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小説家になりたいのに過去ストレスで病んだことを思い出して本気を出せずにいるひとの独白

文章を書いて生活できたらいいなと思います。
いいな、と思っている程度なのです。
本気のつもりで、ほかを多少捨ててきて、けれど、向き合うのが怖いです。
中学校に登校しなかった頃、脇机の上にあった数学の白い教科書が、目に入るのが嫌で、床にぺたりと座ったまま顔を背けたことがあります。
数日振りに登校した教室で、理科の先生の声が耳に入り込んできて、両手で塞ぎたくなったことがあります。かつて何も感じずに聞いていた声。
1年振りに学校に行って、テスト中、息がしにくくなったことがあります。試験時間が終わったら息が吸えました。
わたしは、本気で向き合うことが怖いです。
この感覚の由来とか、たぶん書き連ねることはできるけれど、どうすることで自分が前進できるのか、わからないような。いま書くには何が最良か。書き連ねてみますか?
たぶん、本気になったら、鋭く、没入するということを、知っている、のかもしれません。
中学生の頃、テスト前はいっぱい勉強していました。授業は一言も漏らさず聞いて、休み時間は取りきれなかった板書を日直が消す前に書ききって、細部を書き足したりして、通学の電車の中では単語帳を読んで(それだけで小テストをクリアしていました。どんな読み方をしていたのか精確には思い出せません……)、家に着いたら机に向かって、ご飯だよという母の声をいまかと待ちながらも待つ思いは体の奥にあって、永久機関のようにぶっ通しで試験範囲の内容をルーズリーフにまとめたりしていて、まとめたものを透明なファイルに入れてダイニングに行き、食事や歯磨きの間に暗記に勤しんで、寝る前には、睡眠を記憶に活かせるようにまたルーズリーフを確認したりして、たぶん、凄かったです。学年にあれほどの人はいなかったのではないでしょうか。勉強間に合わないようと休み時間に話している相手が「全く遊ばなければ(漫画とか読まなければ)できるんじゃない」というようなことを言ったとき、一般的にはテスト前・テスト期間中でも漫画を読むんだということに衝撃を受けました。わたしは当時、テストの2週間前と終了後に劇場版名探偵コナンの DVD を借りることにしていました。観た余韻と観る期待で、テスト前とテスト期間を走っていました。全く遊んでいませんでした。
というか普段から、真面目で……ちょっと病的に真面目で、学校のことが第一だという行動原理がありました。授業をしっかりと聞くこととか、宿題をじっくりやることとか、部活に出ることとか。友達に誘われたら断らないこととか、なんかもう、そうするものだと思って無意識に選択していたことがきっといっぱいありました。
なんのはなしでしたっけ。
そうでした、それで、わたしはほかのことを見ていなかったのです。
クラスメイトがどんな人だったのか、短気なのか穏やかなのか、学校の外で何をしているのか、何が大事なのか……誰でもそんなには知らないと思いますが、わたしはほんとうに、知りませんでした。
いろんな楽しいことも、知りませんでした。わたしは学校に行かなくなってから、テレビのチャンネルを覚えたということを、一つの象徴みたいに感じています。NHK と放送大学と、小学生の頃「モニタリング」を見ていた TBS 以外、何チャンネルが何というテレビ局の番組を映すのか、わかりませんでした。テレビなんて見ない方もたくさんいると思いますが、わたしはチャンネルを覚えたことで、おおげさにいえば新しい人生が始まったような、控えめにいっても新しい世界が自分の前に開けていくような(おおげさも控えめも変わらない?)、気がしたのです。
ほかにもいろんなことを……そうですね、アニメの面白さとか……なんかもう、今わたしの身のまわりにあるものの半分、いや 8割は、学校から離れてから親しくなったものである気がします。物語や言葉、表現が好きだという自覚は、学校から離れてから得たものです。通信制高校の合同説明会や、不登校からの留学の説明会に行ったり、高校を転出したり、N高のクイズ研究会のオフ会に、仲良い部員もいないのに飛び込んだり、マクドナルドのアルバイトを始めたり(すぐに辞めたけれど刺激的で有意義な体験でした)、地球一周のピースボートに足を踏み入れたり、全日制の大学を辞めたり、いろんなことをする行動力は、学校に行っていた頃にはありませんでした。演劇部の同期に俳優養成のスクールに誘われたときも、興味はあったけれど、これ以上増やせないと思って断りました。やることとか、考えることとかを増やせないと。
……何の話でしたっけ?(再び)
没入するという話でしたね。みなさん覚えてました? わたしは忘れていました(すみません)。
学校から離れてはじめていろいろなことを知ったくらい、学校に行っていた頃は勉強などのことしか視界に入っていなかったというはなしです。
その結果、わたしは勉強ができなくなって、学校に行けなくなりました。
それで、本気になるのが怖いのかな、と思っています。
なんか、ゆき過ぎるのが怖いから、最初の一歩も怖気づくのかな、と。
今、部屋の中を片付けていて、それは実家を出たいからで、そもそも部屋で集中できないからで、でもその合間にも書くことはできるはずで、それをしないのは、怖いからなんだろうなと、思います。やらなきゃいけないことを横目に部屋を片付け始めるなんて、テスト前の中高生かって感じです。
わたしはそもそも、小説を書かなくても生きていけるんです。現に今、何か月も書いていないし、今後一生書かなくても坦々と生きていける感じがします。何か書かなければ心の健康が保てないと思いますが、それはたぶん、自分だけが見られる日記でいいです。なのに小説家になろうとしてるのは、人生を費やすものとして、文章を書くことが、考えられた中でいちばん受け入れられたからです。自分の思いや考えを書きたかったからです。
でも、本気になれない、踏み込めない、向き合えない、どうして小説を書くでしょうか……校正のほうでもう少しがんばらないと生活が独立できないのではないですか?
どうしたらいいんですか?
家を出たいです。自分に分け与えられた部屋に入ると、何もできなくなります。ここにいてはいけない、というか、ここにいてはこのままだ、と思います。でも、家賃分しか収入がないのに家を出ると言ったって向かい風が強くてしゃがみこんじゃいます。昔は自分の部屋とリビングとが別世界みたいだったのに、今は一つの空間です。音も気配も、離れません。部屋では何もできなくて飛び出して、リビングも死角なく居場所がなくて、廊下とかにいたりして。居場所というのは人に受け入れられないという意味ではなくて、落ち着ける場所、例えば読書に集中できる場所のことです。死にたい。息を吸うように「死にたい」と言うことで死の風船が膨らまないならいいですよね。
どうしたらここから抜け出せるのでしょう。
校正も、最近すごく時間が掛かるんです。最初の緊張がなくなって、五月病の時期なのでしょうか。
ここから抜け出したいのに、どうしたらいいのか、どうしたらいいのか、体力がありあまって 7駅くらい歩いたりして、
何の話をしていたのかわからなくなってきたのでここまで。また書きます。

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