見出し画像

〝あなたの好き得意は何?〟を見つける共同作業

1 〝好き・得意は何?〟という投げかけ

いわゆる世間的な価値を重要な手掛かりとして自分の進む道を選んだとき、それが自分にとって快適な納得いく道になるとは限らない。違和感が出てくることはむしろよくあることだ。

”誰にでも自分だけの魅力や才能ある。””夢中になれるものがあるはず。”
”得意を仕事に。””好きをライフワークに。”
違和感が出てきたあとに自分探しを始めて自己啓発系情報を探るとき、必ずと言っていいほどこんな感じのフレーズを目にする。

こうした投げかけで、自分の得意好きを再発見して少しずつ形にしていく人がいる。そして自分のお気に入りの道を歩いていく。

一方、好き得意がない。人と違う才能なんてない。夢中になれるものが見つからないから困ってる。そういう人も結構いると思う。

この違いはどこからくるのだろうか?
なぜ好き得意が見つけられないだろうか?

2 磨かれないままの原石

小さい頃の私は得意も好きもあった。
が、それを遥かに超える苦痛があった。得意も好きも、そこにコミットする機会すら外から壊されるという苦痛。
大人になりそれなりの自分癒しはしてきたが、今も古傷が痛むことはあって、この癒しは生涯続けていくのだろうと思う。

支援の仕事をしてきて、たくさんの子どもやかつての子どもたちに会ってきた。彼らにもひとりひとり光るものや好きなものはひとり残らずある。間違いなくある、ということをいつも現場で再確認する。まさに原石。時に宝の山に見える笑。

同時に目の当たりにしてきたのは、育っていくうちに、彼らが自分の原石を少しずつ磨くことに集中するという作業から離れていく様子。家庭状況だったり、教育環境だったり、心理的状態だったり、様々なことが影響して、原石のままそこに残されたままになる。

虐待にあった、機能不全家族で育ったということに限らず、様々なタイミングで原石を見つけて充分に磨く機会がいままでなかった子供や大人がきっとたくさんいるんだろうな。いまの仕事を始める前からそんな風に想像していた。

その通りだった。

3 好き得意を育てる共同作業

誰にでも才能がある。本当にその通りだと思う。
原石を見つけて成長過程で伸ばしていくのは、子どもである本人と周りの大人の共同作業だ。

原石が磨かれて光ってきたときは、共同作業がうまくいったとき。あとは子どもは自分の中で光り始めた輝きを手掛かりに自分磨きに集中するようになる。最高の状態なら、そのときの世間的価値なんて気にせず、ただただ自分の中の宝物を育てることに熱中できると思う。

例え大きくて目立つものでなくても、自分の中から発見したものを、周りの大人と一緒に共同して育ててきた機会があれば、大人になってもその小さいけど確かなものを軸にして、また違う可能性を探る作業に自分ひとりで取り組むことが出来るだろう。

4 共同作業不足かも

子どもの自分と大人の共同作業不足は見えないところに傷を残す。

親のやりたかったことだけやらせてもらえた。世間的な王道を選ぶことで自分を保てていた。学校で評価されることだけに集中して、自分の気持ちをいつもうまくキャッチして表現できないままだった…などなど。

唯一無二の子どもが目の前にいるのに、周りの大人も自分も、親や周囲の目、世間体など別の何かに注意を注いでいくことで、その子どもの原石を磨くという共同作業はやったとしてもいびつなものになったり、そもそも足りないというこよになる。そうして、原石を見つけて大切に扱われるという経験が充分にないとき、心には傷が残ることがある。

いわゆる虐待といったことでなくても、どの家庭でも大なり小なり起こりがちなことだ。それほど、理想の共同作業というのは力加減が案外難しいと思う。

完璧な共同作業をするには様々な条件が整ったときだから、そういう星の元で育ったならラッキーというほかないかもしれない。
ただ、完璧じゃなくても、ある程度の共同作業が子どものときに出来ていれば、大人になって自分の中の可能性を探そうとしたとき、それはさほど難しいことではないと思う。

でも、探しているのに見当たらない見つからない、そもそもどうしていいかわからないという場合、この原石を見つけて育てるという子どもの自分と大人の共同作業が必要なときに不具合があって、その程度が大きいように思う。

4 大人の自分との共同作業

共同作業の不具合の程度が大きいとき、きっと心には傷がある。
原石を見つけてもらえなかった。一緒に磨いてもらえなかった。
傷が大きければ大きいほど、傷を負ったまま、得意や好きを追い求めること。それは、傷を無視して忘れようとする”傷からの逃走”の手段になってしまうから、やっぱりいずれ集中できなくなるかもしれない。

傷がある、あるかもしれない。
そう思ったらどうしたらいいだろう?

共同作業すべき子ども時代が過ぎて大人になった自分が出来ること。
それは、大人の自分との共同作業だ。

やることは二つ。
傷を癒すこと。
得意好きを見つけること。
二本立て。
この二つの作業を同時にやるか、傷を癒す方が先かは人と状況による。

昔の自分の気持ち、いまの自分の気持ち。自分の中の色んな自分と出会って向き合う。つまり自分とうまく付き合う。目を向けてもらえなかった、という自分の癒しにつながる。

自分に焦点を合わせて深掘りする機会を増やす。つまり自分オタクになる。未発見の原石が見つかるかもしれない。得意好きが隠れているかもしれない。

5 大人の特権 ~いつでも始められる~

子どもの頃大人に共同作業してもらえなかった自分は不幸だ。
大人になって自分で傷を癒して、好き得意も見つける。そんなにたくさんのこと自分一人でやるのなんて大変そう。

そう、とっても大変かもしれない。

でも、誰もが自分の中に原石を持っていて、それを見つけて磨くために集中しエネルギー注ぐ価値ある人だ。だからやる価値がある。
そして、大人な自分は、自分でそのことに気づいた瞬間から、自分の中で共同作業を始められるという特権がある。

私自身、大人の特権をずいぶん活用してきた。
そして、いまの私の仕事のメインは、子どもが原石を見つけて磨く共同作業を一番いい形で出来るよう支援すること、そういう環境に恵まれなかった大人が少しでも楽に自分の道を歩めるように支援することだ。

試行錯誤しつつ歩んできたこの支援の仕事の道は私の好きなことでもあるし、どちらかというと割と得意かもしれない…とようやく思えるこの頃なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?