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礼儀礼節を重んじる教育への疑問と回答 - 東大阪市

ことさら礼儀礼節を重んじている学校があります。

そのような教育方針に対しては
「行動の形や手法を伝えているだけであって、肝心の内容が無いのではないか」
という疑問が出てきます。

このような疑問を感じる人は多いと思います。
そのためであろうけど、この疑問の声は本件の教育者あてに既に届いているようです。
そして、この疑問の声への回答も含めて、礼儀礼節を重んじる教育者は「校長室通信」で高校生向けに教えを示しています。(下の図を参照)

この教えは、礼儀礼節を重んじる教育者は何を考えているのであろうか、という学術的意味も含めて興味深いです。
本件の教育者とは東大阪市立日新高等学校(日新高校)の校長です。




1.校長先生の教え その1

次の画像は、2023年12月2日付けで、礼儀礼節を重んじるようさとしている校長先生がネットに投稿した文書です。

2023年12月2日付け 日新高校 校長室通信



2.校長先生の教え その2

次の画像は、2023年12月19日付けの文書です。

2023年12月19日付け 日新高校 校長室通信



3.校長先生の主訴

校長先生の主な訴えは次のとおりです。

「礼儀・礼節」を重んじるということは、表面的なあいさつや御礼の「形」にこだわっているのではなく、その背景をしっかりと知り、気持ちや思い、心の在り方を重んじているのです。

2023年12月2日付け 日新高校 校長室通信

 

4.私の意見

このような主訴であれば、始めから
相手の背景をしっかり知ろう。心の在り方を重んじよう。」
と表現すれば良いのです。
そして、それを相手に伝える手段として礼があるということです。

読者からは、礼儀礼節の教えに関して
「そんなことは当たり前だから、わざわざ伝えることではない。」
という批判があったようです。
このような批判が出るということは、読者の一部は、校長の説明に対して勘違いをしているということです。
この場合、勘違いを生じさせた表現のあり方にも反省すべき点があるのではないでしょうか。

また、他者からの批判として、次の文言を例示しています。
「そんなつまらないことをわざわざ言うな。」
批判をする場合、「つまらない」などという非論理的な言い方をするわけがありません。批判をする人の意見を正確に聞こうとしないため、悪口を言っているようにしか聞こえないのではないでしょうか。このような聞き取り方こそ、相手の背景をしっかり知る、ということに反しています

読者との意見の隔たりに対して、校長は、
「感覚や感性の違いなので、本当の意味を伝えることは困難」
であるとしています。この考え方は教育の放棄です。

批判する側にも一定程度の考えがあるのです。相手側に「理解して欲しい・聞いて欲しい」という願いがあります。なので、わざわざ批判をしているのです。
相手の批判をじっくり考えてみるとか、表現を変えて伝えてみるとか、読者の理解力に沿ったかたちで、教育者は創意工夫を凝らしてみるべきです。

以上のことから、この校長には次の4点の問題があります。
1.読者に勘違いを生じさせる表現で説明をしている。
2.読者からの批判を正確に理解していない。批判者の背景を知ろうとしない。
3.読者からの批判があっても、そして、意味内容を読み間違え易い表現であるにも関わらず、校長は自身の表現のあり方を修正しようとしない。
4.校長は、読者側の理解力に問題があると考えており、読者の側における認識のあり方を修正することを求めている。

礼儀礼節を重んじる教育のあり方とは、実は、こういうことなのかもしれません。

校長室通信で、
「返事!あいさつ!声!ダッシュ!!」は「人格形成」の要因なので、イベント的な「あいさつ運動」とも違います。
と言いつつ、日新高校では、ノボリを立てて、あいさつ運動っぽく演出しています。

日新高校では、ノボリを立てて、あいさつ運動っぽく演出する

以上

#東大阪市 #日新高校 #礼儀礼節