旅するダンサーえみぞう
旅を始めて一年。やりたいことを探してたあの頃に自分に伝えたいこと
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旅を始めて一年。やりたいことを探してたあの頃に自分に伝えたいこと

旅するダンサーえみぞう

旅を始めて1年。嬉しいことに、人生がガラッと変わってしまった。

えみぞうというあだ名も、旅するダンサーという肩書きも、ここ半年で名乗り始めたもので、実はまだぺーぺーの「旅するダンサーえみぞう」なのだ。

古くからの友達からすると、別人になりすぎて、あいつどうした!?ともなってるだろう。そうに違いない。なんなら私もびっくりしている。

そしてここ半年ほどで出会った方からすると、休学して旅してる特別な大学生に見えるかもしれない。

でも、元々はそんなんじゃなかった。特別ぶってる部分もあるかもしれない。

2021年6月24日。

人生最後の夏休みだと思って、ガムシャラに始めた旅。

この夏の旅をきっかけに、私の住む世界はガラッと変わった。

住む場所も変わったし、一緒にいる人も変わったし、価値観も変わった。

この1年を自分の言葉でゆっくりと振り返ってみようと思う。

6月24日:一人旅の始まりと終わり

旅を始めたのは去年の夏、2021年6月24日。あの日の緊張感は今でも忘れられない。

去年の夏は、人生最後の長期休暇になるはずだった。4年の夏が終わったら研究室が始まるので長期休暇は取れても1,2週間。

長期休暇だからこそできることってなんだろう。そう考えて思いついたのが「」だった。

これまでの長期休暇は部活動で忙しかったし、周りも同じように忙しい人ばかりだったので大学生活であまり遠出はしていなかった。

だからこの夏は旅をしよう!そう思いついた私は情報収集を始め、Living Anywhere Commons(以下、LACと呼ぶ)というサブスクと出会う。

どうやら、おもしろい社会人が暮らしているみたいだった。どんな人がいるのかも分からないが、この夏を無駄にしたくないという思いで東京を飛び出した。

初めて旅した場所はLAC下田だった。

東京から電車で5時間くらいで行ける場所にあって、拠点も駅から近いのでちょうどいいと思った。

下田は初めて行く場所だったので何があるのか全く分からなかったし、初めて行くLACも得体の知れないものだった。

この旅がもしつまらなかったらすぐ帰ろう。そう思ってた。

伊豆急下田駅まで向かう電車の中、初めての一人旅にソワソワした。車窓から見えた、海風で色褪せた家々と、山と海のとても綺麗だった。不思議な気分だった。

初めて乗せたストーリー

この気持ちを誰かにも共有したくて、「たびぼっち」という名前でInstagramアカウントを作った。当初プロフィールには「東京生まれ東京育ち。実家暮らしの甘えん坊一人旅始めました」と書いていた。

旅先でずっと1人っきりになることも覚悟していた。

緊張しながらLAC伊豆下田と書いてある宿の扉を開くと、コミュニティーマネージャーの方が優しく案内してくれた。

そして本当にたまたま、到着したその日の夜、屋上でBBQする予定だったらしく混ぜてもらった。1人でご飯を食べるかもしれないと思ってたが、運が味方をしてくれた。

屋上から見えた景色は特別だった。夕暮れ時の空の色、川沿いにずらっと並ぶ船、すぐ近くの寝姿山の不気味さ。なんとも形容しがたい景色を今でも覚えている。

旅初日。BBQした屋上から見えた景色

もしいつかテレビに出て「あなたにとってのアナザースカイはどこですか」と聞かれたら、間違いなく「LAC伊豆下田の屋上」と答えるだろう。

旅初日、屋上でBBQしながらそこに住む人たちと自己紹介した。初めての場所で緊張しながらも、みんなのフレンドリーさに助けられ、ちょっとずつ自分が薬学部であることや旅を始めた理由、この滞在期間中何も予定がないことを伝えた。

せっかく下田に来たからには楽しんでもらいたい!とウェルカム精神の強い下田のみんなに、明日から一緒にいろんなところに行こうと誘ってもらえた。

そうやって一人旅は、初日にして終わりを告げた。

嬉しかった。

6月の終わり:私は薬学部。将来やりたいことは不明。

この10日間は本当に濃かった。毎日が新鮮だった。

LACには、いつも新しい人が来て賑わっていた。LAC下田は、ゲストハウスみたいな場所で、人の出入りの激しいシェアハウスみたいなものでもある。

本当にいろんな人に出会った。

下田に移住した人や、下田が好きで企業した人、新卒フリーランス、ワーケーション中のプログラマー、LACを運用している方、就活が終わったばかりの大学生、下田に長く住むみんなのお父さん、めちゃめちゃ日本飛び回ってる人。

全員は紹介し切れないし、一人一人の人生も濃すぎてどう紹介したらいいかも迷う。

毎日いろんな人と「はじめまして」と自己紹介をする。その度に自分の中で引っかかっていたものがあった。

自己紹介で、私は薬学部ですと伝えると、みんな口を揃えて「将来は薬剤師になりたいんだね」と言った。私に合わせて、薬学や医療業界の話などを広げてくれることも多かった。

薬学部=薬剤師

そうなるのは当たり前だし、それを前提に話が進むのも何も不思議なことではない。でも、私はそれがどうしても受け入れられなかった。自分が本当に薬剤師になりたいのか正直分からなかったのだ。

なんだろう。「薬学部」というのはあくまでも私の中のごく一部の話なのに、それだけで自分の将来がパッと決められてしまう感じ。

違和感がどうしても拭えなかった。「薬学部」という肩書きが、自分らしさとはちょっとずれていたのかも知れない。

薬学部だけど、将来薬剤師になるかは分からない。

そう伝えると、もったいないと言われることも少なくなかった。親にお金出してもらってるのに。せっかく安定してる仕事なのに。資格がないと働けない仕事なのに。

そんなの自分が一番わかってた。

ただ、薬剤師になりたいかも分からないが、だからと言って特別他にやりたいことがあるわけでもなかった。だから正直、自己紹介するのがつらかった。自信がなかった。

でも、そんな自分の不安と焦りとモヤモヤに向き合ってくれる人もいっぱいいた。というか、ほとんどそうだった。

LAC下田には、自分のやりたいことを探して、仕事を作って道を切り開いている、かっこいい大人がいっぱいいた。そのみんなも似た悩みを抱えていたのかも知れない。

自分は何者か。何がしたいのか。

そんな問いを持ちつつ、LAC下田でみんなとたくさん遊んでたくさん語った。

一緒に遊んで語った仲間とは、その後も一緒に旅をするようになり、1年経った今でもかけがえのない友達だ。

LAC下田には、「おかえり」「ただいま」「いってらっしゃい」と言い合う文化があった。家族みたいで嬉しかった。

LAC下田最終日。やっと慣れてきたタイミングでのお別れがすごく寂しくて、帰りの電車で泣いた。「おかえり」が聞きたくなった。本当に素敵な場所だった。

実家以外でもホームシックはあるみたい

もしも初めて旅した場所が下田じゃなかったら、今の自分は絶対にいない。原点と言える場所だった。

7,8月:休学する?しない?がむしゃらに飛び回った夏休み

LAC下田をでた後も、LACを使ってとにかく気になった場所に行きまくった。宮城県石巻、香川県三豊、徳島県美馬、岡山県津山、そして下田と石巻にもう一度。

この2ヶ月しかないと思ってアホみたいに飛びまくった。週3で夜行バスに乗った時もあった。うん、アホだわ。まぁそのアホっぽい学生らしい旅も好きだけど。

いろんなところを旅しつつ、ずっと迷っていたことがある。

休学するか、しないか。

薬学部の授業をこれまで淡々とこなしていた。これは専門大学あるあるだが、その分野についての情報はたくさん集まってくるけど、その外の世界のことはなにもわからない。

だから将来を思い描こうとしても、どうしても病院か薬局か製薬会社か、そんなところで収まってしまいがちだった。

なんか違う。そんな違和感は抱えていても、薬学以外のことを知らないからやりたいことが見つかるわけもなかった。

だから休学して、薬学から離れる時間を作りたかった。薬学以外のこともやってみてから、それでも薬剤師になりたかったらなるし、他に興味が湧くことが見つかったらそれをやる。そんなモチベーションだった。

でも周りに休学してる人なんて全くいない。

休学したい

そう周りに言うことがとても怖かった。否定されると思っていた。安定思考な人が多い薬学部の中で、休学しようとする人なんていなかった。

カリキュラムも6年間きっちり決まっているので、本当に休学できるのかも正直わからない。もう研究室の配属先も決まっていた。

休学してなにがしたいの?

必ず聞かれるが、うまく答えられなかった。むしろ、それがわからないから休学したかった。でもそれじゃ周りは納得しない。

何か夢があって休学すると言ったら、応援してもらえただろう。でも明確な夢があるわけじゃなかった。

ただ、この夏休みの旅で感じた新しいワクワク感を、もっと自分のものにしたかった。いろんな人と出会って選択肢が増える一方で、

で、結局私はなにがしたいの?

の問いに答えが出なかった。とにかくやってみないと分からないよと、いろんな人に声をかけてもらった。

休学する?しない?このくだりを毎日繰り返した。ある日は「休学する」、次の日は「やっぱ休学しない」。午前中は「休学するわ」、午後には「休学しない」。ほんと全力で迷った。

結局その夏の終わり、私は「休学しない」ことにした。

夏の終わりのメモ

9月:あかん、休学するわ

今まで通り薬学部もやりつつ、できる範囲で違うことに挑戦する。そのつもりだったが、思ってた以上に研究室が忙しいことがわかった。

これからは研究室、OSCE、CBT、病院実習、薬局実習、卒論、卒業試験、国家試験、といかにも薬学部最終章という忙しさだった。

両立するにも限界がある。

そう感じ始めた9月中旬、LAC下田のみんなと参加したキャンプで、大学1年の秋から休学した子と出会った。なんか肩の力がふと抜けた。

私にも休学できるかもと途端に勇気が出た。休学してる人が身近にいなかった私にとって、ありがたい出来事だった。

ここで休学を諦めたら一生後悔する。

自分の「休学したい」という本音とやっと向き合うことができた。

次の日の研究テーマを決める面談で教授に、勇気を出して「休学も考えてる」と伝えた。手が震えた。

研究室も決まってるのに休学とか今更なことで、頭おかしいと思われても当然なことだった。しかし教授は、

誰もやったことがないからやらないのはおかしい。
やりたいなら休学してみたらいいんじゃないですか。


とまさかのノリノリで、休学もまだ決まってないのに「準備が整うまで研究室来なくていいよ」と言われ、もはや休学しないわけにはいかない状況になった。これがむしろ有難かった。

教授に背中を押してもらったことをきっかけに、覚悟が決まった。

学事に相談し、親とも何度も話した。覚悟が決まってからの行動は早かった。

ずっと怖くて言えなかった休学。言ってみたら、自分が思ってる以上に応援してくれる人がいた。

もちろん「どうしちゃったの!?」という反応もあったが、自分の中で覚悟が決まっていたから、さほど問題はなかった。

休学する理由に全員が納得したわけではないかもしれないけど、自分が納得できたからそれでよかった。

休学を決めたきっかけになった9月のキャンプ

10月:とにかく焦る。「自分探しの旅頑張ってね」が嫌だった

1ヶ月かけて休学の手続きを進め、無事、親と教授からハンコをもらって学事に休学願を提出できた。

そして10月後半、また旅を始めた。

引き続きLiving Anywhere Commonsを使って、山梨県八ヶ岳、長野県白馬、岩手県遠野、宮城県石巻、和歌山県和歌山、東京都高尾、と転々と回った。

旅をすると自己紹介する場面がなにかと多い。

休学して旅してます

そう伝えると今度は、なんで休学したの?休学して何してるの?とたくさん聞かれた。また言葉に詰まった。

私は別に、やりたいことがあるから休学したわけではなかった。何か一つでも「休学して〇〇してます」と言えるものがあれば、もっと自信持って自己紹介できたかもしれない。

そして、やりたいことがないけど旅をしていることが分かると、

自分探しの旅がんばってね

とよく言われた。この言葉が本当はあまり好きじゃなかった。なんだか突き放されたような気がした。

自分探しの旅をしたところで自分は見つからない。それはよく聞くし、私もうすうすそんな気はしていた。

私のしてる旅は「ただの自分探しの旅」ではないと思っていたが、この旅をなんと呼んだらいいかも分からなかった。

休学当初、自分の中で決めていたことがある。それは、どこの団体にも属さないことだった。

大学ではこれまで、薬学部の他にも2つほど学生団体に属していたり、ブラックバイトなどでひたすら忙しかった。

しかも予定があればすぐ埋めたがるタイプだった。自由時間があったところで、何をしたらいいかわからなかったのだ。

これまでは学生団体や勉強などで勝手にスケジュールが埋まって、ToDoに溢れかえっていたので、この休学中はあえてどの団体にも属さず身軽に行動できるようにしていた。

しかしどの団体にも属していなかったので、自己紹介で言える肩書きがひとつもなく、とにかく焦った。

休学したからには何かしなきゃ
この1年でやりたいこと見つけなきゃ
成果出さなきゃ休学がもったいない


気付かぬうちに自分にプレッシャーをかけていた。

これやってみようかな?と思いつくことは幾つかあった。それこそ、旅先で出会った人にインタビューしてメディアを作ろうと思った。

でも、これが本当に自分がやりたいことなのか、休学してでもやりたかったことなのか自信が持てず、結局序盤で失速した。

スケジュールが真っ白。やるべきことは何もない。

ありがたい状況だけど悩むことの方が多かった。こんな状況だと、毎日何をするかを全部自分で選択しなきゃいけない。

そして周りには、自分で選択をして道を切り開いていってるかっこいい大人がたくさんいた。

憧れるからこそ自分と比較してしまって、自分にはまだ何もないと焦った。選択肢が増えすぎて逆に自分が本当にやりたいことがなんなのか、余計にぼやけていった。

休学してすぐの1,2ヶ月は正直つらかった。不安に押しつぶされそうな時もあった。

そんな気持ちの中でも、自分につけたい肩書きを探していくつか行動していった。

和歌山で朝まで語った日の写真

11月:旅するダンサーの登場。新たな肩書きを見つけ始める。

自分が名乗っていて一番心地いい肩書きってなんだろう。

その時は「薬学部」であることを名乗りたくなくて専門学校だとかテキトーに言ったこともあった。

いろんな特技を持つ人たちと出会っていく中で、私にはまだ名乗れるスキルも何もないと思っていた。

ある料理人と出会って話してる時に私がつい「そんなスキルあるの羨ましいです」と言った。すると、

「自分にとっては料理がたまたま好きだったってだけで、えみぞうだってダンスがあるじゃん。僕からするとむしろ、ダンスできないから羨ましいよ」と言ってもらえた。

他人を羨ましく思う一方で、周りからしたら羨ましく思われるものをすでに持っていたことにそこで気がついた。

これは日本人あるあるかもしれないが、すぐ人と比べて自分は大したことないと思ってしまう。

就活生がよく「自分にはアピールできるものも特技も何もない」と言って落ち込む気持ちもすごいわかる。

でも、特技ってほんと自分が当たり前にできてることだから自分だと気づきにくいだけで、誰もが元から持ってるものなのだと気づいた。

今思えばそんなの当たり前だと思うが、でも当時は自分に何ができるか自覚していなかったので、この言葉がとてもありがたかった。

私にとってダンスはただただ好きなことで、テンションが上がると家でも道でもお店でもどこでも踊ってしまう。

5歳からずっと続けてきたことで、何も特別なことではない。自分よりダンスが上手い人もいっぱい見てるから、自分の特技がダンスだとも思っていなかった。

私にはダンスという趣味・特技がある!じゃぁそれを名乗ればいいんだ!

その後、長野県白馬に旅をしたことをきっかけに、「旅するダンサー。旅先で出会った人とダンス動画撮ってます」という奇妙な肩書きを手に入れた。

この肩書きが自分にとって心地よかった。

白馬での3泊4日は、毎日夜遅くまでそれぞれの人生を熱く語る濃い日々だった。その中で生まれたアイデアをその場で形にしないとやらなくなりそうな気がしたので、そこで出会った方が過去に作詞作曲した「まいたけの歌」に合わせて振りを作って、翌日ダンス動画をみんなで撮って、すぐインスタに載せた。

これまた奇妙なデビュー作だったが、みんなでどうやって撮るか考えながら撮影する時間がすごく楽しかった。

「旅するダンサー」という肩書きを手に入れてからは、旅先で自己紹介する場面があっても自信を持てるようになっていった。

旅するダンサーのデビュー作

12月:MVVを整理。エンジンがかかり始める。

新しい肩書きを装備したえみぞうの勢いはまだ止まらない。

やりたいことが全くないわけではないけど、うまく言葉にできていなかった私は、ゲストハウスで出会った友達の紹介でCrossMentorship(通称:クロメン)というプログラムに参加した。

このプログラムは簡単にいえば、大学生のキャリア支援プログラムだ。しかし就職のためではなく、個々の好きなことや、やりたいこと大事にしたいことを言語化しながら磨いていくというプログラムだ。

個々のMission、Vision、Valueを言葉にして、いろんな考えを持つ人と1対1で話しながら、それってこういうこと?こんなやり方もあるんじゃない?と、壁打ちを5週間かけてとにかくたくさんする。

年に2回このプログラムがあるうち、私は11,12月に参加した。ここでたくさんの仲間に出会った。外れ値大学生がたくさんいて、自分が興味持ってない分野に尖っている人ばかりでとても面白かった。

クロメンのみんなとは、今でもよく会うし、居心地がいい。

それは置いておいて、このプログラムに参加したことで、自分が大切にしたいことが何か。何がしたいのか、そしてそれをいつやっていくのか、頭の中が整理されていった。

その時Missionに掲げていたのは、「将来に悩む就活生や、なんとなくの気持ちで働いている社会人が 自分ごととして主体的に働ける(暮らせる)状態になるようにする 」だった。

最終発表で使ったスライド

旅をしていろんな社会人に出会って。働くことに対してのイメージが変わった。この感覚を、自分の友達やいろんな人にも届けたい。そんな思いが強くあった。

そしてちょうどその頃から、LACで出会った友達が始めた「鞄持ち企画」という学生と社会人のパートナーシップ方インターンの企画運営に混ざったり、自分でも宮城県石巻で「石巻おもしろい人市」という交流イベントを企画するようになった。

”今の自分がやりたいこと・伝えたいこと”

が明確になり、その実現に向けて行動できるようになったこの頃からどんどんエンジンがかかっていって、自分にも自信を持てるようになっていった。

休学してすぐは、自分のやりたいことが全くわからず悩んでいたが、長期的なやりたいことではなく、とにかく”今の自分がやりたいこと”と向き合ったことで頭の中がクリアになっていった。

やりたいことが分からないと言う人は、遠い未来を思い描こうとして挫折しがちだ。

しかし「やりたいこと」ってのはもっと身近なことから考えても良い。

そもそも今の自分が何をしたいのか。まずは今の自分の素直な気持ちと向き合う。その積み重ねで、将来やりたいことも見えてくる。そう感じた。

1月:自分の中でのキーワードが「旅」だと気づく

旅を始めて約半年が経った。

一緒に旅をしていた仲間がだんだんと定住し始めた。

地元がやっぱり好きだと言って実家に戻ったり、活動拠点を見つけて移住をしたりと、途端に旅仲間のライフステージが変わった。

それでも私の旅は続いた。

今でも実家以外に特別ずっといる場所があるわけではない。いわゆる関係人口的な関わり方をしている街はあるが、それでも移住はしていない。あくまでも旅人的な関わり方だ。

2022/06/30現在の経県値

面白いと思った人に会うことが目的で、旅はあくまでも手段だった。

ワクワクする場所に行くことを続けてたら、周りからは「旅人」という認識が強くなった。

Zoomで最初にする会話はいつも「今日はどこにいるの?」だった。

ここで初めて、自分にとって「」はこの先の人生でも続く大事なキーワードだと気づく。休学が終わっても続けたいと思えるものだった。

しかし、自分のしている旅は、友達との企画旅行とは全く別のものだった。

旅行というよりももっと旅先での出会いに身を委ねていたし、観光という非日常的な空間というよりももっと地域の人と話す日常的な空間に近かった。

でもこの旅を、なんと呼んだらいいか分からなかった。

自分探しの旅と言われるのは好きではなかったし、行ったら誰かと行動してたから別に一人旅でもなかった。

「旅の名は」というnoteを一度書こうとして挫折したくらい、旅ってなんだ!?と考えていた。

そこで友達追加していたTABIPPOの公式LINEから「POOLO」というニューノーマルトラベラーを育てる学校の情報が流れてきた。

実情がなんなのか全く分からなかったが、直感的にこれだ!!!とピンときたので入学した。

簡単に言えば旅好きのコミュニティーだが、月2回ほど旅にルーツのある講師から授業を受けたり、3~4人のチーム活動を通して「豊かさ」について考えて共創する、学びの深いコミュニティだ。

それまでは、身動きが取れるようにどの団体にもなるべく入らないようにしていたが、これは本当にピンときたので親にお金を借りてでも参加した。

しかもPOOLO3期は、1月から9月末までのプログラムだったので休学期間とかぶっていてちょうどよかった。

旅が1年も続くと思っていなかったが、まだまだ行きたい場所はたくさんある。私はきっと死ぬまで旅人なのかもしれない。

1月〜6月:自分の「好き」を大事にしながら、まだまだ飛び回る

ここまでですでに9000字と、かなりの超大作になってしまった。

本当はもっと書きたいところだが、題材にもしていた「やりたいこと探し」について大事な部分は書けたので、ここからはダイジェストでお届けする。

1月以降ざっくり、こんなことをしていた。

●1月後半、薬局で補佐業務をしながら薬剤師の働き方を知り、再び憧れる。
●2月前半、香川県琴平と、奈良県奈良市でのワーケーションツアーに参加。
●2月後半、広島県の瀬戸内海沿いのゲストハウスで住み込みスタッフ3週間。
●3月中旬、LAC八ヶ岳で「鞄持ち企画」の運営として旅をする。
●3月後半、文系の同期の卒業シーズン。卒業旅行や、ご飯会で見送った。
●4月から「サスタビ」というサステナブルツーリズムに関する仕事を始めた。
●5月から「Medi jump」という医療従事者から自分らしい働き方を探していった方への取材ライターを始めた。
●6月中旬、再び宮城県石巻で交流イベントを企画、開催する。
●クロメンやPOOLOのみんなとは今でも一緒に遊んだり語ったりする大事な仲間だ。結局このコミュニティの人たちと会う時間が一番長い。

わかりやすいことだけまとめたが、本当はもっとある。言葉足らずでツッコミどころ満載だと思うが、ツッコんでくださる方がいればぜひご連絡ください。

ざっくりこんな感じで1年間、自分が直感的にやりたいと思ったことを素直にやり続けた。

10月の段落で「あえてどこの団体にも属さないようにした」と書いていたが、それでも何か新しいことを始める上で大事にしてたルールが一つある。

9割以上の気持ちでやりたいか

これが意外と難しい。休学してると時間がある。そうするといろんな方からありがたいことに、一緒に〇〇しない?と声をかけられる。

とてもありがたいことではあるが、どれも「本当に自分じゃなきゃできない仕事」ってのは正直まだあまりない。要は、代えのきく仕事ばかりだ。

自分がやらなきゃいけない理由は、悲しいけど意外とない。でもそれに気づくと気持ちが楽になる。

「6,7割のモチベだけど、やったらまぁ楽しいのかなー」みたいなものってたくさんある。でもそれはあえてグッと我慢して、切り捨てる。

そうすることで、9割以上の気持ちでやりたいことが現れた時にも、キャパを残しておくことができた。

その結果、本当にやりたいことを見つけていくことができたし、自分の「これ好き!面白そう!」というワクワク感を大事にし続けることができた。

これは今後も意識していきたいし、周りにもおすすめしたい。

やりたいことを探していたあの頃の自分に伝えたい3つのこと

ここまでにもいくつかヒントは書いてきたが、改めてこの1年間で気づいたことをまとめてみる。

ずっとやりたいことを探して、もがいてきた自分なりに感じたことが、もしかしたら誰かの背中を押すかもしれない。

そう信じて書いてみる。

フィルムカメラでパシャり

①余白があって初めてやりたいことが生まれる

私はやりたいことや、夢があるから休学したわけではなかった。だからこそ休学という選択をするまでには時間がかかった。

何か選択をするとき、みんな理由や目的を求める。わかりやすい答えを欲しがる。

夢や、やりたいことがないと休学してはいけない。
次のキャリアが見つからないと退職できない。


無意識のうちにそう考えがちだ。その気持ちはすごいわかる。

永遠に「やりたいこと」が見つかる時を待って、選択を先延ばしにする。

例え現状に違和感があっても、環境を変えることは正直かなりの勇気がいる。

でも「やりたいこと」は、余白の時間が十分にあってやっと見つかるものだと改めて感じた。

大体みんな学校や会社が平日週5である。それが社会に属すということなのかは分からないが、自然と日々やることがルーティン化されていく。

そんな日常を繰り返す中でやりたいことを探そうと思っても、気付かぬうちに"できる範囲内での”やりたいことしか思いつかなくなっている。これが無意識だから余計に怖い。

休学してToDoリストを空っぽにしてみた。

今日何食べる、明日何時に起きる、明日どこにいる、誰と一緒にいる。全部毎日自分で決めることができた。

最初は疲れることもあったが、段々と「あ、夕日みたい」みたいなレベルの欲望が、秒単位で湧き出てくるようになった。

それまでは予定を詰め込むことが快感なタイプで、スケジュール通りに動くことが日常だった。

だから自分の心の声なんて聞かなくても、予定を淡々とこなせばよかった。今思えばあの時の自分は忙殺されすぎて、脳死してた気もする。

休学中、なるべく決まった予定は入れずに「今の自分の本音」「今の自分が何に心が動いたのか」と向き合っていくことで、心の声がだんだんと聞こえるようになった。

「あ、夕日みたい」とかそんなレベルのやりたいことを、ちゃんと大事にしていくと自分の癖に気づくことができる。

やりたいことは、今の自分の本音と向き合うことで見えてくる。

自分の好きなことをやってみる繰り返しで、感覚が洗練されていく。だから素直にやってみるのがいい。

ただ素直になるためには、まずは余白がないと何も始まらない。

例えば、せっかく「あ、夕日みたい」と思っても、晩御飯の約束があったらその本音には素直になれない。

でも余白があれば夕日を見にいくことができる。もしかしたら夕日を毎日見ることで天気予報士だとか、写真家だとか、そんなことにつながるかもしれない。

そういう自分の癖を出せる時間があってやっと、やりたいことが見つかる。

だから、やりたいことがないから休学/休職しないのはもったいなく思う。

すぐにそれができない状況だったとしても、少しずつでいいから究極のおひとりさま時間を作ってみるといいのかもしれない。

和歌山の動物園にて

②やりたいことはむしろなくていい。

夢を語れる人はかっこいい。キラキラして見えるし、憧れる。そういう人を見てると、自分も何かしなきゃと思わされる。

でも別に、やりたいことなんてなくてもいいじゃん。

それがこの1年、旅して見つけた答えだ。

やりたいことが語れちゃうのも、それはそれで実は危険なことだと思う。なぜならそれしか見えなくなってしまうからだ。

例えば、コーチングでもよく使われる「スコトーマの原理」という心理的盲点がある。

人は、「自分にとって重要なこと」「緊急性の高いこと」、そしてより本質的に言えば、「自分の心の中で評価の高いこと」、これらのこと以外のことは気にしませんし、それ以前に、見えなくなるのです。

スコトーマとは?原理と働きを知り人生を思い通りに導く秘訣|ライフィングコミット

やりたいことを一度掲げると、そこからズレたことをするのが怖くなってしまう。また、それ以外の情報がシャットアウトされてしまう。

その掲げたテーマが本人にとって納得度が高いならいいが、そうでないなら無理に語る必要もない。

夢を語るなとか、そんな極端なことが言いたいわけじゃないけど、もしやりたいことがないなら無理に作る必要もないし、どちらかというと選択肢を狭めないための選択をし続けることの方が重要だと思う。

そして、やりたいことを無理に探すよりも、やりたくないことを明確にしていくことの方が手っ取り早いし現実的だ。

やってみたいと思うことに理由はなくても、やりたくないことは理由があることが多い。だから、違和感は大事にしてみるといい。

やりたいことがパッと言えなかったとしても、それでいい。選択肢を狭めないことと、やりたくないことを明確にするところから始めてみればいい。

下田のある神社で見つけた看板

③人生偶然が8割。ご縁を大事にする力。

私の好きな言葉の一つに、人生、偶然が8割という言葉がある。

旅をしてると余計に感じる。偶然の出会いに溢れている。

就活ではよく、やりたいことから逆算してキャリアを考えることを求められる。10年後の自分のありたい姿を思い描いて、5年後や3年後、そして新卒で何をやるか決めていく。

でも実は、逆算する力よりも、目の前のご縁を大事にし続ける力の方が大事なんじゃないだろうか。

例えば、このnoteを読むことを3年前のあなたは予測していたのだろうか。それを逆算して何か行動していたのだろうか。他にも、

明日一緒に仕事するクライアントが誰か分かってて5年前の自分は就職したのか。
明日一緒にご飯行く子と出会うと思って去年の自分は進学したのか。

そんなちっちゃな問いを投げかけてみてほしい。

もし「そうだよ」と答える人がいたら怖すぎる。

目の前のちょっとしたご縁と偶然の積み重ねで今がある。(興味ある人はバタフライエフェクトという言葉を調べてみてほしい。)

確かに逆算してある程度方向性を考えていく必要もあるが、全部を予想するなんて無理な話だ。

だから、やりたいことから逆算して行動していくよりも、ワクワクする方へつきんでみて出会いと経験を積み重ねていくことの方が、結果的により遠い世界へ行ける気がする。

まずは目の前の出会いを大事にすることがよっぽど現実味も、人間味ある。

結局、運とタイミングがものを言うのだ。

でもその一言で片付けちゃうのはつまらないから、そして偶然の出会いを拾いに、たまにでいいから旅に出てみる。

行ったことない場所に行ってみて、普段会わないような人に会ってみる。

そんなことを繰り返していれば、セレンディピティ(幸運な偶然を手に入れる力)がやってくるかもしれない。

だから、私は旅先で出会った人とのご縁は大事にしたい。一期一会の出会いばかりだが、一度きりにしちゃうのはもったいない。

この1年間でたくさんの人と出会い、いろんな経験をしてきたが、それがいつどこでどんな形になるかはまだ分からない

休学してどうだったか振り返るにはきっとまだ早い。いつかどこかで、点と点が線になる日をもう少し待ってみる。

最後に

これでも絞ったつもりだが、やはり想いがありすぎて長くなってしまった。

それでも最後まで読んでくれた方に感謝を伝えたい。

後半は、どこか説教くさいnoteになってしまったかもしれないが、自分の行動と言葉で誰かの心を動かすことができてたら嬉しい。

こんな偉そうなことを書いたけど、今でも焦ることは多々あるし、多分まだまだもがき楽しみ続けると思う。

もし心に響いた言葉があれば感想をもらえたら嬉しいし、これ語りたいとか相談したいとかそんなお誘いもあったら嬉しい。

どうぞ生後6ヶ月の「旅するダンサーえみぞう」をこれからもよろしくお願いします。

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薬学部に通う大学4年生/1年休学中/旅が好き/趣味は気まぐれ散歩とお風呂/ダンス歴17年(現在進行形)/いつか自給自足したいと願う都内実家暮らしの甘えん坊/ #POOLO3期/ #LivingAnywhereCommons