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チラ見えな私の日々、他人の日々

あした、41歳の誕生日を迎えるので
私の40歳を振り返ってみた。

日記につらつら、この1年の要約を書き出すと、改めてグネグネの道を走り抜けたような一年だったなぁと思う。

40代スタートの大人なプレゼント、自分自身の迷い、家族の心配、身近だったはずの人との距離感、病気と入退院、変化した身体と、再熱したお洒落心、焦りや自己叱咤の沼地と、甘えの解放、人との繋がりが途絶えたり、消えたり、改めて結ばれたり。

障害物競争の、障害物をどれもよけることなく、よけられず、その全部を両脇に胸に抱え、タックルさながらに走っていったような感じ。苦笑

ついでに、少し前の日記も見てみた。
私の今の日記は書き捨て日記で、その書く瞬間に思った事だけを書き捨てるようにしている(過去録にしない)のだけど、そのどこをめくっても、具体的で、感情が濃くて、自分のことだから分かるというのも当たり前なのだが、なんだか普通に読み物としておもしろかった。

と、同時に、これらの事、私の日々は、私しか知らないんだなぁと思うと、とても不思議な気もした。
普通の人の普通の発信が利益にもなる時代に、下世話な視点だが、なんだか勿体ないような気さえした。

でもまた、同じように他人の日々は、私も知らない。みんな知らない。目に見えない、こんな膨大な情報量が、この地上にて(地下でも?)バインボインと世界の人数分だけ動き回っているのだと思うと、すんごいなぁ。
人の少ない風通しの良いところに行き、澄んだ空気を思い切り取り込みたい気持ちに合点がいった。

「人の全てを分かり得る事なんてないのだから、あなたの事も分かり得ない。微々たる一面だけを見てなにか言ってくる人の視線を気にする必要はない」

人からの視点など気にするなとか、自分軸で判断を、などとうたわれることが多くある中で、元々まぁまぁ自分で判断してきているように思っていて、ハーふんふん、って感じだったのだけど、
今回なんか改めて、あぁ本当に、私の日々も、他人の日々も、一部のチラ見え。なんならほぼ見えて無し、だな!とスッキリ思えました。

タップリと重くて騒がしい私の日々を、自分で面白がっていけたらいいのだな。本当の自分、本当のあなたの事なんて知らないけど、チラ見え、チラ見せを軽やかに楽しむ。

ここもそんな楽しみのひとつで、とっ散らかった発信を心のままにやっていけたらと思います。他人の日々も同様に。


コメント、スキ!、なんにも付けないけど読んでくれた方、ありがとうございます^^


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