ウチの母は長年続けていることがある。実に周囲に知って欲しい。何年も続けるというのは本当に難しいことだ。人生の中で様々な辞めるタイミングというのを潜り抜けて、時には上手くいかない事だってある。しかし、彼女は辛抱強い女だ。 ケータイのソーシャルゲーム、へーデーは自分の牧場を構築しつつ、時には仲間と協力してアイテムを手にいてる。そしてそこにはコミュニティが完成するのだ。メッセージ交換もできるのでそこのコミュニティにいる人がどんな人となりなのかも続けているとある程度把握できる。母の
23歳のころ顔中にニキビができた。皮膚科に通い抗生物質を出してもらい。直ってきたので薬をやめたらまた再発した。通うにはお金も時間も必要なので、もうどうにでもなれ、という感じで肌断食をはじめた。最初のころこそいままで23年間スキンケアをし続けていたので肌が大変なことになった。鼻の周りは脂漏性皮膚炎さながらかなりあれた。一年くらいしたら荒れ方が横ばいになった。2年くらいするともう大きいニキビはできなくなった。あいかわらず3年目に突入しても小さいニキビは毎日顔にある状態で乾燥はずっ
家のチョコさん(美人雑種犬)は庭に住んでいる。彼は毎晩毎朝さんぽにつれてけとうるさい男だ。ある日私のサンダルが消えてどこに行ったかと探したところ、チョコさんがサンダルを一つ抱えて一晩寝てた。その時はかわいくて怒れなかったが、もう一方のサンダルが庭の隅でわらわらになって後から発見されて怒った。まったく困った男だ。
私の言いう「もてない男子」とは、不潔でガサツな男ではない。それは努力したほうがいいと思う。「もてない男子」清潔感は人に迷惑が掛からない程度にあり、ある程度上品なんだけど、めちゃくちゃ女子と話すのが苦手、変なこだわりがあるという難を抱える男子だ。いままでお付き合いした人が全く正反対の割とイケメンで遊び好きの人だったので、彼らの魅力に気付かなかったが、ボードゲームで遊ぶようになってから彼らと遭遇する機会が多くなったのだが彼らはレディーファーストなどは考えない。ゲームに誠心誠意夢中
昨今んコロナ禍の影響で副業が流行っているのを皆さん知っているだろうか、その流れに便乗し私はWebデザイナーになるため勉強を始めました。勉強はまあまあ楽しかった。知らないことを覚えるのは嫌いではないほうです。しかし、仕事となるとまた話は別になります。Webデザイナーという仕事は営業実績という感じで友人に頼まなければならないのですが、頼んだ相手が悪かったといえばそれまでなのですが、彼はちょうどホームページが欲しいこともあり、せっせとこういうデザインがいい、もう少しこうしてくれと、
人体の中で繰り広げられる戦いを創造すると面白いと感じるのは私だけだろうか。ニキビが直っていく過程。傷が治る過程。筋肉がつく過程。人間の生々しい生き様、生命を感じる。その変化に耳を傾けるだけで人生がちょっとだけおもろくなる。 ちょっと前はBCCAにハマった。彼らはアミノ酸でプロテインと摂取すると筋肉がよりたくさんつくと言われている。今はビタミンcにハマっている。ビタミンcは肌をきれいにするといわれている。本当は肌に直接ぬるビタミンcが良かったがそれはビタミンcが体に満ち足りてい
私はどうも凝り性なようで猛烈にはまってはすぐに飽きてまた新しいものにもハマる。そして今は化粧だ。メイクアップアーティストさながらに自分のメイクをする。自分の顔では飽き足らず、母親や親戚のBA(美容部員)として日々努力を重ねる。私の遊びは幼稚園児の時から変わらない。一時期ヘアアレンジにした時も母親や親戚を犠牲にし腕を磨いてきた。二つ結びの事をツウィンテールというが、四方八方に結ぶヘアアレンジの手法の名称は知らない。私は既存の手法にはこだわらない。オリジナリティーだ。パッションだ
私は生理前の夜まったく寝れなくなるという現象が起こる。つい最近まではエロサイトを夜な夜な見ていたのだが、年なのか、見れなくなってしまった。散々YouTubeで動画を見た後浅い眠りにつく。ただただ悪夢をみるのだ、織の合わない親戚に陰湿な嫌がらせを受けたり。元カレが他の女と濃厚に接触していたり、この時ばかりは自分をコントロールできないし、やんなっちゃう。
みなさんはどんなスキンケアをしていますか?毎日スキンケアする人もいれば、全くしない人もいると思いますが、おそらくある程度は一貫性のある自分の中の真実と思われるジンクスを頼りにスキンケアをしているのではでしょうか。水洗顔がいいと思っている人はそのシンプルなスキンケアの真実を信じて、保湿が大事と思う人はありとあらゆる保湿やら美容液やらをゲットして肌に試していくのが真実だと信じて、私の場合は肌に悩まされた人生でこれからもそうなっていくのではないかと思います。学生時代にニキビと運命的
皆さんは善と悪はどちらがいいと思いますか?もちろん善がいいに決まっている。善がいい、悪は悪い、という印象なのではないだろうか。私も以前はそう思っていた。なるべく善と呼ばれるものを自分の周りに取り込みたいと考えていた。野菜や穀物を食べ肉、魚は殺生になるのでたべない。毎朝ヨガや瞑想をする。派手なものはもたない。人の悪口は言わない。こんな精進生活にあこがれていた時期があった。しかし続くわけがないのだ。私は甘くてしょっぱい食べ物から様々な喜びを得る。私は着飾ることで様々な想像力の引き
私が小学校低学年の時に奇跡的にも私の事を好きでいてくれる少年がいた。彼の名前はゆういち君。ちょっといやかなり巨漢の男の子だ。好意はうれしいのだが少し困ってしまった。なぜなら彼はちょっと銀杏の香りがして、他のクラスメイトからは軽いいじめを受けていた。しかも彼は鼻くそを食べる。好意を持ってくれるのは大変ありがたいが、鼻くそを食べる人種とは距離を置いたほうがいいと八方美人の私も考えた。しかし彼と私を急速に近づけたある事件が起きた。当時ターザンロープという遊具が学校では流行っていた。
私は他に本業で違う仕事をしている。その仕事はお給料が少ないが気にっている。人と言い距離感で親密になれるし、何より面白いことの宝庫でもある。詳しくは言えないが、その一つのエピソードを紹介しよう。毎日シンナーのような臭いのお客さんがいる、別にヤッチャッテル人ではないので安心して欲しい。彼の職業はペンキ屋さんなのだ。まあしかし毎日有毒な職場環境にいるわけなのでイッチャッテル人ではある。見た目は好青年なのだが、仕草、喋り方が挙動不審なのである。奇妙な人ではあるが、彼とは気が合った。そ
家には今年17歳の老犬がいる。彼は人間でいうと70歳のおじいちゃんだ。名前は、チョコさん。よぼよぼである。そして17歳にもなっても、まったく日本語を理解できない。本当に残念だ。小学校後半のころにご近所からもらってきたチョコさん、もうすでに成犬となっていたチョコさんは、毎日私たち家族に人見知りしていた。脱走しては、元の家に帰ったりしていた。兄弟や母が恋しかったのであろう。今考えると悪いことをしたなあと思う。そして、全然吠えなかった。なつかないし、番犬もしない犬をうちの死んだ爺様
私にはさよちゃんという親友がいる、さよちゃんは色白でふんわりかわいらしく、中学時代から私を癒してくれる唯一無二の親友である。そんな彼女も3歳の息子と1歳の娘の母親である。相変わらず普段の彼女はふんわりとかわいらしいのだが、3歳の怪獣をコントロールする時に限ってはふんわりもしてられない。「ようすけ!手!洗いな!」「ようすけ!お菓子そんなに食べたらだめよ!」「ようすけ!蟻んこいじめたらダメだよ!いじめたらいじめかえされるよ!」降りかかる干渉のシャワーに3歳児はどのように反応するの
私の死んだ爺さんはよく鼻歌を歌っていた。普通の鼻歌なら問題ないのだが彼の鼻歌は盛り上がってくるとクレシェンドしてくる。クレシェンドした時の鼻歌はみんな爺様のほうを見て眉間にしわを寄せるほど迷惑極まりないものである。曲の内容は中国歌謡曲のような甲高い女の人が歌うようようなセンスのなさだ。それが森のくまさんだったら爺さんも嫌われずに済んだかもしれない。そんな爺さんも嫌われつつ厄介な鼻歌も聞くことができないのかと惜しまれつつ5年ほど前他界していった。最近私は自分が年をとったと感じる
母は生け花を習っている。もう20年以上習っていいるのでかなりの腕前らしい「らしい」というのも私にはさっぱり生け花の骨頂がわからないからだ。母は仕事をしながら3人の子供をそだててきた。仕事に家事に勤しむ少しの合間をぬって習得してきた。唯一の文化人らしい技術なのだ。それはそれは誇らしく、活けるたびに、その生け花の感想を家族全員に伺う。しかし伺ったところ「きれいだね」「よく活けね」と言うしかないのだ。そして母が求めているのはその答えではない「きれいだね」と答えたところで、彼女は「も