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社会の全体像を捉えつづける「社会科」の延長で。


小学生の頃から、いちばん好きな教科は「社会科」。

カタカナが多い世界史は少し苦手だったけれど、日本史も現代社会も好きだった。日々、「ひと・もの・かね・情報」の行き来と共にいろんなものごとが動いていくなかで、その理由や意図を小さいながらに考えていたんだと思う。

なぜ、それは起こったのか。これからどういうことが起こりうるのか。大学を決めるときも、世界の動きを把握したくて、なにかの専門分野に特化せずに全体が学べる学部を選んで進学したんだろうな。

当時はきっとそこまで考えていなくて、いくつか学部を見学したのちに、“ここがよさそう” と感じたんだと思う。そして、結果的にもこの選択はよかったです。


こんなことを思ったのは、コルク代表の佐渡島さんのnoteのなかで触れられていた「全体を全体のまま理解する」というお話を目にしたから。

その思考を繰り返している時、僕は常に全体でないと理解できないことがあることを、頭の片隅に置いて、直感を大切にしている。
佐渡島庸平さんのnoteより)

全体像を視野に入れながら、目の前のことに汗をかきたいという気持ちをすこし、書き連ねていこうと思います。

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25歳・社会人3年目に入ったペーペーのわたしが、大きなことを語るのは少し気が引けるのですが、思考やクリエイションには年齢も肩書きも関係ないのかなと。それらが届く範囲と、及ぼす影響に大きな違いがあるだけで、結局のところ、わたしはわたしの手が届く範囲に届けていきたいから。

それが共感を得られるかどうかは、わたしじゃなくて相手が決める。


そんな言い訳のようなことばを前に置かせてもらったうえで、わたしの根底には「世界平和」という大きなテーマがあります、というお話を書いていこうと思います。

「世界平和」なんて書いてしまうと、なかなか堅苦しい感じなのですが、“境目に囚われない社会” になったらいいなと思っていて。

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これまで人々は「境目」をめぐって争いを起こしてきたわけです。

世界で起こっている国境をめぐる戦争、宗教や人種の境界をめぐる戦争、アフリカの水に関する紛争という大きなものから、農業用水をめぐる地域内の争い、地域組織間の口論という小さなものまで。

当たり前といえば当たり前なのですが、「境目」ってすんごい厄介なやつなんだと、小学生のわたしは、TV越しのイラク戦争を目の当たりにしながら考えていました。

もちろん、境目がなくなればなくなるほど無法地帯になり、無秩序な社会になってしまう可能性もあります。なんでもOKだったらいいのにね、ということを主張したいわけではなくて、「境目」があることで生まれる誤解を解消していきたい、というのがあるんだと思います。

だから、知りたい。いろんなものごとの判断材料を増やしていくために。ストレングスファインダーで「学習欲」と「収集心」がトップに来ているのも、多分そういうことだと思います。

新聞記者やカメラ記者を志したのも、結果としてライターという入り口を見つけたのも。


人は、自分が経験したことにしか「身近さ」を感じられないと思うので、いまはいろんな経験が積めるところに身を置かせてもらっています。もっと、いろんなものを「身近」に感じたいし、いろんな視点を知りたい。もう少ししたらまた、分野を変えるか国を変えてみたいです。

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「身近」に感じることで、だれかの行動につながるものを。

例えば、わたしは少しだけ留学していたのと、旅が好きなので「外国」というものがわりかし身近です。外国で暮らす方々が「日本」や「京都」を知っていることで、また、日本のバンドや漫画、アニメを知っていることで会話も弾みますし(反対も同様です)、わたし自身も「ともだち」ができたということでさらに「外国」が身近になっていきました。

ミクロ視点でいえば、商店街の人付き合いがそれに当たります。形骸化してしまった組織(というと失礼にあたるかもしれませんが)のなかで、どういう方法で人となりを知っていただけるのか。

亀岡市内にて、きまぐれ発行している「ウサギとカメ通信」の店主によるリレーコラムはそういった意図で実験的にはじめました。配りに歩くと、結構コラムのところから読み始められる店主がいるので、取り組みとしてはおもしろいなと思っています。

そうそう、はじめて商店街のお店でお会いしたお客さんがうれしそうにコラムを読みながら、「ここの商店街、昔はマグロの解体ショーしていたらしいですよ!」って話してくださったのは今でも忘れられない出来事の1つです。(発行者であることは黙っておきました)

試行錯誤しながら行なっているのでなかなか不足部分もありますが、そういった「つなぎ役」みたいな役割を果たせるとしたら、この通信が今後も続けられる方法を地域の方と考えたいですね。いまは地元の大学生が関わってくれていて、パワーアップしています。

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食や音楽、映画、漫画、観光など、境い目を簡単に越えていけるものってやっぱりいいなぁ。(もちろん、宗教的なむずかしさがあるものもありますが、「人」よりも簡単に国境なんかを越えられる気がします。)

ワールドカップもそうでした。試合後にお互いを讃えあう姿がとても印象的で。フィールドだけじゃなくて、会場だけじゃなくて、TVの前のわたしたちも含めて「チーム」みたいな感覚になるんです。オリンピックもそうですよね。


境い目があることで生まれるたのしさと、無意味な境い目がなくなること。

まずは身近なところから。自分の手が届くところのひとたちがちょっぴりしあわせに暮らせるように。


たとえ、こころのそこから分かりあえなくても、お互いを理解しようとするだけでずっと違うんですよね。そういった判断材料のひとつになり得る「文章」「絵」「写真」を続けられたらいいなと思います。


あと数年ほど手足を動かしたら、また全体像を学ぶのもひとつかな。スイッチがひとつしかないものでして、なかなか不器用なところはありますが、、

いま大事にすべきところをしっかりやっていこう。



先ほど、大学1年生の授業で話してきました。

背筋が伸びてしまう一方ですが・・わたしの話を一生懸命聞きながらメモを取ってくれている学生さんのなにかにつながるとしたら、ということで休日返上です(笑)。振替で休むので問題ないですけどね。

それから、話すために過去をまとめるし、話すことで自分もより深く考えるので、これもいい訓練だと思っています。人前で話すのは相変わらずニガテなようです(笑)。


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