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The Planet Magazine Wombat

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ライアル・ワトソン博士によるとWombatとは世界で一番役立たずの動物だそうです。20世紀に4冊だけ丸い地球のプラネットマガジンWombatは雑誌として講談社から刊行されました。…
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2019年10月の記事一覧

関曠野『プラトンと資本主義』14

「マルクスが資本主義社会の英雄的反逆者たるプロレタリアートに割り当てた役割は、プラトンが最善最美のポリスの唯一にして最悪の反逆者である子供たちに割り当てた役割と驚くほど似ている。マルクスの予言は外れ、工場制度は結局プロレタリアートを粉砕しただけであると言うことである。
皮肉にも社会学者としてマルクスより慧眼だったのは、プラトンである。子供とは未熟な大人のことでは無い。反対に子供とは、断じて未熟であ

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関曠野『プラトンと資本主義』13

「資本の権威と権力は合意(コンセンサス)による支配を最良の選択とみなす。すなわち、原子化した個人の行為の動機を条件付けることにより自動的に実現される支配の内面化こそ、資本主義に最も適合した支配の様式なのである。しかも市場社会における普段のアノミーの脅威を考慮すれば、支配の内面化の法則は資本主義にとって必然的なものとされ得る。

大人は基本的に官僚人であり、万人が多少ともそうである。彼のその官僚制化

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関曠野『プラトンと資本主義』12

「市場経済が孕む二律背反的状況は、大規模な政治的危機を意味する。
第一の問題は、すでにホッブズの「リヴァイアサン」と言う著作が示唆していたように、市場経済には、それ自体の中から何らかの共同体の政治的構造を発展させるような契機が一切欠けていることにある。しかも市場経済を支配する利潤のための利潤の追求は、政治社会の形成に無能無力であるのみならず、本質的に反社会的なものである以上、共同体内の政治的=集合

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関曠野『プラトンと資本主義』11

「レトリケー(レトリック)の根本原理は、ただ言語だけが存在し、知られ思考されることができ、他者に伝達されうる、と言うテーゼに他ならない。それを哲学者のロゴスに対抗するレトリスムの原理とすることができる。
その第一は「思考の共有」と考えられたコミニュケーションになるものは原理的に不可能な事柄であり、存在しない、と言うことである。すなわち言語は言語について語るのみで、直接我々の思考について語りそれを他

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関曠野『プラトンと資本主義』10

「ソフィストの論争術はギリシア人の競技の文化の知的対応物であるだけでなく、権力の座にある多数者の見解を論争のテストにかけて修正しようとする民主制の精神と一体である。パンタシアとドクサの説は多数者の決定を不断に検証し、より確実なものとすることを民生の義務とする。
さらに人間尺度説は、人間は誰しもパンタシアとドクサにとらわれ、幻影を事実と信じて言葉に振り回される知ったかぶりの愚者であるとみなす点で、喜

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関曠野『プラトンと資本主義』9

「世界ー常にこの今に総体として現前する世界だけが人智の及ばない根拠の上に安らぎ、ひとり己を熟知する真実なのであって、死すべき人間に可能な知は人知の限界について知、真の知は己の外にあることを知っている逆説的な知だけである。
この人知の有限性からして人間の務めは多くのありそうなことから極めてありそうなことを選り抜くことであり、本来不可能な真理の発見ではない。」

「科学の領域においてすら人間はパンタシ

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関曠野『プラトンと資本主義』8

「ホッブス以来の近代西欧の自由主義的政治理論は、政治とは力の応酬を法の下での妥協と合意の追求に転ずることであり、民主制とは万人の合意(コンセンサス)による支配権の行使を理想とする政体のことであると主張してきた。結局この理論は、各人は自己の利害を正確に算定でき、また世界のうちには万人が合意しうる単一の真理が存在していると言う二重に非現実的な仮定に立脚した上で、政治を利害紛争とその最善の調停の問題に還

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関曠野『プラトンと資本主義』7

「ギリシア人は、言葉と行為の分裂と対立と言う近代人の業病を知らなかった。常に具体的な行為の現在に生きる人間の視点から、彼らは世界自体を生起する出来事と考え、彼ら自身の行為をも世界の出来事の1部とみなした。それ故、ここにおいては「自我」とは行為の原因となる「主体」ではなく、行為する個人自身をも含めた世界の出来事の目撃者、普遍的証人であるにすぎない。あらゆる個人は、常に他者と世界と共にあり、彼自身に対

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関曠野『プラトンと資本主義』6

「劇場権力すなわち法ではなく演劇を社会の統制手段とした事は、アテナイ人の聡明さと創意が生んだ前代未聞の産物であった。この創意に満ちた術作によって、民主制は市民たちに最大限自由で対等な権力を授けながら、しかも民主政体にありがちな不安定性、脆弱性、衆愚政治の危険を逃れることができたのである。」

「アリストパネスのとんでもない卑猥で尿臭い冗談と無遠慮にまき散らされた罵詈雑言を上回る権力は、アテナイには

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関曠野『プラトンと資本主義』5

「ホメロスによると、化石化した社会構造は、それが醸成するイデオロギーによって人間を振りまわして己の道具とし、その自動過程の餌食とする。彼はこのことを、人間を幻惑し欺く神々の企み、彼らが人間に吹き込む狂気やよからぬ考えとして表す。迷妄と狂気なしには社会構造の暴力は存在し機能しえないのだ。したがって暴力を克服をするためには、あくまでも自己の判断に頼り、それによって事実を見極めていく個人の登場と成長が必

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関曠野『プラトンと資本主義』4

「構造と序列に対する反逆者たちは、いつでも(何我と汝)の愛における融合を理想とし、構造化された社会を神秘的な愛の共同体に変えようとした。しかし愛は例外的、非日常的な現象である。それは制度を作ることも運営することもできない。しかも愛は必ずしも他者への畏敬を含まず、相互の錯覚と自己欺瞞の上に成立し、容易に憎悪と迫害の動機に変わる。愛の己の無力さゆえに、史上最もラディカルな愛の宗教であったキリスト教から

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関曠野『プラントと資本主義』3

「あらゆる個人は俳優にして観客である。そして誰も自分が何者であるかを知らない。それ故誰も自分の主人ではなく、自分が何を言い、何を考えているのかを自分1人で知ることができない。言語と思考と存在が常に己の内で一なる完結した意味を持つ「主体」ーーそのような「主体」によるモノドラマはどこにも成立したことがない。人間は己の主人でさえない以上、かつて「主体」になるものは事実として存在した事は無い。ただ時間とし

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関曠野『プラトンと資本主義』2

「知そのもの、知のため知は存在しなかった。「知」の実体は言葉に過ぎず、言葉と相関するものである限り一切の人知はパンタシア、人間が十分な根拠もなく自由に構成したものに過ぎない。言葉は一切を、啓示から論争に変える。しかし、だからこそ言葉と言う存在は人間に告げているのである ーー 一切の人知は時間と死に結びつき、世界への敬虔に支えられてしか可能ではないと言うことを、そして語ることは人間を倫理と政治に関わ

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関曠野『プラトンと資本主義』1

関さんの主著。

「ここに、市場/法制/教育をめぐる西欧のロゴスの、狡知な支配の原理が暴露される。果たして、ギリシア文明とは何であり、プラトンとは誰であり、西欧資本主義の興隆と世界制覇の謎はどこにあったのか」