マガジンのカバー画像

doodle note

976
読みたいときに訪れる、自分用の本棚。
運営しているクリエイター

#働く

寝る前のメモ。

浮き足立たないように、自転車に乗って「いつも」を探しに出かけてみた。今のわたしよりも、出てくることばのほうがきっと素直だから。 現在、「日常」をテーマにフォトブックの作成を進めている。もちろん、わたしの日常ではない。けれど、だれかが大切にしている時間を受け取っていくうちに、ふと、自分自身の日々も見直したくなってきて。 わたしはどのくらい、日々のことを大切にできているのだろうか。 そんな風に考えていたときに、ちょうど『小さいままでいる自由』と題された、中村佳太さんの寄稿記

寝る前のメモ。

なんて嬉しい日なのだろう・・! と思えるのは、やっぱり地元の子たちに出会えたから。かわいくて連れて帰りたくなったけれど、「誘拐になるからやめて(笑)」と止められました。 おなじ小学校出身の、中学生と高校生とわたし。そろそろ倍以上の年齢になりつつあるけれど、小学生に戻りたい〜と話す中学生の彼女に「大人も楽しいぞ」って伝えておきました。 嬉しかったと同時に、わたしももっと頑張らないとな、と思ったことがあって。 亀岡が好きだと話す高校生の彼女に「将来地元で働きたい?」と聞いて

きょうのメモ。

そこそこ高ぶってしまった気持ちを、いったん平熱に戻してみる。 こういう時に数字は嘘をつかないな、と思うのは、2020年を迎えてすぐに27歳になるという現実が待っているから。もし、私がいま20歳だったらきっと、あぁ、がんばってるんだね、で済むのだけれど、そこからもう7年が経とうとしている。 そこそこいい年を迎えるにあたって、仕事のノウハウはどのくらい蓄積されているものなのだろうか。その場しのぎでやってしまっていないだろうか。どれだけのことができるようになったのか、正直なとこ

2021年の4月。

ペットボトルに印字されていた「2021年4月」という数字を見て、すこしだけ思考を遠くに飛ばしてみた。 いま、国も地元も2020年に向けて盛り上がっている最中なのだけど、2021年の4月にこのまちは、一体どんな風になっているんだろう。あと2年あまりの間に、なにが変わり、なにが変わらないんだろう。 その頃には、どのくらいAIが活躍してるんだろう。 わたし自身にも同じことを思う。 2021年までは地元にいる予定で、その先についてはいまのところあんまり考えていない。ざっくりと

「社会人」って、どんな人?

3年間働いたからといって、いま、あなたの中にある葛藤が解消されたわけではありません。「劇的に変わる瞬間がやってくるかも!」と将来に期待しているかもしれませんが、そんなものはおとぎ話で、じぶんが働いた分だけ きっちり鏡の向こうから返ってきます。 ただ、断言できるのは、3年後のわたしは いまのあなたの選択に後悔したことは一度もありません。だから、安心して続きを読んでもらえたらと思います。 ––––––––––––––– 「社会人」って、一体なんだろう。 これは、ずっと

GWは、まもなく終わるのだけれど。

いつもとちがうところにある手足や脳みそを使うのって、やっぱり気持ちがいいね。 このGWは、適度に仕事をしながら(気楽な仕事を交えながら)、いつもよりもたっぷり休んだと思う。それでも、自分の知識や経験としては積み重なっていくようなものがある、いい時間を過ごせたんじゃないかな。 旧友に会ったり、芸術に触れたり、知人宅の古民家改修を手伝ったり、サイクリングツアーを実施したり、地元にあるじぶんのルーツを探したり。 あたらしい何かを求めて触角をぐんぐん伸ばしていくような、そんなイ

時代は変わったけれど。

古代より時代を超えて変わらなかったものは、この先もずっと変わらないのだと思う。 そう思うと、『人間』が大切にしたいことはとてもシンプルで、案外身近なものなのかもしれない。人生長くても100年なので(ということはあと74年!)、大切にしたいことを大切にしながら生きていきたいかな。 なにを大切にしたいかは『平成』の時代にたくさん考えてきた。 『働く』と『生きる』がグッと近づきはじめた『平成』の時代。生きることの『多様性』を求めてたくさんの人が声をあげた『平成』の時代。思えば

寝る前のメモ。

どこで、だれと、どんな風に生きていきたいか。 これは決して重いテーマでも、深いテーマでもないのではないかと思う。 こういう言い方をすると語弊があるかもしれないけれど、「わたし」や「となりの誰か」がしあわせに暮らせるように考えることは、ごくごく自然なことなのではないかと思っていて。 こういったことを言語化したことはないかもしれないけれど、多分みんな、あたまの隅っこの方ではきっと考えているはずだから。 わたしの場合は、 【どこで】空が広い。夜は静か。将来的には海や湖の近

西へ東へ。

友達も、家族も、仕事も。好きなものを、好きでいるために【距離】を置くことを大切にしているんだと思う。 本音を話さない、仲のいい友達をつくらない、仕事に力を入れない、という身を引くような距離の置き方ではなくて、【好きなものを好きでいられる距離】をじぶん自身で探していくような、どちらかといえば、こちらから歩み寄る姿勢で。 これは、就活時に「カメラ記者」という職業に就かれている方とお話をしていた中で見つけたことだった。 「撮りたい写真を撮れていますか?」という、今思うとなかな

4度目の4月。

社会人生活4年目がはじまった。 駅に向かう途中、「これでも一応3年働いたことになるんだね」と母に告げると、「うそ、そんなに経ったの?」なんてとぼけて言うものだから、自分自身もわかんなくなる。 これまでのことでやっと、【なにかしている人】という認識をしてもらえるようにはなったと思うので、そこから次のステップには進んでいけるといいな。 わたしを「信用」してもらえる実績をつくること。この人になら任せられる! と少しでも思われるようになること。 そして、それ以降へ向けた種まき

憧れと向きあう。

どうしても会いたいほど憧れの人にまだ出会えていないんだろうな。 尊敬する人やすごいなあと思う人はたくさんいるけれど、そういう人たちと会って話せるわたしじゃないから。 そういう意味では、将来的なじぶんを追い求めて突っ走っている感じと、空回りしている感じは同時にもちあわせているなぁ。まあいいか。こうなったら真っ向勝負。 こうありたいとか、こうなりたいとか、これやりたいとか。わがままなことは承知のうえで、全部やり切りたいんだと思う。 もちろん、どこかで折り合いがついたり、立

「就活」って、いい時間。

みなさんにとって「就活」は、どんな時間だと思いますか or どんな時間でしたか? わたしは数年前、リクルートスーツを着てふつうに就活をしていたうちの1人でした。その結果として、大学卒業とともに「まちづくり」と呼ばれる分野に携わるお仕事とWEBライターをしています。 わたしは、既存の就活では就職先を見つけることはできなかったけれど、それでも就活は「いい時間」だったと思っています。 時々、大学生の方々と話していると「就活」につらくておもしろくないイメージがあることや、なにも

Step by step by step.

「経験する」から「できるようになる」までは、どのくらいの距離があるのだろう。 たしか、3年前のざっくりとしたプランには、27歳までは【下積み】と書いた。とにかく、目の前にやってくるいろんなことを引き受けてみる期間。 間口を広げていると、とにかくいろんな物事がやってきた。こんなのできる? これお願いしてもいい? そっちに行くのでひとまず会える? そういったものをなるべく断らずにいると、見事に次から次へと。 仕事として、趣味として、近い将来への種まきとして、とにかくリベロの

寝る前のメモ。

「もう少し落ち着いたら」と、ここ3,4年で何度口にしただろう。 常に忙しくするよりも雑談をたのしむ余白がほしいし、現場から離れて学びを深める時間も大事にしたいのだけど、この1年間は昨年にも増して忙しかったように思う。もちろん、新しい仕事やプロジェクトに関わりはじめたからそう感じるところもあるのだけれど。 わたし自身もいまが頑張り時なのは心得ているし、その環境にいられることを望んでいる。だからそれでいい。 ただ、なんていえばいいのだろう。やりたい仕事ができて、働きたいよう