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【連載小説】絵具の匂い 【第1話】懐かしい匂い

あらすじ
ある日本人の男が、最初は放浪旅行のようなつもりで訪れた国にひょんな事から住み着くことになり、様々な心温かい人達や一癖あるけど憎めない人達と出会い、時に驚き、時に喜び、そして時に少し傷ついたりしながら、徐々にその国に溶け込みながら人間的に成長していく(成長していってるつもりの)、楽しくもちょっと悲しい出会いと別れの物語です。
今回の全12話は、その男が移民第二世代(親が移民)の女性と出会い一緒に過ごした時期の話が中心です。

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絵具の匂い【第1話】懐かしい匂い

ある匂いを嗅いだ瞬間に、ふと忘れていた昔のことを思い出す。

思い出すのはどこかの国の景色だったり、昔よく行った建物やお店だったりもするが、大概は誰かの顔を思い出す。そしてその時の気持ちも一緒に思い出す。

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昔の話になるが、小学校に上がる前の幼い子供をつれて代々木公園によく行っていた時期がある。その良く晴れた春の日も、ワゴン車の後ろにギターを一台と、子供用サイズのミニギターも載せて代々木公園に向かった。そしていつもの北参道側の駐車場に車を止めると、そのギター二台を担いで「棒屋」と看板のある公園内の売店に続く坂を上った。

代々木公園はいつも思い思いのことを楽しむ人で賑わっている。自転車やローラースケートで公園内の路をのんびりと回遊する人達。大きな音でバグパイプやトランペットを吹き続ける人。何人かのグループで一生懸命ダンスの練習をする女の子達。フリスビーを投げる人とそれを追ってCMのように空中でキャッチする犬。

私達も「棒屋」で飲み物を買って公園を一周散歩してから、噴水の近くのベンチに腰を下ろして一緒にギターを弾いた。まだ小さかった我が子も、週末に公園でギターを弾く私を見て、見よう見まねでギターが弾けるようになっていた。

親子で並んでギターを弾いている様子が微笑ましいのか、一眼レフを持った外国人がその様子をカメラに収め、こちらに親指を立てて見せたりしている。公園の隣の NHK の方からは何かのイベントの大きな音が聞こえてくる。

渋谷や原宿側に出ると人が多くて落ち着かないが、代々木公園の中、特に喧噪から離れた西側は、いい具合の人の量だ。公園にいる人々は一様に文化的な感じがする。楽器の練習、運動の練習、ダンスの練習、歌の練習など、とにかく何かの練習をしている人が多い。この辺りを散歩をしている人達も、刺激的な都会の雑踏よりもそんな穏やかな空気を望む人達だろう。

代々木公園と並んで有名な東京の公園のひとつである吉祥寺の井の頭公園も文化的だが、そこで活動する人達は大概「人に見せる」ために作品を並べたり、楽器を弾いたり、芸を披露したりしている。そして公園を訪れる人もそれを目当てにやってくる。

その点、代々木公園の人達はそこで人に見せることは考えていない。どこか別のところで見せるために練習する場なのだ。そこがこの二つの公園の大きな違いだろう。

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しばらく楽しく話をしながら二人でギターを弾いていたが、お昼時になり腹が空いてきた。表参道の向こうのNHK側に屋台が集まる場所があったなと思い子供と手をつなぎ歩いていくと、噴水の横を通る時にふと懐かしい匂いがした。その瞬間、頭の中にしばらく忘れていたある人の顔が浮かんだ。

辺りを見回すと美術系の大学生と思しき一団が目に入った。

(油絵具か、この匂いを嗅ぐのは何年振りだろう)
そう思いながらもう一度深く息を吸ってみると、溶き油の独特の匂いと一緒に、絵の具で汚れたセーターを着た女性の姿とその横でそれに負けず冴えない恰好をした自分の姿が頭に浮かんだ。

もうあれから何年経ったのだろうか。俺はなんだか急に胸が締め付けられるような思いにかられて、子供の手を握ったまま立ち止まった。

俺は、噴水を囲むようにイーゼルをならべて絵を描いている学生達の姿を見ながら色んなことを思い出していた。俺の子供は、噴水の方を見ながら黙って立ち止まったままの俺の顔を見上げて「きれいだね」と言った。俺が噴水に見とれて立ち止まったと思ったようだった。

俺は腰をかがめ子供の耳元で、
「なあ、この匂い嗅いだ事あるかい?」
と聞いて見た。

すると子供は俺の耳に小さな顔を近づけて
「なんか、ちょっとへんなにおいだよね」
とひそひそ声で答えた。

絵を描いているお兄さんお姉さんに悪いと思ったのだろう。

「おとうさんは、このにおいすき?」
「昔、ずっと嗅いでいたら好きになったよ」と俺は答えた。

***

俺がこの匂いを初めて嗅いだのは多分25か26の頃だったと思う。知り合ったばかりの友達のアパートに初めて遊びに行った時だろう。その友達はそのころ多分20歳そこそこで、チャイナタウンでアルバイトをしながら公立大学の美術科に通っていた。

俺はその年に通い始めた大学院にやっと慣れ始めたところだった。異国の大学院での英語での勉強は毎日気が遠くなるほど大変で、俺はそれまでやっていたアルバイトを全部やめて勉強に集中していた。なんせ毎日夜中まで準備しないと全くついていけないのだ。

だが高い学費を払ってしまいもうほとんど手元に金がない状態だった。そこで俺はセーフウェイ(地元スーパー)に行ってプラムだけを山ほど買ってきて、それを毎日の食事替わりにしていた。

俺の住んでいた街では何故か異常にプラムが安くて、数ドルあれば大きなビニール袋に一杯買えるのだった。成分的には水を飲んでいるのと変わらないような感じだったのかも知れないが結構腹の足しになった。しかもパンの耳なんかをボソボソ食うよりはオシャレな感じがしたし、第一に美味しかった。

そんな時に知り合いになったその美大生に、毎日プラムを食べていることを笑い話のつもりで話したら、哀れに思ったのか週末に暇ならアパートに遊びに来いと誘ってくれたのだった。

俺はその週末に、遠慮なく教えられた住所に行った。約束の時間より少し早くついたので建物を一回りして見た。海が近いせいか黒い塗装がところどころ剥げかけて年季の入った大きな家のようなアパートだった。

近づいて入口の黒塗りの木のドアを見ると手書きで、
Give a big knock!(大きな音でノックしてね)
と書いた紙が貼ってあった。俺はその指示に従いドアを大きな音で叩いた。

しばらくシーンとしていたが、やがて薄暗い玄関の奥に人の気配がした。

しばらくすると髪を後ろに束ねニットのヘアバンドをつけた彼女が出てきて俺を迎えてくれた。外から差し込む光だけを頼りに玄関に入ると、ミシミシと木の軋む音のする廊下を通り、建物の一番奥の共同キッチンに通された。

このキッチンも何故か壁が黒塗りで、備え付けられた大きな冷蔵庫やオーブンもだいぶ古びていたが、全体的に清潔で居心地が良さそうだった。

料理の準備をしていたがキッチンが玄関から遠く、来客(俺のこと)に気が付かないといけないので張り紙をしておいたのだと言う。

その共同キッチンはそこそこの広さがあり、中央には何人かが一緒に食事ができる大きなサイズの古い木のテーブルが置かれていた。住人の多くはこのキッチンを通って自分の部屋に行くようだった。俺たちがしばらくコーヒーを飲みながら話をしている間にも何人かの住人がキッチンを通っていった。

しばらくして彼女が、そろそろ何か作ってあげようかと言い料理を作り始めた。俺が日本人だから米が食べたいだろうと思ったのか、キッチンで戸棚から米の袋を取り出すと何かを作り始めた。

俺はコーヒーを飲みながらそれを横で見ていたのだが、なんだか作り方が妙だった。ナベで米を煮るとそれをザルに空けてお湯を切っている。それを何かと混ぜて、何かをかけて出来上がりという感じのような豪快な料理だった。

その作り方のインパクトが強くて、食べた時のことを全く覚えていない。味も覚えていない。きっと無難な感想を考えることで精一杯だったのだろうと思う。 

その他にも食べたことのないようなものを幾つか作ってくれたような気がする。しかし、わざわざ慣れない材料で料理を作ってくれたことがとても嬉しかったことは良く覚えている。

飯を食い終わり俺が It was really good.(とても美味しかった)と言うと、彼女は You don't have to be nice …… but, I'm glad you liked it.(無理しなくていいよ …… でもそれならよかった)と言ってニコッと笑った。

そして彼女は自分の部屋を見せてくれた。共同キッチンの横の細い階段を上がった小さな部屋だった。部屋に入ると壁際に立てかけられたたくさんのキャンバスが小さな窓からさし込む光に照らされていた。部屋の中は、床に敷かれた絨毯のアンティークな匂い、悪く言えばややカビ臭いような匂いと、油絵具の匂いが交じり合っていた。初めて嗅ぐ匂いだった。

彼女は部屋に入り窓際においた小さな植木鉢にキッチンから持ってきたコップで水をかけると、俺に椅子にかけるようにすすめてくれた。俺は部屋をちらっと見渡したが部屋には椅子が一つしかないようなので、靴のままカーペットの上であぐらをかいてキャンバスの前に座った。

(ビートルズの曲にも、彼女に座るように言われて見渡したが椅子がないので絨毯の上に座ったというような歌詞があったな、なんて曲だっけ)

そんな事を考えながら、俺は壁に立てかけてある絵を見た。俺はその頃は絵のことなど何もしらず、その良し悪しも判らなかった。

俺は、そのまま黙っているのもなんとなく居心地が悪く、彼女に
You painted this yourself?(これ自分で描いたの?)と聞いた。

そりゃそうだろう。自分でも気の利かない質問だったと思う。でも彼女は、出しっぱなしになっていた絵の具のついたセーターを片手で片付けながらこちらを見ると、照れくさそうな顔で
Yeah, I’m not good yet, though.(うん、まだ、下手だけどね)と答えた。

そして、俺に向かって Do you like paintings? (絵は好き?)と聞いた。


つづく

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本作は7月中旬に締め切りの「note 創作大賞 2023」への応募作品です。
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【第1話】懐かしい匂い
【第2話】多民族社会
【第3話】哀愁のルナパーク
【第4話】黒オリーブと世話好き夫婦
【第5話】インドの神様に御馳走になった昼ご飯
【第6話】車の上のマットレスと黒い家
【第7話】黒い家と運転免許と私
【第8話】イタリアン大豪邸の小さな車
【第9話】砂漠の向こうに母をたずねて一千里
【第10話】マリアの涙とミイラ男
【第11話】火を運ぶ鳥
【最終話】ファストカー


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