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「民主主義とは何か」( 宇野重規 著)を読むー日本は民主主義国家なのか?

<はじめに>

「日本は民主主義国家なのか」と問われて、首を傾げてしまう自分がいる。選挙という制度があり、選挙で選ばれた政権ではあるが、戦後70有余年ずっと同じ政党が政権を担っている。

例外的に数回政権交代があったものの、政党が代わる代わる交代して政権を担うということは近年はない。誤解を恐れずに言えば、一種の「一党独裁国家」である。

強権や武力は使わないが、ソフトパワーでそのような体制が作られているように思えて仕方がない。小選挙区制は完全に現政権に有利だ。「地盤看板カバン」などと言って、世襲の議員とそうでない議員の中から国民は選ばされる。選挙はスタート時点ですでに不公平であり、後者は圧倒的に不利だ。

戦後から現在に至るまで、国民に政治教育を積極的に行わない教育制度で政治にナイーブな国民を創出し続けてきた。

若者の投票行動に政治に対する意識の低さが表れている。政治は我々の生活そのものなのに。メディアも政権に卑屈なほど忖度して歩み寄り国民の側に立って批判しない。だから海外のメディアには表現の自由が抑えられていると映る。

そもそも投票率50%を切っているような選挙に正当性があるのだろうか?政府には期待も信頼もしていない国民の意識の表れ。

これらの要因が現体制維持のためにうまく機能している。言わば現状維持装置である。”Hidden persuasion “(ヒドゥン パスウェイジョン)目に見えない力で羊のような国民を合法的に巧みに説得してしまっている。

そこで考える。民主主義国家の民主主義とは何か?

<「民主主義とは何か」(宇野重規 著)から>

「民主主義とは何か」と問われて、私たちは一言で明確な答えが出せない。それを私たちに再認識させるかのように、著者は以下のような、どちらも正しそうな対になった定義を提示する。

「民主主義とは何か」

A1 「民主主義とは多数決だ」
A2「民主主義の下、少数派の意見を尊重しなければならない」

A1の定義は、確かに数の多い方の意見がより多くの人々の意見を代表していると言う意味においては正しそうだ。

しかしA2が言うように、多数派が少数派の自由や権利を奪って良い訳はない。過去にはそうした事例がたくさんある。「数の暴挙」日本の政治にも当てはまりそうだ。

B1「選挙を通じて国民の代表を選ぶのが民主主義だ」
B2「選挙だけが民主主義ではない」

現代世界においては、民主主義国家とそうでない国家を区別する最大の基準は選挙である。

しかし選挙が行われると言うことだけで十分だろうか。選挙の時以外の国民が政治から遠いものであるのなら疑問が残る。

ルソーの言葉「自由なのは選挙の時だけで、選挙が終われば奴隷に戻る

選挙以外の日常的な市民の活動において、その真価が問われる。今の私たち国民には知らされないことが多すぎ、政府が説明責任を十分に果たしてるとは思えない。

だから選挙だけでは民主主義とは言えない。説明責任と議論が重要なのだ。

C1「民主主義とは国の制度のことだ」
C2「民主主義とは理念だ」

民主主義が政治体制の一つであることは間違いない。制度であるといったところで、社会には解決しなければならない問題が残っている。ジェンダー、人種、宗教などによる差別や不平等。

このような問題を乗り越えていくのも民主主義である。つまり終わることのない課題に取り組み続ける、「永久革命」(丸山真男)と言った人もいるくらい。だから達成すべき理念でもある。

著者は、この3つの定義を柱に「民主主義」の歴史を紐解いていく。ギリシャに始まって花開き、イタリアに継承され、近代国家に受け継がれていく。

ここで、著者が「民主主義」発祥の地ギリシャでの経緯に紙面を多く割いているのは、そこに原点があり、その精神こそが重要だと考えるからであろう。曰く、ギリシャにおける政治の実践は、以下の2点に基づく。

1. 政治において重要なのは、公共的な議論によって意思決定をすること。

2.公共的な議論によって決定されたことについて、市民はこれに自発的に服従す
 る必要があった。

だから実力による強制、経済的利益による買収、議論を欠いた妥協は政治ではない。

それが自ら決定に参加し、納得したものでなければ、いかなる決定にも従わないと言う古代ギリシア人の自主独立の精神である。

現代の民主主義国家と言われている国々は、外見はその様相を呈している。

しかし、内実はそれが形骸化してしまっていたり、その精神部分が欠落してしまっていないか。名ばかり形ばかりの民主主義になってしまっていないかとの疑問を抱いてしまう。

著者は最終章で前述の3対の質問に対する答え合わせをしている。

A1、2に関して言えば、A1が正しいのは、A2の条件を満たした時。

B1、2に関しては、対向的でありつつ、相互補完的に捉えるべき。

C1、2に関しては、両側面があることを前提に、両者を不断に結びつけていくこ
  と。

これからの民主主義が、直面する難題をどう乗り越えるかについて、著者の言葉を引用したい。

「最終的に問われるのは、私たちの信念ではないでしょうか。厳しい時代においてこそ、人は何を信じるかを問われるのです」

第一に、「公開による透明性」ー古代ギリシャで成立した「政治」とは、公共の議論を通じて意思決定を行うことへの信念でした。

第二に、「参加を通じての当事者意識」ーこれはまさに自分のなすべき仕事だ、自分たちにとってきわめて大切な事柄だと思えてはじめて、主体的に考え、自ら行動する動機が生じます。民主主義とはそのためにある。

第三に、「判断に伴う責任」ーひとつひとつの判断が社会や人類の将来に影響を与え、場合によっては多くの人々の暮らしや生死にかかわるだけに、政治的決定には責任が伴う。

「個人は相互に自由かつ平等であり、それを可能にする政治・経済・社会の秩序を模索し続けるのが人間の存在理由です。民主主義をどこまで信じることができるのか、それがいま、問われています」

「民主主義とは何か」と問い続けないと、名ばかりの制度になってしまう!

さて、日本は民主主義国家と言える国だろうか?私たちは民主主義を信じているだろうか?

#読書の秋2022

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