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白い雪がスウェーデンの空から舞い降りてあっという間に私の過ごした時間の足跡を消して行きます。


帰国してもまだあの温もりが蘇って
胸を温め微笑みが浮かびます。

私の作品の石っころを、頬に当てて嗚咽した
ウクライナからの避難民のお婆さんは
今頃どうしているかなあ。

温かだった彼女の肩は、
私の腕の中で震えていました。

お父さんにせがんで、
高く泳ぐ魚群を触ってみたいと言った
3歳の女の子

お魚大好き!と 私に駆け寄って、
ありがとうを言ってくれた笑顔の子は、
お魚を思い出してくれているかなあ。

人参が大好きなんです。娘は・・・

そう言って見つめるだけの
年老いたお母さんは今夜、お料理してあげるわね、と。

記帳簿に何か書いてくださる?
と娘さんに言いました。

お母さんは   ごめんなさい   と言って
先に階段を降りたのですが、

彼女は私からペンを取ると、
Superfin と書くとお母さんを呼び止めて

私、書けたよ!      と叫びました。

お母さんは急いで戻ると、
彼女を抱きしめたのです。

よく書けたわ!

お母さんは精神疾患を持った
その子の瞬間の行動に、
どんなにか嬉しかったことでしょう。


誰にも苦悩はあります


勿論、私にも
54年前、私は一人この町でアートの修行をしていました。

逃れるように日本を離れ、
多くのスウェーデンの人々に助けられながら、
今の私があります。

それからずーっと糸の織りなす世界で生きて来ました。


突然、思わぬ招待が同じこの町から来て、
この個展になりました。

日常生活にある手の届くモチーフで、
四季を表現したいと思いました。

アーティストというより
今までたくさん使って来た糸たちを存分に使い、


大好きな
シルクのオーガンジーで風を表現して、

魚は海の汚染を止めて欲しくて
空に泳がせて・・・

私の気ままな、道具たちの出番でした。

気負うことがなく、
面白がって創作した作品でした。

アーティストとしての評価はどうあってもいい、

ただ与えてくださった個展という機会と、
私の人生の折り返しが、

またこの空の下であったことです。

あの時もそこにあった月
あの時も同じように吹いていた風

あの時は言えなかった ありがとうの言葉たち

見ず知らずの来客の人々の心で
温かなよこ糸を織ることができました。

個展の合間に、
手工芸協会付属の工芸学校で
デザインを教えました。


 


伝統工芸の学校ですから、一からの教育。
木工科は裏山から木を切るところから。

織物は数学から。

革工芸科は
豚や牛の毛付きの剥いだばかりの皮を
買ってくるところから。

それぞれの科は伝統的な手法を学ぶのです。

それなのに私のデザイン授業は、
個性を重んじる自由そのものです。



質問はありませんか? と問う私に
ある学生が質問しました。

こんなにアートって自由なのですか?!と

はい、アートは
自分の個性を自由に表現するために
手法を学ぶのです!

そして伝統を繋げるのは、
今を生きるあなた方の手によって

新たな伝統をも加味して、
創りあげられるものだからです。
と伝えました。


もう授業時間は過ぎているのに、
彼らは夢中です。

まだ描きたい、まだ、まだと
寄宿制ですから、
お好きなようにお部屋へ帰ってねと言い残して・・・



ダーラナ地方は
スウェーデンの心と呼ばれ、
丁度、国土の中央にあり、


スウェーデンの人々には、
故郷のようなひとときを過ごせる夏、

そしてその夏には、
何十万人もの人々が訪れる
避暑地でもあったり、

昔から伝わる伝統を
大切にしているところです。

私の個展はそんな夏を過ぎた秋に。

閑散としたレキサンドの町には、
人の姿も見当たらないほど、
ただ高い空がこの上もない美しさでした。



個展が始まると
どこから人々は湧き上がるのだろう
と訪れてくださいました。

多くのアーティストが好んでアトリエを持ち、
静かになった町で、

彼らなりの展示会をしながら、
スローライフな生計をいとなんでいます。


私も夕方、
個展会場を閉めると訪ねて買い物をしたり、
おしゃべりをしながら廻ります。

有名な作家の工房は、
その家すらアートでした。



お互いのアートワークを尊重して、
私の個展も宣伝して下さいました。


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