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常識という、壁を越え【ミスチルが教えてくれたこと #3】

「未完」

Mr.Childrenが2015年におこなったスタジアムツアーのタイトルにもなったこの曲は、シングルカットされてはいませんが、しかし多くの気づきを与えてくれるという点では、過去の名曲たちに勝るとも劣りません。

曲を知らない方は、まず一度聞いてみることをオススメします。強い意志とちょっとした狂気が伝わってくることでしょう(笑)。

そんなわけで今回は「未完」について語ります。

ん?誰だ?「みかんじゃありません、未完です」なんて言ったのは…?(注:ライブの曲紹介で桜井さんが言ったことがある)

※以下、引用部分はMr.Children「未完」(作詞:KAZUTOSHI SAKURAI)歌詞より引用。

思い通りにいかないことが、ほとんど。

思い通りに いかないことがほとんどで
無理に足掻けば囚われの身の動物園

思い通りにいかないことがほとんど。無理に足掻けば囚われの身。

これはもうなんか、マーケティングとか、ビジネスとか、いろんなことに当てはまる、もはや人生の教訓といって過言ではないでしょう。

大体のことは思い通りにはいきません。

狙ったとおりに成功しないプロモーションなんて山のようにあるし、仕事を進めれば余計な邪魔が入ってうまくいかないことなんていくらでもあるし、めざす理想の家庭の姿になんて届かないことがほとんど。

そして、こういう時にやってしまいがちなのが「無理に足掻いて囚われちゃう」こと。

そんな、厳しくもよくある現実を如実に物語っている歌詞です。

厳しい現実を目の前にして、私たちは一体どうすればいいのか。逆説的に考えると、こういうことなのかもしれません。

思い通りにいかないことがほとんどだと、前もって予想しておくこと。

予想したうえで、いざ「思い通りにいかないこと」が出てきたら、フィールドに出たらモンスターにはエンカウントするもんだというくらいのテンションでそれを受け入れること。

無理に足掻こうとせず、流れを見極めてその瞬間ごとにベストな選択、行動を重ねていくこと。

いやぁ、桜井さん、サビにもまだ入ってないというのに。いきなり深いなあ(笑)。

ぼやいてみたって、未来は手を差し出しちゃくれない。

「いっそ飛べない鳥の羽なんか もがれちまえばいい」
そう ぼやいてみたって未来は手を差し出しちゃくれない

厳しい現実を突きつけるシリーズが続きます。

ぼやいてみたって、未来は手を差し出しちゃくれない。

未来は自分で創るもの。変えるもの。

「なんでうまいこといかないんだろう」とか「つまんないなあ」とかぼやいているだけではなにも創れないし、変われないのです。

でも、本当に自分が新しい未来を創りたいとか、自分の未来を変えたいとか。

ぼやいてばかりいるんじゃなくて、動き出せば、未来が手を差し出してくれるかもしれない。

そう信じて、まずは動き出すことの、自分の力で切り開こうとすることの重要性を、この曲のサビは喉元に突きつけてくるのでありました。

満ち足りた顔して、見えても。

暴れたり 叫んだりして 噛みついてみんのはどう?
満ち足りた顔して見えても 実際みんな退屈そうだから

満ち足りた顔して見えても、実際退屈そうだ、と。現代人の闇に斬り込むMr.Children。

でも、こういう人、多いと思うんです。

これだけ何もかも満たされた時代。「モノからコトへ」という表現に象徴されるように、満ち足りた顔してるからこその変化が起こっているわけですが。

満たされた時代だからこそ、満ち足りた顔をしているからこそ、本当は何かが足りなかったり、退屈だったりするのではないか。

その隠されたインサイトを、潜在意識のその先を探っていくことが、ビジネスやマーケティングにおいて必要な時代。見えているものがすべてじゃないことに、あらためて気付かされるフレーズです。

と、同時に。

「幸せそうなカップルだったのに…!?」というリアクションに象徴されるように、周りの人、身近な人が、目に見えない闇を抱えているかもしれない、ということを常に思いやることの大切さについても、きちんと考えておきたいところです。

やっぱり深いなあ、この曲…(笑)。

常識という、壁。

さぁ行こう 常識という壁を越え
描くイメージは果てなく伸びる放物線
未来へ続く扉
相変わらず僕はノックし続ける
し続ける

実はこの曲の冒頭は「さぁ行こうか 常識という壁を越え」というフレーズから始まっているのですが。

最後にまた、似たようで異なるフレーズが待ち受けています。

常識という壁を、越えていく。それは時に自分の中の常識との戦いかもしれませんし、世の中の常識との戦いとなることもあるかもしれません。

これもまたビジネスやマーケティング、そしてキャリアや人生そのものさえ当てはまることだと思うのですが、常識が壁となり「無理だ」「無謀だ」「できっこない」と圧力をかけてくるのは、よくあることでしょう。

そんな時に負けないために。描くイメージは果てなく、どこまでも伸びる放物線。自分の追い求める理想のイメージをきちんと描いていれば、常識がどうだなんだということに囚われる必要はないはずです。

過去は過去。過去できなかったことを積み上げてきたからこそ、人類は成長し文明は開化してきたのではないでしょうか。であるならば、その過去がつくりあげた「常識」とは一体何者で、何の力を持つというのでしょうか。

…と、大きな話をしておいてなんですが、実はこの曲、最後に地道で泥臭い真理に行き着いて着地しています。

僕は未来へ続く扉を、ノックし続ける。と。

そう、描くイメージはどおりの放物線を描くとしても。思い通りにいかないことだらけだし、未来が手を差し出してくれるか分かんないし、満ち足りた顔して見えてる人すら何を抱えているか分からない世の中です。

だから私たちにできるのは、トライし続けること、未来への扉を開くべくノックし続けること。

理想の自分に向けて、未来に向けて、今できることをやる。地道でも泥臭くても、やり続ける。

描いている、果てなく伸びる放物線のイメージには届かないかもしれません。でもきっと、そんなもんです。だから私たちの旅は未完のまま、続いていくのですから。

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