小説を書いていたときの話
初めて小説を書いたのは高校3年生のときであった。内容は、中学から高校に上がる春休み期間の話。大人になることとはどういうことか、について会話形式で考えていくものであった。それを青少年有島武郎文学賞に応募した時、佳作を頂くこととなった。
北海道新聞が主催の青少年有島武郎文学賞は、その結果が新聞に載る。
新聞に載った次の日、担任に職員室に呼ばれた。
「新聞見たけど、何してるの?」
現国を担当する担任は、第一声腕を組みながらそう言った。
わたし自身、祝われるものだと思っていた。地方の新聞の文芸賞だとしても、賞を頂けることなどそうそう経験することはない。だからこそ、担任が何を発言したのか、理解するのに時間がかかった。
「小説家にでもなりたいの? 物書きとか無理だよお前には」
そのあと、何かを言われた、というのは憶えているのだが、何を言っていたのか、何を伝えたかったのかあまり覚えていない、担任の目を見ながら、目玉がでかいな、など考えていた。
ああ、この人は前に小説を書きたかったのではないだろうか。
小説家になれなかったから教師をしているのか。それなら他の教師に失礼だな。
いま思えばあれがドリームキラーというものなのか、と感じる。詩や短歌を書いて発表している状況をあの担任はどう感じているのだろうか。もう、無理だよの言葉は彼女にとってはもう記憶の底に沈み、掬い上げることなんてできないほど暗い空間で眠っているのではないだろうか。
北海道新聞文学賞の受賞の新聞を読んで、当時の担任は記憶の底へ針を落とすのだろうか。
当時の私の担任と言う責任から解放されて、お酒を交わしながら当時の話や今の話、これからの話などを摩擦なくできるのだろうか。
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