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【連載小説】絵具の匂い 【第2話】多民族社会

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絵具の匂い【第2話】多民族社会


彼女は俺に絵は好きかと聞いた。
俺のような素人が美大生に向かって絵が好きだなどと安直に答えるのはなんだか気が引けて
I don't know much about painting.(絵はよく判らないよ)と答えた。

言い方が悪かったかなと思ったが、彼女はニコッと笑って傍らの筆を手に取ると、それを宙に翳して見つめながら
Me neither. That's why I am learning it.(私もそう。だから勉強してるの)と言った。

「絵は描いて見ると面白いよ」と言い、彼女は壁に立てかけてある沢山のキャンバスに目を向けながら、絨毯に座った俺の横に腰をおろした。そして目の前の一枚のキャンバスを指し「これ何の絵かわかる?」と言った。

その絵にはなんだか少し怒ったような顔をした女性が描かれていた。

「これ、わたしのお母さん」
She is Maltese.(彼女はマルチーズ)と言った。

マルチーズと言うと思い浮かぶのは例のあの白くてカワイイ子犬だが、絵の中の女性はどちらかと言えば猫顔で、マルチーズのような「可愛らしい」というイメージではなかった。

ということは何かそういう動物に例えた英語の表現があるのかなと思ったが(例えば日本語なら「あの政治家はタヌキだ」とか「あの子は猫をかぶっている」など)、結局良く聞くと彼女の母親は元々マルタ島出身で、「マルチーズ」とは単にマルタ人ということなのだった。その頃はマルタという国名もなじみがなかったのでピンとこなかった。

「マルタってどの辺にあるんだっけ」
「イタリアの近くの島だけど私も行ったことがないの」と彼女は答えた。

聞くと、この街にはマルタからの移民が結構たくさんいるらしかった。
「マルタにはまだお母さんの親戚もいるはずだし、いつか行って見たいと思っているの」
彼女は生まれて一度もこの国を出たことがなく、いずれ行ってみたい国がたくさんあるのだと言った。

ふと窓際の棚を見るといくつかの小さな写真が並べてあり、その中に彼女の母親の写真もあった。絵の中の少し厳しい表情とは違い、微笑を浮かべた優しそうな人だった。その傍らには小さな頃の彼女が写っていた。
「お、これがきみだね」と聞くと、彼女は「そう。ずっとずっと昔の写真」と答えた。

棚にはいくつかの写真が並んでいた。俺は彼女の顔つきが、写真の中の母親とは少し違うので、「父親似なのかな?」とふと思い、並べてある写真の中をそれとなく探してみた。しかしそこには父親らしき人の写真は見当たらなかった。

***

この国では片親で子供を育てている人もとても多いし、また移民国家なので長い年月をかけて人種が交じり合ったり、一度結婚して家族を作ってから配偶者が変ったりなどというケースも多く、同じ家族でも風貌がバラバラなことが結構ある。

この国に来たばかりの頃は、この国では皆それをあまり気に掛けず暮らしているように見えて、なんだか不思議に思ったものだった。(その後、『気に掛けず』というのとは少し違うことに徐々に気づくのだが)

いずれにせよ、ある人の風貌だけを見て、瞬時に、自国人、外人(ガイジン)、その他のアジア人、のように区別して、良くも悪くも接し方を変える人間の多い島国で育った俺にとっては、「なんかそういうの無頓着でいいよな」と思えたのだった。

様々な容貌の人間が混ざり合って暮らしているこの国には、適当に溶け込むのが容易でとても都合が良かった。俺がこの国に着いたばかりで、右も左もわからない状態で歩いている時に人に道を聞かれ、
(おお、さすが多民族国家!こういうことは日本ではないだろうなあ)
と思ったのを思い出す。

俺は彼女のことが知りたくなってきたのか、なんだか余計なことを詮索し始めていることに自分でも気が付いた。20代で5~6歳離れているとだいぶ世代が違い話も合わない感じがするものだが、彼女と話すのは楽しかった。年代だけでなく、俺と彼女にはあまり共通点がないので何を聞いても新鮮だった。

彼女は「俺がそれを聞いてどう思うか」などはあまり気に掛けない様子で、自分の生活について他愛のない話を聞かせてくれた。

  • 自分はこの国で生まれ育ち英語しかしゃべれないので他の言葉も話す人を見るとうらやましいと思うこと

  • しばらく会っていない五つ違いの弟がいること

  • 電車で大きな荷物を持って学校に通うのはキツイので中古車が欲しいと思っていること

  • でも実はまだ免許ももっていないこと

  • バイトしているけど画材が高いので全然お金が貯まらないこと

  • アジア人の顔を描くのが難しいこと

  • このアパートの他の住人同士の昨日のケンカのこと

  • 日曜日にいつもパンを買いに行くユダヤ人の店のおばあさんと仲がよいこと

  • 小さい頃マドンナにあこがれてベジタリアンになろうとしたが直ぐにあきらめたこと

俺も同じように自分のことを話したが、日本にいたころの話をしてもあまりピンとこないだろうから、この国に来てからあった良いこと、びっくりしたことなどを話してみた。

彼女は「え、ほんと!」、「ははは、わかるわかる」、「え、日本では違うの?」などといいながら真面目に聞いてくれた。

そして、俺が何かこの国に来てひどい目にあった時の事の話をしている時だったと思う。気が付くと彼女は真面目な顔で話をする俺をじっと見ていた。俺もなんだかドキッとして彼女の顔を見た。

(ん、なんだもしかして、愛の告白か? でもそんな急展開はないよな? いやいや、でも、ここ外国だしな)などと俺はとっさに考えた。

そして、その次の瞬間、俺の顔に彼女の平手が飛んできた。

***

彼女はいきなり俺の顎の辺りをバチンと叩くと、俺を睨んでいた。俺は突然の出来事に目が点になっていた。

何かこの国でタブーな話題を口にしてしまったのか?
それとも俺の使った言葉に何か俺の知らない変な意味があったのか?

そのまま何も言わずにジッと動かない彼女に、「んと、あの …… 」という感じで恐る恐る話しかけてみた。彼女は俺をにらんだまま「動かないで」と言った。

良く見ると空中に何か探しているようだった。俺は「んと、あの …… 」ともう一回おそるおそる言って見た。

彼女はじっとしたまま「いた …… 」と言った。

「いた?」

「そう、これに刺されるともの凄く腫れるのよ」彼女は視線を動かさずに一点を見つめたままそう言った。

彼女はゆっくりと両手を宙に上げると、次の瞬間に突然素早く空中で両手をパチーン!と合わせ、Gotcha! (つかまえた!)と言った。

そしてこちらを見て、まだ目が点になったままでしおらしく座っている俺に気が付くと、俺の腕に手をおいて「ごめーん」と言って笑い出した。海が近く目の前が公園なので日によって蚊が凄いのだと言う。

彼女が俺の顔を見つめていたのは、俺のつたない英語に集中するためでも、突然の愛の告白のためでもなく、蚊の息の根を止めるためだったのである。

そうだったのか。

しかし、男と言う物は(特に俺は)、こういうイレギュラーな事を突然されると弱いのである。俺はエムっ気は毛頭ないのだが、なんだか突然殴られて気が動転したついでに男心も動転してしまったようなのである。いわゆる吊り橋効果というヤツかもしれない。俺はしばらくドキドキしたままだった。

俺はきっと魂が抜けたような顔でオネエ座りをしていたのではないだろうか。気が付くと、彼女は Mosquito coil(モスキート・コイル = 日本で言う蚊取り線香)に火をつけて皿の上に置いていた。

彼女は煙を手で仰ぎながら、「ここから歩いて直ぐのビーチに Luna Park(ルナパーク)と言う小さな遊園地があるんだけど行って見る?」と俺に言うのだった。

そして、放心オネエの俺は言われるがままに彼女についていったのである。


つづく

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