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第1回「文章は感性で書くの?それとも理性で書くの?」

「文章の書き方」
編集&ライティング歴40年のフリーライター。120冊以上の書籍化でライティングを担当。
このnoteでは、誰でも文章が上手になるコツを伝えようと思います。特に順序立てて書くわけではありませんので、どの回から読んでいただいてもかまいません。また何回のコーナーになるかも決めておりませんので。暇な時に拾い読みして、参考になる部分だけを実践してみてください。


文章は感性で書くの?それとも理性で書くの?

苦手意識の正体

文章を書くのが苦手という人がたくさんいます。苦手意識というものが染みついているのでしょう。考えてみれば、私たちは日々に文章
を書いています。友人とメールを送り合ったり、仕事上でも連絡事項などは常に文章としてやりとりしています。これほど日々に文章を書
いているのに、どうして文章にたいして苦手意識を持つ人が多いのでしょうか。
 では、皆さんが苦手だと思い込んでいる文章とはいったいどのようなものなのでしょうか。たとえば日常的にやりとりしているラインなどというのは、いわば会話における挨拶みたいなものでしょう。「こんにちは。元気ですか」「今日は暑いね」「今度の休みにどこかに行こうよ」などなど、考えなくとも出てくる言葉みたいなものです。
 そんな簡単な挨拶ではなく、会話のなかでも相手にこちらの考え方を示したり、あるいは何かの説明をしたりするのが、いわゆる文章なのだと思います。
 たとえば仕事の中で「今回はA案でやりたいと思います」と、相手に単純な意思表示をする。これは言ってみればラインでのやりとりみたいなものです。ではどうしてA案でやることに決めたのか。そのプロセスや決定材料の説明をする。これが文章を書くことなのです。一言の連絡で済む事柄もたくさんあります。しかしときに丁寧な説明を求められることもあるでしょう。おそらく文章を書くことが苦手な人とは、丁寧に相手に伝えることがうまくできない人なのかもしれません。

目的はなんだろう

 日本で育っていれば、大体の人が日本語で読み書きをしています。特別に難しい漢字なんか知らなくても、誰でも文章を書くことができるはずです。それなのに、どうして上手に文章を書くことができないのでしょう。

 私はある大学が主宰する社会人講座で「文章教室」を十年ほど担当していました。講座の定員は二十名。そこには様々な人たちがそれぞれの目的で受講に来ていました。「今度広報部に異動になり、文章の書き方を学びたいと思ってきた」という人もいれば、会社の指示で受講する人もいました。市役所勤めをしている青年は「自分の住む町の魅力を多くの人たちに知ってもらいたい。その手段として役場で冊子を発行したい」と言いました。もちろん自分が思ったことをエッセイに書いてみたい、書くことを趣味にしていきたいという人もいらっしゃいました。

 このように、一言で文章を書くといっても、その目的は実にさまざまです。キャリアアップのために文章がうまくなりたいと思う人もいれば、趣味の範囲だけでいいという人もいます。つまり「文章がうまくなりたい」と一言で言っても、その中身はみんな違うということです。「何のために文章がうまくなりたいのか」。まずは自分なりの目的を思い浮かべることから始まるのです。それはどんな目的でもかまいません。仕事のためでもいいし、将来はプロの書き手を目指すことでもいい。単に文章が書ければ自慢できるという動機からでもかまいません。
 まずは紙と筆記用具を準備して、デスクの前に座ることです。パソコンのスイッチをオンにして、ワードの画面を開くことです。「これから文章を書くぞ」というモードに脳をもっていくことから文章は始まるのです。

 上手な文章を書けるようになるためには、とにかく練習が必要です。そしてその練習方法には少しのコツがあります。そのコツを掴み、日々に少しずつの練習を重ねることで、誰でも文章は書けるようになります。実際にみなさんは、日々に日本語で会話をしているのですから、その言葉を紙やPCの画面にどんどん落とし込んでみましょう。

感性?理性?

センスかアタマか

 では手始めに、「文章とはなんぞや」という説明から始めましょう。
 「文章とは感性で書くものなのか、あるいは理性で書くものなのか」。感性で書くというのは、つまりは自分の感覚や感じ方で書くということ。「すばらしい感性をもった文章だ」「若者の感性で書かれた文章だ」などという褒め言葉があります。豊かな感性などという言葉を聞くと、何だか芸術的な匂いがして、とてもすばらしい文章のような気がするでしょう。自分もきっと人にはない感性をもっている。その感性を活かして文章を書いてみたい。そういった憧れを持つ人も多いものです。

 一方の「文章は理性で書く」というのは、つまりは理屈で書くということです。感覚で書くのではなく、あくまでも頭の中で理性的に組み立てて書くということ。何だかつまらないような気がするものです。感性で書かれた文章のほうが面白そうですから。
 しかし、結論から言うと「文章とは理性、つまりは理屈で書くもの」なのです。ここで感性と理性という二つを説明しておきます。言葉は難しい感じがしますが、とても簡単なことなので。

「感性」イコール「心の風景」

 「感性」というのは、言うなればその人が感じたことです。物事に対してどのように感じるかは人それぞれです。どれが正解ということもありません。自分の心が感じる素直な感覚。それが感性というものです。
 たとえば友だち三人で夕方の海に出かけています。水平線にはまさに夕日が沈もうとしています。真っ赤に染まった海。その光景を見て、三人は口々に言います。
 「綺麗だね」と。

 ところが実は、この「綺麗だね」という言葉が含んでいる感情と言うのは、三者三様なのです。言葉としては「綺麗」と同じですが、はたして「どのように綺麗」だと感じているのは人それぞれです。当たり前のことです。
 たとえばAさんが「綺麗だね」と言ったのは、単純に夕焼けの赤い色が綺麗だと思っただけかもしれません。夕焼けの色の美しさ。それはもっとも単純でストレートな表現でしょう。
 ところがBさんが言う「綺麗」とは、単に夕焼けの色合いだけのものではありません。夕日の赤と、それを包んでいる空の雲。さらにはきらきらと光る海の風景までをも含めた美しさを感じている。Aさんの「綺麗」よりもさらに広がりを持った表現が含まれているのです。
 そしてさらにCさんに至っては、単なる目に見える美しさだけではなく、その夕焼けのなかに精神性をも含んだ表現が混ざっているのです。美しい夕日を眺めながらCさんは心の中で思っています。
 「この風景は、幼かったあのころに眺めたものととても似ている。たしかあのときは、母親と手をつないで見た記憶がある。母親の手の温もりと目の前に広がる美しい夕焼け。それはいつまでたっても思い出せるなあ」と。
 「綺麗だね」と言うCさんの言葉のなかには、このような心の原風景までもが含まれているのです。

 さて、ここでお分かりかと思います。感性というのは、いわばそれぞれの心で感じ取る心の風景そのものなのです。「綺麗だね」という一言のなかには、それぞれの「思い」、すなわち感性が宿っているのです。
 では、あなたが発した「綺麗だね」という一言。それはいったい「どのように綺麗なのですか」。友だちが言う「綺麗」とあなたの「綺麗」はどこが違うのでしょうか。そのあなただけの美しさを表現するのが文章です。どのような単語を用いるのがいいのか。どのように表現すれば自分の感性がうまく伝わるのか。それを頭、すなわち「理性」で考えるということなのです。

自分の言葉を分析してみる

 「かわいい」という言葉が日常的に使われています。動物や赤ん坊をみて「かわいい」と表現するだけでなく、新しいスイーツや商品に対してもこの言葉を使います。ときには若い女性がおじさんに対して「かわいい」と言うこともあったりします。いったいおじさんのどこが「かわいい」のでしょうか。
 この「かわいい」という言葉を、自分なりに分析してみてください。そしてその「かわいさ」の正体を言葉で表現してみてください。自分で発した言葉を自分自身で分析してみる。それを遊び感覚でやっているうちに、自然と文章表現の力はついてくるものです。

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