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復学したらやりたい「薬学部×暮らし=食と農業」について

10日後には大学にまた通い始める。

復学したら、OSCE、CBT、病院実習、薬局実習、卒業研究、就活、卒業試験、国家試験とやることがたくさんで、いかにも「薬学部最終章」といった具合だ。

毎日忙しくて、長期休暇もない、怒涛の2年半になりそう。進級した同期を見て、そんな予感はしている。

去年、夏休みが終わる時はまだこの「薬学部最終章」に専念したいと思えるほどの熱がまだ持てていなかった。どちらかというと、薬学部以外の内容に意識が向いていた。

でも今は、この休学中の1年間で思いつく限りのことはやり切った感覚があり、復学して薬学部の勉強に専念することに何も抵抗がない。むしろ早くまた勉強がしたいくらいのテンションでもある。

薬剤師以外の道を考えたくて休学をした私が、薬学部に戻ってからしたいと思っていることを、記録がてら書いてみる。

私が好きで得意なことは結局「薬学」だった

休学して旅をして、普段当たり前に暮らしていたら出会わなかったような人たちにたくさん出会った。

旅をしてゲストハウスに泊まるたびに語り明かす。そんな時間が好きだった。

そしてずっと「私は将来どんなことがしたいのか」を俯瞰的に考えていた。薬学部=薬剤師という概念は一旦おいておいた。

天職というものは、仕事であることを忘れられるくらい好きなことだけど、人よりも得意で、周りに価値を与えられることだと思っている。

そんな天職を求めて、薬学以外にも興味が湧いたことはとにかく手を出してみた。

でも結局、私が好きで得意なことは「薬学」だと気づいた。新しいスキルをこれから身につけることも可能だが、薬学に打ち込める環境にいられることは、私が思っているよりも特別な環境だと気づいた。

だから残り2年半、薬学部の勉強に打ち込むことに何も抵抗はないし、むしろワクワクしている。

ただし「薬学の知識を活かしたい」とは思うが、それを直接医療のために活かしたいとは思っていない。

薬学は好きだと再認識したけど、「医療への想いがあるわけではない」ことも再認識したのだ。

薬学部×暮らし=食と農業

私にとって「医療」はちょっと遠い存在にまだ感じてしまっている。もしかしたらいつか大事な人が病気にかかるだとか、何かきっかけがあって途端に医療が身近になるかもしれないが、ありがたいことに今のところない。

医療よりもっと人の暮らしに身近なことで薬学を生かしたい。

そう考えた時に、「食と農業」にたどり着いた。結構しっくりきてる。

薬学では、薬(有機化合物)が体内でどのように作用しているかを学ぶ。薬が吸収されてある臓器に分布して、代謝されて排泄する。その流れも勉強する。

この知識はきっと栄養や添加物が体内でどう作用しているかにも活かせるだろう。

食事はみんな毎日とる。日常生活において欠かせないものだ。

そして農業も無くなることはない。

まだ具体的にどう活かせるのか分かってるわけではないが、「食と農業」の分野で薬学の知識を活かしたいと思う。

土壌細菌と腸内細菌

「食と農業」の分野の中でも、腸内細菌と土壌細菌の関係について特に興味がある。

以下は、研究室の教授にメールした内容だ。ここに今の考えが詰まっている。
(ちなみに腸内細菌の免疫機能に関する研究室に配属されることは決まっている。)

この1年間の学びと発見を、研究活動を含む残りの大学生活でも活かしていけたらと思います。特に以下の価値観を大事にしたいと気づきました。

①最先端技術開発よりも、古くから自然発生的に生まれたものと文化(例えば発酵食品や東洋医学など)を引き継ぎたい

②薬学の知識を、医療よりももっと人の暮らしにより身近な「食と農業」に活かしたい。


それに伴い最近はどんな研究テーマがやりたいか空想を膨らましているのですが、例えば、

●地産地消による獲得免疫について:
その土地の土壌細菌が育てた食べ物をとることで、アレルギーや花粉症なども克服してたと聞いたことがあります。綺麗好きすぎる日本人が途上国に行くとよくお腹を壊しますが、それは生まれ育った環境や食べ物との関係があるからだと思います。

●発酵食品と腸内細菌の関係について:
日本は高温多湿で雑菌が繁殖しやすかったことから保存食の文化が多様に発達しました。現在、「発酵食品は体にいい」とはやっていますが、その具体的な関係性について興味があります。

●自然農法、有機農法、慣行農法による土壌細菌の違いと腸内細菌への影響:
自然に近い形での農業もまた近年ブームですが、それが人体にどう影響を与えているのか気になりました。

など土壌細菌と腸内細菌との関係から何か読み解くことができないかと妄想しています。

いろんな土地に足を運んでみて、それぞれの地域の風土によって伝統的な食事や保存食の作り方が異なることを実感しました。

地域性と文化と歴史的背景も考慮しながら文化人類学的に捉えてみたり、地理学/地質学/動物学/植物学など生態系の観点から研究しても面白いかなと思っています。

こんな感じで今は研究テーマを考えている。

まだ具体的なテーマは決まっていないが、実際、発酵食品と免疫機能の関係について研究する可能性が高い。

楽しみで仕方ない。

働くことと暮らすこと

人の暮らしに身近なことで薬学を生かしたい。

さっきから「暮らし」がキーワードだと書いているが、したい暮らしについてもう少し妄想を膨らましてみる。

お金でなんでも買える時代にいる私たちの生活の主役は、いつも間にか「お金」になってしまっている。

便利と効率化のためにお金を払ってサービスを買う。お金さえあれば解決できちゃう。誰だって楽に生きていきたい。

でも便利さを求めるが故に失われてしまったコミュニケーションがたくさんあると気づいた。

コミュニケーションがサービス化して省略されてしまった。

お金があればサービスを利用してなんでも解決できちゃうから、他人と関わる必要がなくなった。都市での生活はこの現象が顕著で、ご近所さんも知らない人ばかりだ。

干渉し合わない距離感が心地よいときもあるが、淡白で味気なさもある。

お金が主役になってしまったから、必然的に働かなくては生きていけなくなってしまった。

お金のために働いて、得たお金でプライベートを過ごす。そのサイクルを繰り返す。働くことはお金のためで、リフレッシュのために暮らす。そんな人もいる。

そんな人たちの生活を否定するつもりは全くないが、お金を主役にしなくてもいい暮らし方と働き方がもっとある気がする。働くことと暮らすことの境界線はもっと曖昧でいい。

働く目的はお金だけではない。

身近な人を大事にすることで、働くことと暮らすことは交わっていく。

私が思い描く理想の暮らし

ちょっと抽象的なことを書いてしまったが、具体的にどんな暮らしがしたいかというとこんな感じだ。

自分の手で農業して、育てたものを食べて、ご近所さんと物々交換しつつ、たまにみんなで一緒にご飯を食べる。地元のおじちゃんと仲良くなって釣りに連れてってもらったり、山菜をとりに山に入ってもいい。

家は3階建てで、3階に住んで、2階はシェアハウスだったりゲストハウスだったりして旅人たちが訪れる。1階でカフェを開いて地元の人たちもおしゃべりしたり、ゆっくり一息をつきにくる。

1,2,3階と分かれてるが境界線は曖昧で、風の人も土の人もふわっと交わる時もある。普段出会わない人とコミュニケーションをとるうちに、ふと自分の日常を見つめなおす。

核家族化した現代で、生活空間と仕事場の境界線を曖昧にしてみて、家族と他人の境界線も曖昧にしてみる。

そんな暮らしができたら、お金だけでは測れない豊かさを感じ取ることができるかもしれない。

この生活空間に「食と農業」で少しスパイスを利かせてみる。

そんな未来をふわっと妄想している。

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