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第2回「誰にむけて書くのか」

「文章の書き方」
編集&ライティング歴40年ほどのフリーライター。120冊以上の書籍化でライティングを担当。
このnoteでは、誰でも文章が上手になるコツを伝えようと思います。特に順序立てて書くわけではありませんので、どの回から読んでいただいてもかまいません。また何回のコーナーになるかも決めておりませんので。暇な時に拾い読みして、参考になる部分だけを実践してみてください。


誰にむけて書くのか

読み手を想像して

 文章には書き手がいれば、そこに読む人がいるのが当たり前です。自分勝手な落書きでもない限り、読んでくれる人がいればこそ、書く甲斐があるというもの。誰も読んでくれない文章を書いたところで、そこには書く喜び、誰かに伝える喜びは生まれません。たとえ最初は 自己満足のために書き始めたとしても、やっぱり誰かに読んでもらいたいと思うものです。
 文章を書くときには、常に読者と言う存在を意識しておかなくてはなりません。誰に何を伝えたいのか。的確に伝えるためにはどのような文章を書くべきか。この感覚がなければ、それは単なる自己満足に終わってしまいます。

理解される文章であるかどうか

 では、読者を意識するとはどういうことなのでしょう。たとえば、大人に読ませるのか、あるいは子供に読ませるのかで、文章は変わってきます。一般的には、大人になればいろんな表現を身に着けています。まあいつもの会話で交わされる単語を使えば伝わるでしょう。 ところが子供を読者に考えたときには、大人と同じような表現をしても伝わりません。すなわち理解できないわけです。まあ中学生くらい になれば理解力も高くなってきますが、小学生ではまだまだ知識も少ないでしょう。
 たとえば「この頃の父は仕事が忙しいらしく、憔悴しているように思う」という文章があったとします。大人であれば、普通に理解する ことができる一文です。しかし小学校の3年生や4年生ではこの文章の意味はわかりません。となれば、小学校の3年生に向けてこの文 章を書いたところで、それは意味をなさないのです。そこで小学生でも分かるような文章に書き変えなくてはいけません。
 まずは「憔悴」という単語を優しくしなくてはなりません。辞書で「憔悴」という言葉を引くと「心痛や病気のためにやつれていること 」と書かれています。これもまた大人では理解できますが、小学生には「心痛」も「やつれている」もわかりません。そこでこの文章を小学生に向けて書くとすれば、「この頃お父さんは、仕事が忙しいみたいで、寝不足が続いているみたい。日曜日にはゆっくりと寝かせてあげたいね」という書き方をすれば、小学校一年生の子供たちにも分かるでしょう。
 このように、文章を易しく書くということは、意外と簡単ではありません。しかし、易しく分かりやすい文章を書く練習をすることは、文章の上達への近道でもあるのです。大人になると、つい文章を書くときに恰好をつけたくなります。ちょっと難しい表現をしてみたり、難しい単語をたくさん使ってみたりする。でも、そんな文章は相手には伝わりにくいものです。小学校の低学年とまではいかなくても、少な くとも中学生が読んでも分かるような文章を心がけること。中学生レベルなんてと思われるかもしれませんが、中学生ともなれば新聞を読 む力も備わっています。大人とそれほど変わらないくらいの理解力はもっているのですから。

絵本は客観性とともに作られている

 少し話は変わりますが、子供向けの絵本をつくることに憧れをもっている人は多いのではないでしょうか。可愛らしく夢のある子供向け の絵本づくりに関わりたい。そんな希望から出版社を目指す人もたくさんいます。
 しかし実は、出版のなかでも子供向けの本をつくることは、大人の書籍をつくることよりも難しいとされています。もちろん子供の感性 を理解して、子供たちの興味を引き出すことも難しい作業ですが、それ以上に難しいのは、どのような単語を使い、どのような表現をするかが簡単ではないのです。
 たとえば小学校3、4年生むけの本をつくるとします。そうなると、まずは小学校3年と4年で習う漢字や単語をすべて把握しておかな くてはなりません。小学校の5年生で習う漢字を使えば、それは「小学校3,4年生向け」にはならないからです。
 もちろん漢字や単語だけでなく、この文章がはたして彼らに理解できるか。子供たちの心に伝わるか。それを客観的に判断しながら編集をしていかなくてはなりません。そういう意味で子供向けの絵本の編集は、何となく夢のある仕事のようにも見えますが、その現場では相当に理性的で客観的な作業が繰り返されているのです。これもまた、「誰が読むのか」を考えることの大切さを表わしています。

「丁寧」=「基本に戻る」

 どのような読者を意識して書くのか。それは年齢や性別、あるいは職業や趣味によっても変わってくるでしょう。自分と同じ職業や、あるいは立場の人に向けた文章は書きやすいものです。少々言葉足らずでも、同じ環境にいれば相手には伝わります。しかし職業が違った り、置かれた環境が違った人に向けて書くには、できる限りその人のことを考えながら書かなくてはなりません。
 これは一般の会社で働く人にも言えることです。たとえば毎年春になれば新入社員が入ってくるでしょう。新入社員たちには当り前ですがもっている知識は少ないでしょう。仕事上の書類を先輩から渡されたとしても、その内容をにわかに理解することも難しい。一方の先輩社員からすれば、こんなことは知っていて当たり前だと思っています。自分が新入社員だったころのことをすっかり忘れているようです。 たとえば新入社員が入ってきたときには、できるだけ丁寧な文章を提示してあげることです。それは新入社員のためだけではありません。 丁寧な文章を心がけるという事は、基本的なものに目を向けるという事。すなわち、丁寧に説明することによって、自らも基本に戻れることができるのです。会社でいわゆる「仕事ができる人」というのは、常に基本的なものを大切にしている人とも言えるのです。

誰の心にも読者あり

 さて、もちろんすべての人を対象にすることはなかなかできるものではありません。たとえば新聞などは、中学校を卒業した人であれば 読める内容ということになってはいますが、それさえもなかなか100%ではないでしょう。万人が読める文章というのは難しいものです し、ましてそういう文章を心がける必要もありません。ただ、文章を書くときには、常に自分なりの読者を想定しておくことです。誰に何を伝えたいのか。文章はそこから始まるのです。
 何十年も日記を書き続けている人もいるでしょう。自らの行動や精神を振り返ったりするために文章を書く。それはすばらしいことだと 思います。しかし日記と言うのは、基本的には誰かを意識して書くものではありません。つまりは読者の存在しない文章なのです。文章の上達という面からすれば、読者を想定しない日記を20年間書き続けても、残念ながら文章は上達しません。そういう意味で日記の文章は 、少し特別かもしれません。

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