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【連載小説】絵具の匂い 【第7話】黒い家と運転免許と私

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絵具の匂い 【第7話】黒い家と運転免許と私


こうして、St. Kilda(セントキルダ)の「黒い家」での俺の新しい生活が始まった。

多様性の黒い家

その古ぼけた大きな3階建ての黒い家はシェアハウス型フラットで、各階に共同のキッチンやバスルームがあるので、否が応でも他の住人との付き合いを余儀なくされた。住人の世代は子供から高齢者まで、世帯は独身者から家族までバラエティに富んでいた。この国自体がそうなのだが、様々な文化背景を持つ人が住んでいるので、ちょっとインターナショナルな寮で生活をしているような感じでもあった。

日本にいる時に学生寮に住んだことがあるが、この黒い家での生活もどこかそれを思い出させるところがあった。学生寮には日本各地から学生が集まっており、そこで同じ地方の出身者がお国言葉で話すのを聞いて色んな方言や地方文化を知ったり、各実家から送られてきた名産品などをごちそうになり初めて触れる珍しい食べ物のファンになったりしたものだった。この黒い家はそれが世界規模になったような感じだった。

英語以外の言葉も話す人も多く、そんな人の英語はどこか少し訛りがあって、生活習慣や食べ物の好みも違うのだが皆それを個性として認め合い楽しんでいるところがあった。今で言う「多様性の尊重」というやつだろう。色んな国から来た人がそれぞれの国の文化を、悪く言えば引きずり、良く言えば大切にしながらこの国に溶け込もうとしていた。俺もその一人だった。

ただ、異国文化ばかりが変わっているかというとそうでもなく、オーストラリア人の行動でも「おおお!」と思うものがあった。ちょっとびっくりしたのは、数人で酒を飲んで話が盛り上がっている時にトイレに行きたくなった女性が、トイレに入ったはいいが、ドアを半開きにして皆の話を聞いていた事だった。そして、自分に関わりのある話題になると大きな声で話に加わろうとしていた。

「おおお! すげえな! はずかしくないんか? 」と俺は思ったが、周りの人がそれほど気にせず話を続けていたので、「おおお? まあ、そういうもんなのかもなあ」などと無理に自分に言い聞かせて俺も話を続けていたのだった。平静を装いながら内心では結構驚いていた。

その時は「単にこの人がそういう大胆な変わった人なのかな」などと思ったのだが、その後も何人か、同じような事をする女性に出くわした。
(となるとこれは個人の問題ではなく大らかなお国柄なのか?)
その時には疑問に思ったのだが、二回目以降はそれほど驚かなかったし、もう色んな事に麻痺していたのか結局は確かめなかったことを今思い出した。もしも「私も閉めない人を知っている」または「私も閉めない」という人がいたらこっそり教えて欲しい。

また、この家に住む人は職業も様々だった。ここに住んだおかげで随分世界が広がった。大学院で付き合いのある人間はどちらかと言うとホワイトカラー寄りでそれなりに堅い生活を送っている連中だったので、逆に言うとそれほどその生活ぶりに驚かされることもなかった。

しかしこの家に住む人達、特に若い人達には、「今は仮の姿でそれほど豊かじゃないけど、いつか何者かになる予定なので夢いっぱい」という感じの人が多く、その伸び伸びとした生き方にはとても刺激を受けた。セシリアの通う美術大学の学生やいわゆるアーティストの友人とも会うようになったがどちらかというとその種のメンタリティで生きている人が多かった。

そんな様々な人々と近い距離で生活することで、それまで凝り固まっていた自分の中の価値観や常識も(偏見も)どんどん変わって行ったように思う。

仕事再開

その頃には俺もある程度大学院生活にもなれてきていたので、少し働くペースを上げて見た。実はこの国に来たばかりの頃、おっかなびっくりツアーガイドのバイトをやっていたのだが、それを再開してみたのだった。この仕事は事前に申請しておけば好きな日に働けるので都合が良かった。

しばらくやっていなかったガイドの仕事だったが、大体の流れは覚えていたし、この国での生活も長くなり話のストックも増えていたので結構楽にこなすことができた。

こちらで本格的に生活を始めた頃は「せっかくこの国に来たのだから」と気負って頑なに日本語を話す機会を避けていたのだが、もうその段階も過ぎていたようで、普段あまり話す機会がなくなっていた日本語を話すことも楽しめた。日本からの旅行者には気さくな方も多く、そんな方々とのコミュニケーションを楽しみながら仕事をする余裕も出てきていたのだった。

ある時アテンドした日本からきた御夫婦などは、旦那さんが愛すべき生粋の日本のお父さんと言う感じで、久々に聞く古い日本語のボキャブラリーがとても新鮮だった。太陽をお天道さん(おてんとさん)、傘の事は蝙蝠(こうもり)、レインコートは合羽(カッパ)と呼ぶと言う具合だった。

そして、晴天の朝に「いやあ、ガイドさん、今日は日本晴れですなあ!」などというのである。俺は声には出さないが心の中で(お父さん、ここ日本ちゃうで)とつっこんでいた。

そして、優しいオーストラリア人の女性を見て「外人さんにしては大和撫子ですなあ!」なんていったりする。もちろん俺の心のつっこみは(なんで大和やねん)である。

しかし、夕飯に出て来たロブスターの刺身を食いながら「豪勢な伊勢海老ですなあ!」と言うのを聞いた時は思わず笑ってしまい、無粋だと思いながらも「伊勢で取れたんじゃないですけどね」と言ってしまった。すると、お父さんも楽しそうに、「そう言われりゃそうですなあ!」とまた「ですなあ砲」を発射するのだった。こういう周りが明るくなるような人の相手は楽しい。

こんな調子で、ツアーガイドの仕事は結構気分転換にもなる上に稼ぎも良く、数カ月経つと経済的にも安定してきた。普段は忙しかったが、週末にクイーン・ビクトリア・マーケット(南半球一番大きな市場)にトラムで行き、野菜や魚介類を買いこみ、ビールを飲んで帰ってくるというような人間的な生活もできるようになってきたのだった。

クイーン・ビクトリア・マーケット(近影)

そして、毎週末に通ってタダ飯をごちそうになっていたあのハレ・クリシュナにも行かなくて済むようになった。卒業である。

おいしかったハレ・クリシュナ。お世話になったハレ・クリシュナ。ありがとう、ハレ・クリシュナ。

***

しかし普段は学校と掛け持ちで結構時間一杯にスケジュールを詰め込んでいるので色んな事が破綻しそうになる。疲れて泥のように寝て、「おお、これから行ったらギリギリじゃん」という時間にあわてて目を覚ますようなことも多くなった。

でも使っているのは公共交通機関なので「本当にこれはヤバい」という事態になることもある。そんな時はもうヒッチハイクしてしまうこともよくあった。若さというのは恐ろしい。信号で止まっている車に手を振って、運よく窓を開けたら頼み込んでシティまで乗せてもらうのだ。これ私服のアジア人がやってたら多分そもそも車の窓を開けてくれないと思うが、幸運なことに一応ガイド仕事の時にはネクタイを締めていたので「どしたの?」と反応してくれる人が多かった。

また、銃のないこの国では、その頃は皆優しく、昔の日本の田舎に通じる大らかさがあったように思う。ある時は神父さんの車に乗せてもらったこともあった。その時は、娘が日本人と結婚したとのことで、俺が日本人だと言うとなんだか随分親切にしてもらった記憶がある。また、この国は小学校や中学校で日本語を教える学校も多く、そんなところも親日家が多い理由だった。

しかし、いつまでも緊急時にヒッチハイクしているわけには行かない。俺はその頃から本気で自分の車が欲しいと思い始めた。そこで俺は更に馬力をかけて働き出した。中古車入手プロジェクトの開始である。

俺は妙にヤル気を出して、並行して TattsLotto(タッツロット)という宝くじも買ったりしても見たが、これは当たらなかった。日本で言うロト6、ロト7みたいな自分で番号を選んで買う宝くじで、みんなが買っていた。今でも多分超人気なのではないだろうか。

まずは運転免許証

さて、まずは運転免許である。日本から持ってきていた国際運転免許証は既に期限が切れていたので、俺は日本の免許証を現地の免許証に切り替えた。これまたお役所相手なので色々調べるのに苦労したが、そこはヤル気を出した男、なんとか情報を入手し手続きをしたのだった。切替作業自体は書類申請と筆記試験だけだった。俺は地元の教則本を読んで試験には無事に一発合格した。この辺の作業は早い。さすがヤル気を出した男である。

日本では自動二輪免許も持っていたが、ここでは自動車免許を持っていると自動的にバイクにも乗れるようで、発行された免許にはバイクについては何もかかれていなかった。

しかしどうでも良いのだが、国際運転免許証というのはなんであんなにデカいのだろうか。そして何故か灰色のボール紙でできている。なんとなくトイレットペーパーの芯を思わせる材質である。それに比べて発行されたビクトリア州の運転免許はパウチっぽかったもののクレジットカードサイズでスマートだった。

パスポートよりデカい国際運転免許証(令和の今もこのサイズ)

後日送られてきたビクトリア州の運転免許証、有効期限は10年後となっていた。「え、そんなにいいんですか」という感じだが、これはありがたい。

さて、無事に現地の運転免許証を手に入れた俺の次の使命は中古車を手に入れる事だった。


つづく

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