関曠野『プラトンと資本主義』4

「構造と序列に対する反逆者たちは、いつでも(何我と汝)の愛における融合を理想とし、構造化された社会を神秘的な愛の共同体に変えようとした。しかし愛は例外的、非日常的な現象である。それは制度を作ることも運営することもできない。しかも愛は必ずしも他者への畏敬を含まず、相互の錯覚と自己欺瞞の上に成立し、容易に憎悪と迫害の動機に変わる。愛の己の無力さゆえに、史上最もラディカルな愛の宗教であったキリスト教から、皮肉にも、史上最も完成された官僚機構を備えた巨大な教会が生じたのである。構造に対する反逆者たちに欠如していたのは、ギリシア人の冷徹で現実主義的な英知であった。愛ではなく闘争と他者の異質性の承認こそが、相互性の原理の上に成立し、存続する自由な社会を見出し得たのである。」
関曠野『プラトンと資本主義』

「愛」という言葉を使い、その言葉に自己陶酔してしまう盲目性に気をつけなければならない。
「愛」という言葉は常に愛とは別物であることを自覚し、「愛」あるいは「友愛」という言葉を使うとき、それは常に論争の場に開かれていなければならない。そうでなくなったとき、現実と隔離した独我論的な世界に閉じこもってしまう。それゆえに、実践的な人々は「愛」や「友愛」ということばを、経験に立って胡散臭いものとみなす。

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