あの日はたまに夢だったんじゃないかと、今書いていても思う不思議な出会いだった。 前日に見ていたテレビの天気予報では降水確率0%で、ロケーション撮影には最適な天気のはずだったのに 朝起きたらバケツをひっくり返したような雨だった。 外にでて、雨を眺めているとポケットが振動し、仕事が延期になる連絡がきた。 撮影する気分だった私は、豪雨の自然でも撮りに行こうと思い立ち 目的地も決めずに車を走らせた 普段はよく聴くラジオもつけず、ただ雨音とエンジンの振動を感じながら、ただ気にな
誰しもが一度はあった19歳。 大人とは言われず、でも子供でもないと思ってる。 ちゃんと将来を考えてるのと親や先生に言われて 将来ってなんだよって漠然と誰かと話す 人が物凄く羨ましい時もあれば 人が物凄く憎い時もある 自分ってなんだろう。人ってなんだろう。そもそも何が何だろう。 同じ19歳という年齢でも 環境や時代で、見えてくるものは違くて 今の19歳で言えば、世の中にはSNSが当たり前にあり 自分自身の考えを簡単に発信でき みたくない情報も感情も簡単に受
今日は友人(70代)の娘さんからの撮影依頼。 5年前2週間通いつめていたとある街で交通整理をしていた友人。 毎日同じ時間にカメラを片手に持っている私に興味をもってくれたのか、「にいちゃん何撮ってるんだ?」と話しかけてきてくれたのがきっかけでした。 最初は、友人の休憩時間に話すことが多かったけど 工事が終わる日。「にいちゃんご飯にいこうや」と、誘ってくれたことがきっかけで、彼の人生を色々と聞かせてもらいました。 会社の社長をやっていたこと 娘さんの結婚に反対して、い
毎年、悩む写真撮影依頼があります。 それは遺影写真。 ご本人のためでもありますが 残された家族、友人、知人がどこかのタイミングで故人を思い出す 大切な1枚 いつも無表情だったあの人 でも遺影写真は凄く素敵な笑顔で笑っている いつも笑っていたあの人 でも遺影写真では仏頂面をしている どちらも、誰かにとっての「あの人」の表情で その差は「あの人」との関係性が生んだものでしょう。 写真という色々な人生に関わる仕事をしている側としては 1番難しい答えのない答え
普段はよく音楽を聴きながら散歩することが多いのですが カメラを持って歩いてる時は、イヤフォンを外して 今聞こえる音をよく聴いています。 川の流れ、風音、鳥の鳴き声 人の話し声 その瞬間ごとに聞こえる音が違うように その瞬間にしかない風景を撮ることが 何よりも面白いと思ってシャッターをきります。 今日は2016年に撮った1枚をお届けします。 花が咲き誇る景色もいいですけど、蕾も混ざっていたりと まだまだこの景色は成長を続けていくんだなっと思わせてくれる方が
ご覧いただきありがとうございます。 今日は「環境の作り方」について書こうと思います。 以前のnoteでも触れていますが、私は吃音症という発声がしにくい症状をもっています。もし興味があればグーグル先生にお尋ね下さい。 ただ、困ったことになんですけど 話すのも人とのコミュニケーションするのも大好きなものでして もうどもってもいいから、どんどん話してるやつです笑 それでも小学〜中学は本当に声がでにくくて ありがとうですら、あ、ありが・・とう みたいな伝え方になっていま
仕事の失敗は、ついついお客さんや同僚のせいに 恋愛の失敗は、ついつい恋人のせいに 失敗を誰かのせいにするのは 自分は悪くないと思いたいことがほとんどで 誰かを傷つけて、自分を守ろうとする 不器用すぎる僕らの悪い習慣なんだろう。 最初の仕事の失敗はよく思い出してみたら 自分の覚え方が悪かったり、単純な確認ミスだったり 恋愛の失敗も例えば相手が不機嫌でつまらないデートになったと言ってたけど、そもそもあなたが愚痴ばかり言いすぎてたりしないのかな 何かの失敗は、何か
ご覧いただきありがとうございます。 本日は、写真を仕事にしようと思った日について書いていこうと思います。 1番最初になんとなく将来写真に関わる仕事がしたいと思ったのは16歳の時でした。 友達と朝まで公園にたまっては、わいわいしゃべって徹夜で学校にいくような日々を過ごす中で、中学の同級生を亡くす経験をしました。 小学校で、祖父母を亡くしていましたが、入院先でなくなっているのもあってか、なんとなくまだ入院でもしてるんじゃないか、どことなく繋がりみたいなものがある感覚でした
ご覧いただきありがとうございます。カメラマンのあめです。 前回のnote「写真をはじめたきっかけ」の続きです。 小学校時代は写真がコミュニケーションの1つになっていましたが、高校生にあがると人生を左右する写真文化が生まれました。 それは"写メール"の登場です。 携帯が復旧し始めた時代だったので、同級生達はこぞってバイトをし携帯電話をもつようになっていきました。電話ができる。メールができるだけでは私の人生は左右されなかったのでしょうが、"写メール"が登場したことにより、
ご覧いただきありがとうございます。カメラマンのあめです。 初めての投稿ということで、写真をはじめたきっかけについて書かせていただきます。 まずは、古い記憶をたどってみましょう。 記憶を辿ってみると一番写真に関わるのは幼少期の私に向かって父がフィルムカメラを構えている姿。 私は一人っ子の長男。両親が結婚して7年目にようやくできた子供でした。 そんな夫婦にとって子供の成長記録を収めることは結婚生活の楽しみの一つとしてあったようで、実家に帰ると大量の写真がいまだに発見され