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最後のユートピアとしてのドヤ街

東京滞在で時間が空いたので山谷を散歩。

路上にパイプ椅子を出して昼間から呑んだり碁をうったり冗談言いあったり好きに集ってる感じがよかった。「ひとりで部屋でT V観ててもつまんないからね。」って、人恋しさに正直なおいちゃん達にはいつだってシンパシーを感じる。

公園の野宿テントも黙認されてるが故の高クオリティ。テントのうえにはソーラーパネル、テレビの配線も自分でしたそうだ。文鳥を飼ってたり、テントの回りに木や花を植えたりしている人もいた。「来年、このしだれ桜が咲くのが楽しみだね」って1mにも満たない苗木を囲んでおいちゃん達が話しているのには思わず和んだ。

釜ヶ崎にいたときも感じたけれども、いわゆるドヤ街は路上文化が黙認されてて羨ましい。私が支援しているおいちゃん達は酒癖が悪いので、「もう来ないでください」って名指しでスーパーやコンビニから排除されたりしている。地方都市ではおいちゃん達は圧倒的マイノリティだから。でも、ここだったら彼らものびのびと過ごせるんじゃないかって思わず想像してしまった。どうしたってこういう生き方しかできない人達はいるんだから、そんな人達にとってドヤ街は残された最後のユートピアだ。

ドヤは危険だと人はいうけれども、都会のマンションで誰とも顔を合わせない日々を送るのは果たして安全なのだろうか?血の通ったドヤの生活を見ているといつもそんなことを考える。2020年の東京オリンピックへの流れでドヤ街そのもの自体が社会から排除されないことを切に願う。

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