関曠野『プラトンと資本主義』14

「マルクスが資本主義社会の英雄的反逆者たるプロレタリアートに割り当てた役割は、プラトンが最善最美のポリスの唯一にして最悪の反逆者である子供たちに割り当てた役割と驚くほど似ている。マルクスの予言は外れ、工場制度は結局プロレタリアートを粉砕しただけであると言うことである。
皮肉にも社会学者としてマルクスより慧眼だったのは、プラトンである。子供とは未熟な大人のことでは無い。反対に子供とは、断じて未熟であることを欲さず、絶えず変容しながら同一にとどまるこの世界の荘厳な戯れを脅威と賛嘆の眼差しで見守り、その本質と一致することを願って止まない我々の内なる衝動である。子供たちの無邪気な信頼、驚嘆の入り混じった問い、不屈の努力と一途な冒険心に対してのみ世界は開かれている。そして、成長と変化と運動を渇望する人間の内なるピシュス(人知には測りがたい存在の超越的で自足せる力と秩序)の奥深い声は、結局、何者もこれを封ずることはできない。だからこそ今日ますます重みを増しているのはプラトンの予言ーーもはや子供たちがポリスの定める遊戯規則に従わず、これを勝手に変え、自力で遊びを発明する時、最善のポリスにも崩壊の日は間近いであろうと言う、あの予言なのである。」
関曠野『プラトンと資本主義』

この息苦しい世界システムの支配を解体するのは、私たち一人一人のうちにあって、飛び出し、叫び、遊び、踊り出したがっている無邪気で創造的な子供なのだ、なのだ、なのだ。

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