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写真をはじめたきっかけ

ご覧いただきありがとうございます。カメラマンのあめです。

初めての投稿ということで、写真をはじめたきっかけについて書かせていただきます。

まずは、古い記憶をたどってみましょう。

記憶を辿ってみると一番写真に関わるのは幼少期の私に向かって父がフィルムカメラを構えている姿。

私は一人っ子の長男。両親が結婚して7年目にようやくできた子供でした。

そんな夫婦にとって子供の成長記録を収めることは結婚生活の楽しみの一つとしてあったようで、実家に帰ると大量の写真がいまだに発見されます笑

ここまでは他の皆さんと同じで、写真は自分の過去や家族、友人との過去の想い出を振り返る手段として身近にありました。

そんな身近さの写真が、自分の人生を変える出来事になったのは小学校5年生になった時です。

とある出来事があり、1年近くうまく言葉を話せなくなるという状態になりました。いわゆる"後天性の吃音"というものになったのです。

親にも周りの友達にもうまく意思疎通ができない。言葉を話したくても伝えられない。携帯もない時代で手書きでコミュニケーションをとるのも小学生にはじれったく、もどかしい時期でした。

そんな時、運動会がありました。

身体は元気だった私も周りの友人達に手をとられ競技に参加する中。いつも私の写真ばかり撮っていた父のカメラが友人の方にも向いていることに気がつきました。

父は仕事で両親がこれていない友人のために写真を撮影していたのです。

後日父から現像された写真を友達に渡すととても喜ばれた私は、あることを思います。

あれ?写真って言葉を使わなくても誰かと笑いあえるんだ。」と

当時コミュニケーションのコ字も知らない私でしたが、担任の先生も私の中で何かが変わったのを察してくれたのか学校で写真を撮ることを許してくれました。

そこからは話す代わりに友達の写真を撮ったり、どこかにいけば写真を撮ったりと、写真がより身近なものになりました。

もうこの時点で写真という表現は私にとって話すことであり聞く手段になっていったのです。

そして、年を重ねて高校にあがる頃には"吃音"はだいぶ改善し、普通に友人達と話せるようになり、携帯も復旧したことにより人との意思疎通がしやすくなっていました。

そんな時代の変化で私の人生を左右する時代の文化が生まれたのです。

ちょっと長くなりましたね。続きはまた今度書かせていただきます。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

続きはまた次のnoteで。