あまおう

都内の大学3年生です。文章は自問自答系が多いです。悩める方々に少しでも共感して頂けたら…

あまおう

都内の大学3年生です。文章は自問自答系が多いです。悩める方々に少しでも共感して頂けたらと思います。つぶやきは少ないですがツイッターもやっていますので、良かったらどうぞ。

最近の記事

振り向けば君がいる

私事ですが、先日、前々から関係が微妙だったニートの姉と修復不可能の喧嘩を致しました。 人生で初めて"死ねばいい"と本気で思いましたし、今も思っているわけですが、そんな中である気づきがありました。 彼女は、"もう一人の私"なのだということです。 これは理論的な話ですが、人間を構成する要素は、①遺伝的要因と②環境的要因の二つだと言われています。 言い換えると、その人が生まれ持ったキャラクターと、周囲の環境ということです。 兄弟姉妹というのは、このうちの一つである"環境"が若

    • 26歳ニートに囚われ続ける私の話を聞いてくれ ー愛に渇いて生きている話

      姉に対する憎しみが消えない。 以前別のnote(「姉の呪縛から逃れられない話」‪https://note.mu/amaou_015/n/n6b4576861928‬ )でもちょろっと書きましたが、今回はもう少し深く姉のことを書きたいと思います。 大学生の私には、5つ歳の離れた姉がいます。姉は短大を一年留年して卒業した後、今までずっと無職で家にいました。たまに父の職場にお手伝いに行っているようですが、他にバイトをしている様子もありませんでした。無職2年目くらいから家事をやり

      • さよならグッバイ、ないものねだり。

        右に傾けば左を気にして、左に傾けば右に焦がれる。私はいつだってないものねだりをして生きているようだった。 なりたい理想はたくさんあって、強くて優しいひとに恋をすることもあれば、竹を割ったような爽やかなひとに心を奪われることもある。いつも、尊敬できる対象には統一感がまるでなかった。想いを馳せるその度に、服装も髪型も行動もそのひとの色を真似て染まろうとした。 ただ、きっといつか、近いうちにそのどれかひとつに方向を決めて、歩き出さなければいけない時がくるのだと思う。多分、そろそ

        • 涙が出るほど悲しかったけれど、何も泣くこともなかった日々よ。

          私の高校生活はとにかく暗澹としていた。 1年生だけは慣れない環境で新しいことばかりだったから、まぁなんとなく楽しんでいたかもしれないが、2年からは中々に地獄だった。(後述) 21歳になった今、高校生が主役の漫画を読んでいて、ふと、過去のことを振り返りたくなった。(これまでは記憶から抹消すべく思い出さないようにしていた) いじめもない平坦な学校で、なぜ、当時の自分はあれだけ屈折して過ごしていたのだろうか。 今思い返すと、 "自分に自信がなかった" ということが大きかった

        振り向けば君がいる

          みんなカボチャになればいいのに

          バイト先は最寄駅のひとつ隣の駅で、家から歩くと15分もかからないくらいで着く。 夏休みに入って定期を更新しなかったから、(ケチった)節約も兼ねて最近は歩いて通っていた。 これがすこぶる精神的に良かった。前からなんとなく感じていたが、人って歩いていると結構一人になれる。駅から離れている自宅からのスタートで、わりとずっと人がまばらだった。人が多い駅に着いたらすぐにバイト先に向かうから、最初から最後までかなりのことひとり。 電車を使うと、人のいる駅に向かって、人と電車を待って

          みんなカボチャになればいいのに

          向日葵畑

          向日葵畑

          わたしとババァと他人と

          人を押しのけて歩くジジィが嫌いだ。 思い通りにならないとヒステリックにまくし立てるババァが嫌いだ。 総じて、私は心に余裕のない年寄りがクソほどに嫌いである。 すこし寂しいけれど、一人が好きだ。他人と生きていくのは難しいし気を使うし面倒だから、できたらこれからも一人で生きていきたい。結婚なんて無理だ。けれども私は、"譲られて当然""歳を重ねた自分は若者より偉い"と思っているような老人たちと不快な接触をする度に、できるだけ早くに結婚したいとよく考える。 自己中心的な老人た

          わたしとババァと他人と

          人よ我がままであれ

          最近ずーっと落ち込んでいました。 せっかくの大学3年の夏休みだというのに、どうしても気分が盛り上がらず、友達との予定をキャンセルしまくって、ずっと一人でいました "落ち込んでいる私"を無視するのが辛いというか可哀想というか、自分の感情を受け止めたいと思ったから 要するに自分のためです この夏に私は、本当の自分を偽ってきたから苦悩しているのかな、と思うようになりました。本来の私は、わがままで甘えたがりでずる賢くて、後先考えず泣いたり怒ったり、まさしく子どもみたいな性格なの

          人よ我がままであれ

          哀しみよ こんにちは

          高校生の頃から、ずっと孤独感に苛まれています。 友だちも親も、誰も私の本心を理解してくれない、きっと一生私は独りなんだ、と、時折そんな虚しさで死にそうになります お酒を覚えてからは 人に合わせて無理して笑って その度に自分の中のなにかが擦れていくような気がして 帰宅してからあまりの虚脱感に泣き続ける日が 多くなりました ですが最近、"誰も私のことを分かってくれない"と嘆くと同時に、"誰にも私のことを理解されたくない"と願っている自分がいることにも気がつきました 「

          哀しみよ こんにちは

          今日の日はさようなら

          最近の私は、特定の友人になにかと『気にしないで』という言葉を多用している。 気にしないで、というのはつまり、『わたしのことは放っておいて』という意味だ。さらに噛み砕くとするならば、『これ以上関わってくんな』という、ほとんど拒絶に近い感情なのだと思う。自分の心を守りたい、それだけのために。 何か一つの側面がうまくいかなくなると全ての関係を断ち切りたくなる、そんな悪癖が私にはあった。これまで、この癖のせいで多くの友人関係をプッツリ途絶えさせてきた。そうやって、弱い自分と向き合

          今日の日はさようなら

          いつかは綺麗に笑いたい

          こんなところでまで謙遜しても仕方ないので正直に述べるが、顔の作りだけで評価するとしたら、私はまぁまぁな上物である。 目がパッチリ大きくて、団子鼻はそこまで悪さをしていなくて、全体的に崩れたパーツがない。うまくいけば上の中には食い込めるくらいの整い方をしていると自負している。 しかし、これは顔面の作りだけの話である。 思春期の頃から自分の笑顔が大嫌いだった。目が細ーくオバサンみたいになって、口元なんてぐちゃっと歪んで歯が見えて。なんていうか、汚かった。喋る自分の表情を見る

          いつかは綺麗に笑いたい

          幸せ者は夏に還る

          夏がめっちゃ好きだ。 なぜかというと、幼少期に楽しい思い出をたくさん作ったからである。 夏休みは不思議な力がある。みんながみんな、"なにか思い出を作ろう"という気分にさせられるのだ。 インドアで家族仲が微妙な我が家でさえ、なにかを残そうとディズニーランドに泊まっている。そんなパワーが夏休みにはあった。 何をしなくとも近所でお祭りはやってくれるし、休みで時間に余裕が出来るから大人は構ってくれるし、市民プールに出かけるだけで楽しいし。子どもの私にとって、夏休みって最高にイ

          幸せ者は夏に還る

          臭いものには蓋をしてるけれど時々覗いては臭さにキレてまた蓋をしているような人生

          20歳を迎えて改めて実感しているが、私はなんていうか、小さくて嫌な人間だ。 とりわけそれを実感するのが、だれかと接しているときである。人の良いところに嫉妬したり、自分と比べて落ち込んだり、すぐ腹を立てて言い争いをしたり...人と接すると本当に自分の嫌なところが浮き彫りになる。 誰かへ喜怒哀楽をぶつけていている内はまだ良いのだが、最後の最後には必ず、そんな自分の醜さに落ち込んで塞ぎ込んでしまうのだから、人に迷惑もかけるし精神衛生上も良くないし、なんかもう色々とぐっちゃぐちゃ

          臭いものには蓋をしてるけれど時々覗いては臭さにキレてまた蓋をしているような人生

          誠実さよりも救われたい

          大学で保育学を専攻している。この大学で得た知識は確実に私、というより、子ども時代の私を救ってくれている。 子ども時代の私は、なにより母に褒めてもらいたい子どもだった。母は子どもを褒めないひとだったのだ。 「今日◯◯ができたんだよ」「〜〜だからでしょう」 直球じゃダメか。 「みんなできなかったのに私だけできたんだ」「へえ、まあ貴方は〜〜なところがあるし」 この言い方もだめ。 「今日ね、先生が私に...」「ふーん、」 いかに周りから自分が認められているかアピールをし

          誠実さよりも救われたい

          姉の呪縛から逃れられない話

          突然だが最近、ハンサムショートに憧れている。 厳密に言うと、色っぽい女性に憧れている。 顔の骨格だとか普段の服装だとか、躊躇う理由はいくつかあるが、そのなかでも最も比重が大きいのが、"姉が似合っていた髪型"であったということだ。 もう数年前の話にはなるが、ある日黒髪のハンサムショートボブにしてきた姉をみた時、私は大きな衝撃を受けた。ーー驚くほど似合っていたのだ。痩せ型で顔の整った、言ってしまえば堀北真希似の姉の、クールでアンニュイな感じと見事にマッチしていたのを覚えてい

          姉の呪縛から逃れられない話

          「そんな深刻そうな顔しなくても」とよく言われていた話

          「髪を切りたいんだけど、短いのと長いのどっちがいいかな?」「明日、友達とご飯食べてくるわ」 たとえばこんなちっぽけな話題である。 私はこの手の話題を切り出すと、決まって母に、「それだけ?そんな深刻な顔しなくてもいいのに〜!」と言われてきた。ちなみに、私自身が深刻な顔をしているつもりは1mmもない。ない故にか、言われると割とイラッとした。それに、ほんの少しだけモヤッとした。原因はよく分からなかった。 振り返ってみると、思春期を迎えたあたりからよく言われるようになっていた。

          「そんな深刻そうな顔しなくても」とよく言われていた話