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150と200

こんにちは、天音です。

タイトルの数字。150と200。
この数字は、連続投稿日数とこれまで投稿した記事の総数です。

「これもタスク管理」の記事が200記事目で、昨日投稿した『パンソロジー』の読書感想記事が毎日投稿150日の記事だったんです。
……いや、なんだかあんまり実感が湧きません。
しかし150日休まずに投稿したと文章にすると、じわじわ噛みしめるものがありますね。

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記事の数、スクショでは200を大幅に超えているんですが、「記事数のカウント」ということでつぶやきと創作小説は数に入れていません。

エッセイや読書感想記事のみの数が200を超えました。
……正直、記事を数えるの大変でした……笑。
もしかしたらいくつか見逃しているかも。

200という数字は、noteを初めてからの記事総数です。
毎日投稿を開始した時とはずれていますが、この節目の時期が重なったのも何かの縁でしょう。もう少しで150日と200個だと気が付いてからは、極力つぶやきではなく記事を書こうと意識していました。

わたしの記事は、大体が1000文字程度です。
たまにすごく短かったり長かったりしますが、一記事の平均文字数は1000文字を超えるでしょう。

少なく見積もっても200×1000……。一年たらずで20万字以上の文章を書いてきたと考えると、なんかとてつもない気がしますね。
……。
まあ変な記事ばっかですけど……。
最近メッキが剥がれて本性が見え始めていますし……。

いつも読んでくださる方や、コメントまで残してくださる方には感謝の念に堪えません。
いろんな方に支えられているなと感じ入る毎日です。

この記事では、 noteを続けていく上での「精神論」を述べて見ようかなと思います。
記事を執筆する上でわたしが留意していた「技術的なこと」はまた別の記事で書くつもりです。

わたしが noteを継続してきてたどり着いた考えは、もしかしたらみなさんに反感を抱かせてしまうことかもしれません。
しかしずっとこの考えというわけではないので、現在のわたしの意見と思ってみて欲しいと思います。

正直にお話しすると、ここで何かしていても自分が進んでいるとは思っていません。

よくnoteでの活動における自己分析記事を読みます。

みなさん立派に分析されているし、着実に進んでいて心からすごいなと思います。しかし、その解析を自分に当てはめてみると、そういった著しい変化などなきに等しいのです。

文章の改善。執筆に関する心境の変化。
これらを含めて行き着く結論は、結局のところ「わたしは書くのが好きである」ということだけ。

毎日投稿もそうです。
ただ単に好きなことが習慣になっただけ。
食事のようになっただけなのです。
なんというか、箸の使い方が上手くなったとか、バランスよく食べるようになったとか、そういう程度のことだと思います。

こういうふうに書くことに対して抵抗はありました。
多くの人は、誰かの成功体験を望んでいるでしょうから。

周囲を気にしないことは難しいです。
同様に、進歩がないことはもどかしいです。 

進みたい、何かを獲得したいと考えて続けきたことならなおさら。

しかし、少しだけ目を向けるポイントを変えてみましょう。

「こうしたらこうなった!」という結論ありきのものではなく、「こうしているんですよ」という進行中の状況に重点を置いてみてもいいんじゃないでしょうか。

執筆が食事のように習慣化するまでにはだいぶんかかりました。
最初は握り箸でしたが、今はきちんと持つことができます。

きっと「こうなった」という記事を書くのはまだまだ先になるでしょう。
いつかまた別の結論にたどり着いた時、記事にしたいと思います。
noteにおける一つの目標ですね。

一先ずは、「150と200」。
この記事が書けてうれしいです。

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