第57回:「虎」にならないために大切なこと
こんにちは、あみのです。今回の本は、中島敦の名作『山月記』の「乙女の本棚」シリーズ版です。教科書でもおなじみの名作がこのシリーズにもあったので、読んでみました。
「虎」に変貌してしまった李徴が、この姿になったからこそ気が付けたこととは何かを考えながら読みたい1冊です。また、イラスト担当のねこ助さんが描く動物たちのもふもふぶりにも注目です!
あらすじ(巻末の既刊紹介より)
「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
袁傪は旅の途中、旧友の李徴と再会した。だが美少年だった李徴は、変わり果てた姿になっていた。
感想
本当は、先ず、この事の方を先にお願いすべきだったのだ、己が人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。
大切な人を守ることよりも、詩作に専念しすぎてしまったため、「虎」の姿になってしまった李徴。彼は「人間」の心を少しずつ失っていき、「獣」としての本能が目覚めていきます。
私もひとつのことに夢中になり過ぎてしまい、「今、1番すべきこと」に気付けないときがあります。なので、李徴が好きなことに専念し過ぎてしまい、大切なことに気付くのが遅くて後悔する気持ちにはとても共感しました。
『山月記』は、私のように「ひとつのことに夢中になってしまいがちな人」へ特におすすめしたい名作だと、読んでみて思いました。
人間誰しも、「獣」になりうる心は持っているのだと思います。李徴のような感情のままでいたら、もしかすると自分も「虎」になってしまうかもしれません。この物語は、虎にならないためにはどんな考えが必要かを教えてくれます。
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自分の才能に溺れ、虎の姿になった李徴は、親友の袁傪と再会します。この再会が李徴の過ちに気が付くきっかけにはなりますが、獣の本能によって人間を傷つけることを恐れた李徴は、自然界で虎として生きることを選びます。
自らの過ちが生んだ親友との別れのシーンは、なんとも言えない切なさが漂っていました。虎として生きることを選んだ李徴だけでなく、もう「人間」として李徴と関わることができない袁傪側の悲しい感情も心に刺さりました。
(乙女の本棚シリーズで読める名作、結構切ない、儚いという感情の結末が多いですね。)
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絵本という形で『山月記』という作品とじっくり向き合えたことが、私にとって大きな収穫でした。李徴のようにならないために、物事をよく考えて行動できるように私もなりたいですね。不思議な設定から学ぶことも多かった名作でした。
最後に、今回も私の感想文を読んで頂き、ありがとうございます!
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