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2021年2月の記事一覧

寝る前のメモ。

私は夢でも見ているのだろうか・・・といった具合で、あっという間に2月が終わりを迎えようとしています。手をつけられていないあれこれを終わらせていかないといけないのですが、とにかくあと1日走りきれたら。 と言いつつも、メインは開催前までのサポートなので、はじまってしまえばはじまってしまったな〜という感じです。 もしかしたらアーティストのみなさんはずっと、こんな風に毎日を生きているのかもしれないという状況を垣間見ながら、わたしはやっぱり見たものに感動し続ける側でいたいと思うので

寝る前のメモ。

毎日がすごい勢いで過ぎていって、少しごめんなさいと思うこともありながらなんとか全部を少しずつ前に。1日1つはそれ以外のことも終わらせながら。そんななかで、しばらくぶりに読みたい特集と出会い、ちょこちょこ読み進めています。 その「距離感」を探る作業が、 やってみたら、すごくおもしろかった。 伝わるにしても、誤解されるにしても、 「そんなふうに感じたんだ!」 って、どこかうれしくなったんです。 #02 芸術と大衆とのはざまで。 流石に、自分自身を同じ土俵に持っていくことはでき

寝る前のメモ。

目の前の風景・ものごと・人と向き合うことで、見えてくるものがあるのだと思う。連日、少し大きなテーマで話すぎたからか身体から言葉が離れていくような感覚があったのだけれど(それはそれでおもしろいことなんだけどね)、離れていった言葉たちがこちらに戻ってくるような1日だった。 不慣れなこともたくさんあるけれど、すこしずつみんなで強くなる方法を考えているような感じがして、それが自分たちらしいやり方なのかなと思う。 まだまだ未完成で不完全で・・・という状態ですが、“もっとできるように

寝る前のメモ。

空間(建物〜まちの規模まで)における人の行動をどうデザインできるか?空間(周辺環境)は感情をどう受け止められるか?そういった作用を誘発できる場の構成要素は?幅広い価値観があるなかで、利便性重視・人間側の都合で開発してきたものを自然側に委ねていくことは可能か?感性が育まれるまちって? などなど、本当にたくさんの疑問がポコポコと沸いてきたタイミングで先生にお声がけをいただき、「川とともに暮らす 亀岡2070」では、地域パートナーとして、また、ファシリテーターとして、参加者のみな

寝る前のメモ。

小さなお子さんが石臼に夢中になったり、点てたお抹茶をごくごく飲んでいたり。知っている人もはじめましての人も、あたらしい興味や感覚、そして地元・亀岡と出会えるというのはずっと見たかった風景のひとつです。 ひとりじゃ何もできませんが、一年ほど前に「いいな〜!」と感じた空間に数センチくらいは近づけたかな。こういうことの積み重ねで、いつか本当の空間をつくっていけたらいいなと改めて感じました。 まだまだ学ばないといけないことはたくさんで、手足も動かし足りなくて・・・という状態ではあ

寝る前のメモ。

なにが大切なのか わからないけれども ひとつ確かに言えること わたしここが好き なにが必要なのか 探している途中 ひとつ確かに言えること ここであなたに会えた なにが大切なのか わからないけれども ひとつ確かに言えること わたしここで生きてる うまくいかないこともある 春は遠いかもしれない けれどカーテンを開けて 朝の光を浴びてみよう なにが大切なのか わからないけれども ひとつ確かに言えること わたしここが好き 青谷明日香 / 映画「かめじん」オリジナル楽曲 上

寝る前のメモ。

明日はひさしぶりに、地元で制作した「かめじん」というコミュニティ映画の上映会をさせていただけることになり、はじめて上映会をした日のことをすこし思い出していました。 この日だけは、わたしは “主演をした” という気持ちで凛としていないといけないと心得ている。たとえ、しがない女優志望だと思われたとしても・・!という気合を入れて今夜は眠ろうと思います(笑) 最初の上映会の日に、恥ずかしそうに「写真を撮ってください」と言ってくれた女の子のことを思い出しながら。 毎週末に何か予定

寝る前のメモ。

「・・・そうか!」と何かを思いつくのは、散歩をしているときか、自転車に乗っているときか、お風呂に入っているときが多い。脳みそや神経がほぐれているからかもしれないけれど、肩に力が入っている状態では簡単なことですら思いつけない。 とまあ、前振りは随分大きく出たわけですが、大した発見ではなくて、少しだけ悩ましいと思っていたことについて。 最近は連日、関わる企画についてSNSで投稿をしているわけですが、朝の忙しい時間帯に推敲しながら文章を書けるほどの余裕がなくて、投稿したいけれど

寝る前のメモ。

日々のなかにあるささやかな尊さを伝えたい気持ちはあるけれど、それだけが全てではないし、そこに良さを感じる人ばかりではないことはわかっている。そんなエピソードをどれだけ掻き集められたとしても、悲しいことにおそらくメシは食えない。 ただ、そういう視点をもつことで、どんなまちに行ってもそこそこ楽しみ方がわかってくるという利点があって。スキルと呼べるようなスキルではないけど、映画「めがね」で出てくるような “たそがれる” 術のようなこと。 昨日の通り、タスクを書き出すことで気持ち

寝る前のメモ。

庭からお裾分けをしてもらった蝋梅は、それはそれはいい匂いで、風が吹くたびに部屋を満たし、春がまた一段と近づいていることを教えてくれる。 ずっとあたまの中に抱えていたいくつかのタスクを紙に書き出してみると、案外いけそうな気がして心に余白が生まれた。たったこれだけなのか、なんて言うとあとで後悔するかもしれないけれど(後悔はそもそも先にはしない)、ちゃんとやってみたら案外大丈夫なんじゃないかと思う。 なんでもすぐ仕事にしようとするのか、なんでもすぐ趣味にしようとするのか、どちら

寝る前のメモ。

明日は掃除からはじめて、もとのリズムに戻していこう。このまま生きていけたら、自分のピュアなところだけとまっすぐ向き合っていけるのだろうけれど、ほしいメガネも鞄も、行きたい国もあるなかで、時々こういうせめぎ合いが起こる。 この数ヶ月、ピュアに自分の内側と向き合い、かたちにしていくスキルをもっている(もちろんそれぞれの積み重ねのうえに)方々と行動をともにすることが多く、完全にアイデンティティを見失っている。まずは、最初のつなぎさえできたら、わたしってもう不要なんじゃないか?とい

寝る前のメモ。

1ヶ月前の当たり前は、いつの間にかどこか遠い彼方へ。車で20分の距離にはいるけれど、会うことも、触れることも叶わない。声を聞くことすらできず、彼女の温度を忘れてしまいそうで時々怖くなるのです。 ここのところ数年ほど、生活の一部と化していた宮子との時間がなくなり、はじめの2週間ほどは生活のリズムがわからなくなって、心に穴があいたまま過ごしていました。(物理的には自分の時間が増えているはずなのにねぇ) 日々の生活に危ないシーンが増え、いずれこうなることはわかっていたことだった

寝る前のメモ。

日々、おもしろいと感じていることに対して、真面目にまっすぐでいてもいい環境があるということが、このまちを気に入っている理由なのかもしれない。もちろん、その先には持続的に取り組みをやっていけるだけの技量・お金の巡りは必要なのだけれど、まずは自分たちが「これはきっとおもしろいぞ」と思えることに小さく挑戦できる環境がある。 わたしの場合は、それがたまたま地元だったということで、学生時に京都や大阪、あるいはイギリスでその環境を見つけていたら、今のようにここにはいなかったかもしれない

寝る前のメモ。

自分の言動に対して後悔や苛立ちを感じはじめたら、それはきっと何かのサインだ!ということで、リスクヘッジのために自身の幸福度を高める行動している。ハーゲンダッツを食べたり、一番風呂に入ったり。ちょっとしたことだけど、自分自身の優先順位を下げてしまうと、途端に心が狭くなってしまうので。 連日の慣れない状態にぼちぼち疲れが出ているのか、ずっと改善点ばかりに目が向いてしまう。改善点ばかりを言及すると本当にやっかいな小姑のようで、余裕がなくなると端的に言葉を発してしまい、さらに自分の