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【連載小説】絵具の匂い 【第10話】マリアの涙とミイラ男

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絵具の匂い 【第10話】マリアの涙とミイラ男


結局、俺達が出発したメルボルンから目的地のシャークベイ(シャーク湾)まで実際には4,000kmあったのだ。昔風に言えば一千里である。しかしその「母をたずねて一千里」の旅もこれで最後の百里となった。良くこんなに走ったものである。既に出発して4日が経っていた。

***

俺達はパースから国道1号線をシャークベイに向かい北上していた。
(あれ?パースに来る時も途中1号線を通ったな)
それもそのはず、良く見るとこの国道1号線は国の外周を囲む環状線だったのだ。言ってみれば『環1』である。世界で一番長い国道だと言う。

環状線の National Route 1(国道1号線)

いつか機会があったらこれを車で一周してみたいものだ。しかしまた余計な話に脱線しそうなのでそれはまた別の機会にしたい。

***

その国道1号線をひたすら北上すること約半日、唐突にシャークベイと言う看板が現れた。目指すのは Denham(デナム)という街だ。

こちらシャークベイという看板近影

そこから半島の道を進んでいくと小さな街があった。街についてからセシリアが事前に聞いておいたと言う道順通りに小さな集落を進んでいくと、白い石とコンクリートでできた家にたどり着いた。沈みかけた真っ赤な太陽に照らされた大きな木が、その家の真っ白な壁に濃い影を落としていた。

***

俺達の車の音を聞いて迎えに出て来たセシリアのお母さんは、彼女の部屋で初めて見たあの絵よりもふっくらとし、少し日に焼けた顔はそばかすで一杯だった。その優しそうな笑顔はセシリアの部屋に飾ってある写真のままだった。

久しぶりに会ったセシリアに向かい一言何か話すと、急にお母さんは顔を覆って泣き出した。そしてそれを抱きかかえるようにしていたセシリアも泣いていた。

俺は詳しい事情を何も知らなかったが、ただの久しぶりに会って感激という感じではないその光景になんだか俺ももらい泣きしてしまったのだった。

落ち着いたところで挨拶をすると彼女は、
I'm Maria.  I am glad you two came here all the way.(マリアです。こんなに遠くまで来てくれてどうもありがとう)
と言った。

***

中に入ると家の中はエアコンが効いていてとても涼しかった。パートナーはちょうど用事が重なってしまい出掛けているのだとマリアは言った。セシリアが何か言うかと思ったが何も言わず黙っているので、俺は代わりに「そうですか」と答えたのだった。

家には男の子が一人いた。その十代半ばの Marcus(マーカス)と言う日に焼けた少年はセシリアの弟だった。低い声で朴訥に話すマーカスはセシリアと同じ黒い髪をしていた。

その夜、マリアは食べきれないほどの海老の塩茹でを出してもてなしてくれた。シャークベイで採れるというその大振りの真っ赤な海老はメチャクチャ美味かった。食卓を囲みながら久しぶりに会うセシリアとマーカスも楽しそうに話をしていた。

マリアは俺達が泊まる部屋も用意してくれていた。俺が「いい人だな」と言うと、セシリアは「元気そうでよかった」と言った。俺はそのヒンヤリして気持ち良いシーツが敷かれたベッドで久しぶりに泥のように眠ったのだった。

***

翌日目を覚ますとまだ早い時間だったが既にもう暑かった。窓からは雲のない真っ青な空が見えた。

「今日は一日かけてお母さんの絵を描くの」
マリアの作ってくれた朝ごはんを皆で食べていると、セシリアはそう言った。もう二人の間で話はついていたようで、マリアは俺の顔を見てちょっと微笑みながら頷いたのだった。セシリアはいつの間にか車の中からキャンバスと絵具を家に運びこんでいた。砂漠の絵でも描くのかと思ったらそういうことだったのか。

セシリアが絵を描いている間、マーカスがこの辺りを案内してくれることになった。家のすぐ近くには入り江もあり、シャークベイ側に行けば釣りもできるらしかった。家から釣りの道具と水中マスクとスノーケルを二人分車に積むと、助手席に座るマーカスに道を聞きながら俺達は海に向かった。外にでると雲は全くなく日差しが強かったが湿気がなく空気がカラカラのせいか全く暑さは感じなかった。

途中ガソリンスタンドを通るとその塀の上に座るアボリジニの男の子がこちらに手を振っていた。マーカスと一緒の学校の子供らしかった。マーカスは窓を開けてその男の子に手を振った。

***

この一帯はシャーク・ベイ(シャーク湾)の名の通りサメが多いのだが、Monkey Mia(モンキー・マイア)というイルカの餌付けができる場所があるのでサメよりもイルカが人気で(それはそうだろう)、ここに来た人は必ずそこにイルカを見に行くのだという。俺達もまずはそのモンキー・マイアに向かった。

Monkey Mia(モンキー・マイア)という名前だが特にサルには関係なく(昔あった Monkey号という名前の船が由来など諸説あり)、昔からイルカの集まる海岸として有名だった。1960年頃、地元の漁師が捕れたお魚をイルカにおすそ分けした頃から野生のイルカが毎日のように遊びに来るようになったと言う。イルカの保護区に指定されていたが人間も海に入ることができた。

俺達がそのビーチの水の中に歩いて入っていくと、いきなりイルカが泳いできて俺達の足の脇をすり抜けていった。なんとカワイイ。手を伸ばすと寄ってくるのでその御尊顔に触ることもできた。

Monkey Mia の浅瀬で人の足元までやってくるイルカ

***

午前中、その保護区の近くを見物した後、釣りができるという堤防に行ってみると大人から子供までたくさんの人が堤防から釣り糸を垂らしていた。俺達も同じようにしばらく魚が掛かるのを待ってみたが釣れそうな気配は全くなかった。帽子を持ってくれば良かった。海を見ていたら目がギラギラしてきたし、ずっと日なたにいたので頭もクラクラしてきた。

マーカスも「今日は釣れないよ」というようなことを言い、近くに Lagoon (ラグーン=入り江)があるので行ってみようと言った。そうか、入り江はラグーンか。アライグマは何だっけ、あれは Raccoon(ラクーン)か。俺はクラクラする頭で考えた。

その小さな入り江はずっと浅瀬で見るからに安全そうだった。ここにはサメは入ってこないのだという。マリアが持たせてくれた昼飯を食べた後、俺達はそこでもしばらく釣り糸を垂らしてみたが、ここも全く釣れる気配はなかった。

こんな感じで大きな魚はいない

そこで、釣りはあきらめて水着のズボン一枚になって水中マスクとスノーケルをつけて浅瀬を泳ぐと、真っ白な砂の中に灰色の雑魚的な魚がたくさんいるのが見えた。わざわざ捕まえて食べるタイプの魚ではなかった。

どこまでも続く浅瀬でのスノーケリングはことのほか面白く時間を忘れて泳ぎまくってしまった。マーカスも慣れたもので水の中を色々案内してくれた。

しかし、つかれて海岸に上がった頃には俺の背中と肩は真っ赤に腫れあがっていたのだった。ちょっと触っただけでも痛い。冷たい水の中にいた時には気が付かなかったが、大やけど状態になっているようだった。

マーカスは俺の肩と背中の色を見て、オーマイガー的な顔をしていた。やっぱり慣れないことはするもんじゃなかった。
(せめてTシャツ着たまま泳げば良かった)
俺は後悔したがもう遅かった。マーカスはもともと日に焼けていたので全く平気のようだった。

俺はヒリヒリしてさわれない状態の上半身におそるおそるTシャツを着て、背中をシートを付けないようにゆっくりと車に乗り込み、上半身を直角にしたまま運転をした。マーカスが面白がって俺の背中にチョンと触る度におれは声を上げて飛び上がった。(比喩表現)

***

家に帰るとマリアの絵がおおよそ出来上がっていた。セシリアが昔書いた絵の中のマリアはちょっと怒ったような怖い顔をしていたが、今回の絵の中のマリアは優しい顔で微笑んでいた。

夜は庭でバーベキューということになり、またも魚介類を美味しく頂いたのだが、そのころから俺の体は本格的にズキズキ痛みだした。背中は爆発するように熱くなり、刺激を与えないように気を付けてそーっと行動した。今まで日焼けで痛いめにあったことはあったが、今回の日焼けはちょっと次元が違うヤバさだと感じた。

夜、体が火照って眠れないので(ちょっと聞くと気持ち悪いがそういうことじゃなくて背中の日焼けがどんどん痛くなり腹ばいのまま動けなかった)水を飲みにキッチンに行くとマリアが一人で椅子に座っていた。

水をもらって、俺もそっとキッチンの椅子に座った。するとマリアは不在のパートナー(セシリアの実の父ではない)の話を始めたのだった。昨日、その話が出た時にセシリアがなんの反応もしないので俺もちょっと変だなと思っていたのだが、セシリアはそのパートナーを嫌っているのだとマリアは言った。

そのパートナー、今は普通に生活しているのだが、メルボルンで失業状態になった時に酒浸りになった時期があり、その時に色々と信頼を失うような事をしでかしたらしかった。セシリアはずっとそれを許していないのだとマリアは言った。本人もセシリアに嫌われているのが判っているので、しばらく知り合いの家に行っているのだと言う。

セシリアが家族について行かずメルボルンに残ったのは、そんな理由もあるようだった。そんな訳で滞在中は結局そのパートナーなる人には会わずじまいだったのだ。

***

翌日、俺の肩と背中にはたくさんの大きな水膨れができていた。この辺の人はこういうのに慣れているようで直ぐに俺を皮膚科につれて行ってくれた。皮膚科の女医さんは俺の水膨れに針を刺して全部水を出すと、何か油のような薬を塗って、俺の上半身全体を包帯のような布でグルグル巻きにしながら「オーストラリアは世界で一番皮膚がんの多い国なので、日焼け止めも付けずに日なたに長くいてはだめなのですよ」といった。

ミイラ男のような恰好で病室からでてきた俺を見てセシリアは笑った。いつもならゾンビのポーズか何かで追っかけてやるところだったが、俺はもうふざける気力がなかった。全身が火照って熱が出ていた俺はそのままフラフラと車に乗って家まで連れていってもらったのだった。セシリアが免許持っててよかった。

結局その熱がひくまで2日くらいかかり、その間俺は家で大人しくしていたのだった。非常にカッコ悪い。4000km の道のりをやってきて療養中って。しかしまだ若かったからかその2日で大きく回復し、皮膚科で包帯を替えてもらってからは普通に動けるようになった。

***

そんなタイムロスもあり、帰るまでもうそんなに時間はなかった。もう少し北に行ったところに Broome(ブルーム)という真珠の取れる町があると聞きそこにも行って見たかった。なんでも日本人が昔沢山住んでいて、真珠の養殖の発展に貢献したのだという。なんとこんな日本から遥か離れたところに日本の人達がたくさんいたなんて。日本人潜水士の方々はどんな生活をしていたのだろうか。ぜひそこに行って見たかったのだが、全身ヤケド大賞グランプリ受賞者の俺はあきらめたのだった。

いよいよ出発の日がやって来た。俺は仲良くなったマリアとマーカスと思いっきりハグしたかったのだが、大事を取って形だけにしておいた。帰りの車の中でセシリアはまた「二人とも元気で良かった」と言った。帰りは少しペースを落として途中の街で少しは泊りながら帰ることにしたが、それでも基本的にはまた日夜走り続けた。背中の痛みはだんだんとひいて行った。

***

何もない広い平野の真ん中の国道を走ると何時間かおきに広い駐車スペースがあった。明かりも何もないただの土の上の空き地だ。休憩のために車を停めてヘッドライトを消すと、空一杯に星が広がった。月と星の明りだけでも辺りがぼんやり見えるようだった。この国の国旗に書いてある南十字星が輝いているのも見えた。車の窓を開けて煙草に火をつけると遠くから低い風の音が聞こえてきた。喉が渇いていたが朝積んだ水は既に全部飲んでしまっていた。

キリストが生まれる時に3人の博士がラクダに乗って星を頼りに生誕地ベツレヘムに向けて砂漠を旅したというような話を聞いたことがあったが、こんな感じだったのだろうか。

横を見ると月明りに照らされたセシリアの寝顔が見えた。


つづく

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