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伝説の剣のある地〜サンガルガーノ〜

帰国が数日後となったある日、「アイ、明日は私と遠足よ」とNovellaがいう
明日は平日なのに、仕事休んで?と思ったが、何も聞かず「Sì(はい)」と答える

この滞在中、Novellaたちは写真を撮る私のために「写真を撮るのにいいところ」へいろいろと連れて行ってくれた 


☆Novellaと2人


10年ぶりの再会が1ヶ月の滞在 
長いかなと思っていたら本当、あっという間だった

私のイタリア語のできなさ加減に自分で嫌になるが、そんなことは気にせず接してくれたNovella なんだろう、結局、人間同士、最終的には「言葉」なんてなくとも通ずることって少なくない

楽しい時、寂しい時、悲しい時、側にいてくれるだけで充分

ってことを実感した滞在だった

Novellaの車で片道1時間半ほどのドライブの間も私はほとんんど、長文の会話はできていなかった(笑 それでも楽しかった

☆Abbazia di San Galgano(アッバツィア・ディ・サン・ガルガーノ/サン・ガルガーノ修道院跡)


「天気が良かったら今週末行こうね」と言われながら行けていなかったサン・ガルガーノ修道院跡へようやく行けたこの日

朝まで雨が降っていたし、道中も雨に降られたが到着したら雨が上がった

遠目に見ても大きな建物「サン・ガルガーノ修道院跡」

なぜ「修道院跡」と「跡」がつくかというと、現在は廃墟となっているからだ

放置された時期もあったが、廃墟とはいえ現在は管理されており、拝観料が必要(管理・保存していくために拝観料はなくてはならないだろう)

場所はトスカーナ州シエナ県キウズディーノにある
修道院の名前にある「ガルガーノ」は、このキウズディーノ出身の貴族の出身で、勇敢な騎士「ガルガーノ・グイドッティ」の名から

言い伝えによると、グイドッティがある日落馬した際に、大天使ミカエルより「物欲を捨てよ」と啓示を受け、裕福な生活も棋士という名も捨てて、シトー派の修道士となり、1181年に隠者としてこの世を去った

このサン・ガルガーノ修道院は13世紀に建造され大繁栄したが、15世紀には徐々に衰退していき、1768年に屋根が崩壊、1781年に残っていた回廊も崩壊、その後1786年落雷によって鐘楼が崩れてしまった

屋根が修復されることはなく廃墟となり、今では「屋根のない修道院」と呼ばれている

廃墟となってもなお残る側廊のアーチは美しく、元の修道院はどんなだったのだろうと思い巡らせる

繁栄していた頃は屋根はもちろん、床にもあっただろうしいろんな装飾がなされていただろう

主祭壇があったあたりで天を仰ぐと大きな十字架が現れる

角度によって見え方が異なる

雨が上がり青空の十字架を見ることができた 季節のいい時は観光客で賑わうらしいが、この日は気づいたらNovellaと2人だけの時間もあって貸切状態でゆっくりと拝観することができた

一つ残念だったのは建物が大きいので自前の一眼レフのレンズでは全容をとることができず、スマホの広角モードで撮ってこの投稿している写真となること
実物は息を飲むほどの迫力と美しさだった

外へ出て裏から見た建物

☆Cappella di San Galgano a Montesiepi(カペッラ・ディ・サン・ガルガーノ・ア・モンテシエピ/モンテシエピ礼拝堂)


サン・ガルガーノ修道院跡から少し歩いたところにあるモンテシエピ礼拝堂へ行くことに

緩やかな上り坂が1番に疲れるのよ(笑

初秋のトスカーナの山道、どんぐりを踏みしめながらNovellaと歩く
息が切れ切れのところで到着 裏側からきたので前へと回り込む

モンテシエピ礼拝堂のファサード、アーチの部分が紅白になっていて可愛らしい
手前の箱型と背後の円筒形、鐘楼と立体の組合わさった感じも

可愛らしい見た目とは裏腹にここには「アーサー王物語」に出てくるエクスカリバーのように実際に岩に800年以上突き刺さったままの伝説になっている剣がある

入り口ではニャンコのお出迎え

礼拝堂の中も壁が紅白のボーダーになっていて可愛らしい印象

礼拝堂中心にその「伝説の剣」はある

言い伝えによると大天使ミカエルから「物欲を捨てよ」と啓示を受けた時、グイドッティは「それは岩に剣を突き刺すくらいに難しいことだ」と反発し、本当に岩に剣を突き刺そうとしたところ、岩がまるでバターになったかのように簡単に剣が突き刺さったのだとか

奥深く、見事に突き刺さった剣

それ以来、グイドッティは啓示に従い、剣を突き立てた場所にこのモンテシエピ礼拝堂を建立し、剣を「十字架」に見立てて祈りの日々を過ごした結果、死後にローマ法王によって「聖人」に序せられたのだとか

長きにわたり、この剣は「アーサー王伝説を模倣した作りもの」とされていきたが、2000年に入り放射性炭素年代測定法による調査で西暦1100〜1200年頃のものということが判明 「アーサー王伝説」を模倣したのではなく、「アーサー王伝説」のモデルになったのか?

礼拝堂の風貌からは想像もつかなかった「伝説の剣」の他にも礼拝堂はこぢんまりながらも見どころがあった

礼拝堂脇の小さな礼拝スペース

振り返ると入り口から光が差し込んで神秘的だった

帰りもニャンコに見送られながら、モンテシエピ礼拝堂を後にした

※ネットでいろいろ情報を集めて本投稿を綴っているので、誤りもあるかもしれないがご容赦を※

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