見出し画像

なぜアミはnoteを書いているのかって話

Twitterの私のアカウントを見ると
よく人は「やっぱお前変だよね」と言う。

毎日欠かさず日記をつけていると
「本当にマメだよね」と言われる。

旅行先で空や天井、
コンセントとか照明とか
あちこち沢山写真を撮っていると
「それなんの意味があんの」と言われる。

多分私は、
「今を残しておきたい」
という気持ちが人より強い。

今は今しかない。
常にそう思いながら過ごしている。

Twitterでパッと思いついたことを投稿するのも
日記で毎日の生活を記録しているのも
何気ないモノをいちいち写真に収めるのも

この今の私の感情とか、目の前の場面を
少しでも鮮明な記録として
残しておきたいからだ。

だって
今私の目の前にある目玉焼きは
あと数分後には跡形もなくなり、
もう二度と同じ目玉焼きには出会えない。

劇場を出たときのあの高揚感と余韻を
必死にノートに文字で残しても
二度とよみがえらせることはできない。

遠出をして見たあの景色を
超高性能なカメラで写真に残しても
もう二度と見ることはできない。

だからこそ数十年後の私に伝えたいと思う。

アミが21歳のときは
何をみて、何を感じ、何を考えていたのかを。

嵐の「明日の記憶」という歌がある。

あの日 君と見ていた
夕焼け 永遠にしたくて
記憶の中 手を伸ばして
何度も触れようとするけれど
同じ景色も気持ちも
二度とは取り戻せないから
輝いてた過去の夢を
振り返ってしまうんだろう

めぐりめぐる季節の中で
何色の明日を描きますか?
強く強く信じあえたなら
何色の未来が待っていますか?

私は、私にしかない色で明日を描きたい。
だから私は今、こうしてnoteを書いている。


この前の2月。
東京都美術館の「吉田博展」に行った。

版画によって、世界中の風景が
物凄く美しく切り取られていた。

絵をよくみると
空が赤かったり、水が紫だったりする。

リアルに細かく風景が再現されているようで
ところどころがリアルじゃない。

より美しく、目の前の情景を
後世に残すにはどうしたらいいのか
計算されつくした作品が
あのとき私の目の前にはあった。

美術館で世界中の風景をみて
まるで旅したような気分になったと同時に、
こうやって風景や心情を残すって
とても素敵なことだと感じた。

人間というのは本当に愚かな生き物だ。

毎日たくさんのものを生み出しては捨てを繰り返す。
美しいものを探求し続けている。

けれど、人が本能的に美しいと思うものは
もうすでに私たちの身近にあって。

海、森、空、草花。
ちょっと目線を広げるだけで
今、美しいものを目の前にすることができる。

そうして見つけた美しさを、
残しておきたいと思うのが人間で。

必死に写真を撮ったり、
文章を書いたり、
絵を描いたりして、

より美しく、より自然に近く、
よりありのままを残そうとする。

そんなの無理なのにね。

無駄なことなのにね。

けれど、できる限り鮮明に今を残したい。

絵は描けない。いいカメラもない。
私の感情は文字じゃないと表現できない。

だから私は、今こうしてnoteを書いている。


今日から、東京でオリンピックがはじまる。

たぶん人それぞれ様々な感情を抱えながら
開会式の時間を迎えている。

きっと、数十年後聞かれることだろう。

「東京オリンピックって楽しかった?」

私は、今目の前で始まろうとしている、
歴史的なイベントにきちんと向き合おうと思う。

どこで、どんな情報を得て、
どう解釈して、どう感じたのか。

簡単にいろんな角度から
情報を得ることができるようになった
現代だからこそ、
自分の考えっていうのを大切にしていきたい。

きちんと自分の記録として
私なりの方法で
手元に残しておこうと思う。

そして、
数十年後の自分に伝えてあげたいと思う。

あのときのアミは、
こう感じていたんだよって。

だから私は、今日もこうしてnoteを書いている。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

私の勝負曲

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?