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寝る前のメモ。


庭からお裾分けをしてもらった蝋梅は、それはそれはいい匂いで、風が吹くたびに部屋を満たし、春がまた一段と近づいていることを教えてくれる。


ずっとあたまの中に抱えていたいくつかのタスクを紙に書き出してみると、案外いけそうな気がして心に余白が生まれた。たったこれだけなのか、なんて言うとあとで後悔するかもしれないけれど(後悔はそもそも先にはしない)、ちゃんとやってみたら案外大丈夫なんじゃないかと思う。


なんでもすぐ仕事にしようとするのか、なんでもすぐ趣味にしようとするのか、どちらかと聞かれたら後者なのだろうけれど、外から見た誰かは前者だと感じることもあるらしい。趣味というか習慣のようなことについては基本的に無意識なので、自分では平気なつもりだったけれど「休みの日は休んでください」と言われてしまうと(もちろんご好意で言ってくれているのはとても理解している)、自分がちゃんと仕事をできているのかどうかわからなくなって心の奥がキュッとする。

あたまの中で「これは仕事」と仕分けをすること自体が非効率になってしまっていることも含め、大体のことが「やらないといけないこと・やろうと思っていること(ポジティブ)」に分類されていて、そのなかで締め切り順に優先順位が高い。

それは必ずしも会社の仕事とは限らないけれど、基本的には「約8割:①やらないといけないこと・やろうと思っていること(ポジティブ)」「約1割:②やらないといけないこと(ネガティブ)」「約1割:③やりたいこと(個人・①と重なることもある)」というだいたいの配分でサイクルが巡っていて、幸せといえば幸せなのかもしれない。③の時間を1日の中にきちんとつくって、本を読んだりクレイアニメをつくったりできたらもっといい。



と書きつつも、いろいろと揺らぐ瞬間がないわけではないけどね。

やっぱりどこかでずっと孤独で、その孤独さは自分でつくり出していることもわかっていて。線を自分で引いて保つことをしてきたからきっと、今日の自分があるのだけれど、大切だと感じる人の間でさえずっと埋まらない距離がある。ガラス越しに眺めている感覚をそろそろなくしていかないといけないのだろうけれど、カウンターの内側から話すような、壁を隔てたコミュニケーションが安心できるのも事実。

いま生まれているこの感情たちの正体は、オンタイムではわからないと思うので、気ままにいこうと思います。部屋の掃除もできたし、あたまの中もクリアになったし、明日からまた元のモードでがんばるぞ。

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