関曠野『プラトンと資本主義』9

「世界ー常にこの今に総体として現前する世界だけが人智の及ばない根拠の上に安らぎ、ひとり己を熟知する真実なのであって、死すべき人間に可能な知は人知の限界について知、真の知は己の外にあることを知っている逆説的な知だけである。
この人知の有限性からして人間の務めは多くのありそうなことから極めてありそうなことを選り抜くことであり、本来不可能な真理の発見ではない。」

「科学の領域においてすら人間はパンタシア(現れ)とドクサ(意見)に付きまとわれ、究極的には非合理な自己決定を逃れ得ない。しかし科学と民主制だけが、学問的真理と全体的正義の名による恣意の合理化を拒否し、自分の決定について、その決定に到達した過程を公明正大に言明し、世論に公開する勇気を持つ。すなわち公の論争において、決定に至った確率計算の過程を引用しつつ、最善を尽くしたことを示し得る。こうしてプロタゴラスの相対性と確立が支配する世界においては、合理性とは見事に力強く語り得ること、他者に堂々と申し開きができることに他ならない。」
関曠野『プラトンと資本主義』

いまの日本に民主制がないことが照らし出される。

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