花園近鉄ライナーズから指導者を派遣してもらっている(トップアスリート連携事業)。
体育会系は、子ども中心の教育に専念しているというよりも、体育会系教員自身の自尊心を高めるために教育活動をやっているのだ。
体育会系は、学校教育の主導権を取って、「競技力の向上」を普及させようとする。スポーツの競技力向上が人格形成だと信じ込んでいる。
競技力の向上は勝つことを目的にしている。
この思想に基づき、社会的権力を勝ち取っていくことも何とも思わない。
むしろそれが当然であり、積極的に取りに行くという考え方をしているようだ。
このことを現実化したのが、東大阪市における「ラグビーのまち東大阪」だ。多様な50万人もの市民が住んでいるにも関わらず、ラグビーという1個の競技を市の象徴として盛り上げているのだ。
現状では、体育会系に対する表立った批判はできないようだ。
そこまで、体育会系が学校教育界隈を実効支配している。
5.日本の民主主義教育
日本には、民主主義教育があるのだろうか?
学校で民主主義をじっくりと教えてもらったのだろうか。
むしろ、体育会系が、民主主義教育を阻害している。
救いなのは、昨今、SDGsが教育界隈で取り上げられつつあることだ。
しかし、SDGs教育に対しても、注意深く検証しなければならない。SDGsであるかのように偽装されるかもしれないからだ。学校教育界隈は、詭弁が、正々堂々と、まかり通る世界だ。
東大阪市の公立学校に配付されているテキスト「夢トライ科」では、非言語的メッセージによりラグビーを愛好するように導いている。
花園ラグビー場は年間約1億2千万円もの税金による維持費がかかっているにも関わらず、それへの疑問・批判を抱かないよう教育している。
学校で民主主義を学習する場合、校則のあり方を話し合えば良いのではないだろうか。自分自身がどのような教育環境にいるのかを考えるのは有意義だ。
規則というものは、与えられるものではない。社会問題を認識し、解決を模索する。そして、規則の必要性や妥当性を考える。その学習過程が主権者教育であり、そこには教育的意義がある。
この考え方は、先輩・後輩関係を重んじる(閉じた社会関係を重んじる)体育会系には耐えられないだろう。
文化会系の諸君は、今まで、得意分野への専念という安寧の世界にいた。他者と勝ち負けを競うことや、相手を打ち負かすことをしてこなかったのかもしれない。
でも、不条理により実効支配されてしまっている学校教育の現実を見よう。
江戸時代は平和で、文化が豊かであったかもしれない。しかし、その日本が、真珠湾攻撃をしかけたことを忘れてはいけない。
体育会系は、根本的に、ものの見方・考え方が文化会系とは異なるのだ。
破滅は、今、そこにある学校教育で既に始まっている。
(参考記事)
以上