関曠野『プラトンと資本主義』2

「知そのもの、知のため知は存在しなかった。「知」の実体は言葉に過ぎず、言葉と相関するものである限り一切の人知はパンタシア、人間が十分な根拠もなく自由に構成したものに過ぎない。言葉は一切を、啓示から論争に変える。しかし、だからこそ言葉と言う存在は人間に告げているのである ーー 一切の人知は時間と死に結びつき、世界への敬虔に支えられてしか可能ではないと言うことを、そして語ることは人間を倫理と政治に関わる存在とし、彼はありもしないロゴスによってではなく、エトスとパトスから語り出る勇気を学ばねばならないと言うことを」
関曠野『プラトンと資本主義』

最終の章、第12章まで読み進めて、やっと関さんの伝えたいことが明確に理解できてきた。途中、何度も寝ちゃったけど。そしてそれはいまの僕の関心にぴったりんこ。

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