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おばあちゃんの味から受け継いだもの

ちょっと後悔

年明けの職場。話題になったのはおふくろの味。

食いしん坊の私は、食べ物の話題に目がない。

年末年始にすっかり重くなった体を自覚しながら、
話だけなら太らない!と食べ物の話には遠慮なく首を突っ込む(笑)。

おふくろの味となると、もちろん通常は母の味ってことなのだが…
それは置いておいて、今回最終的に数人の間で話題になったのはおばあちゃんの味だった。

私の祖母は亡くなって7年以上経つ。 

祖母が作ってくれるものはなんでも好きだったのに、何一つ作り方を習わないままだった。

多少は母が祖母の味を受け継いでいるとは思うが、祖母の家は常にたくさんの人が出入りする家だったので、そもそも作る料理の種類や量が違っていたと思う。

私たち一家は祖母の家からは遠く離れて住んでいて、学校の長期休みにしか遊びに行けなかったから、何気ない日常でちょっと教えてもらうなんてことも出来なかった。

とはいえ、ここぞというところで頼んでいたら、おばあちゃんの味を教わる時間はあっただろう、とちょっと後悔。

なんでも思い立ったときに実行するって大事だなぁとつくづく思う。

笹団子の思い出

たくさん思い起こされる祖母の味の中でも
習っておけばよかったと思うものの筆頭が笹団子。

笹団子は新潟の名物。
餡子入りのよもぎのお団子を何枚かの笹で包んだものだ。

小さいころからよく食べていたので、私にとっては少し大きくなるまで、誰もが知っているであろうお団子だった。新潟付近の人にしか馴染みがない食べ物ということは後から知った。

祖母は元々アクティブで、よく動いていたころは自分でバイクに乗り山まで笹を取りにいって作ってくれた。

青い笹が手に入ってちょうど作るのに適した季節は私は祖母の家にいなかったから、いつも時期になると、たくさん作って宅急便で送ってきてくれた。
もしくは、笹団子を手土産に私たちの家まではるばる来てくれた。

毎回作り手である祖母のコメントつき。

今回は蒸すのがちょっとうまくいかなかったとか、いつもより甘くなったとか…
そこからいつも笹の取れる山や地域の様子まで話は広がっていった。

毎年口にするたびに、前回より甘くないな、とか、ちょっと硬めだなとか、一瞬思ったけれど、実はそんなことはどうでもよかった。

作りたての笹団子からする笹とよもぎの匂いが好きで、それをバナナの皮を剥くように笹を剥きながら中のお団子を頬張るのがとにかく嬉しくて、本当に楽しみだった。

しかも、私の家は常に緊張だらけだったけれど、みんなで笹団子を頬張るときの沈黙は安心の沈黙。
祖母が滞在しているときは、さすがの父も静か。緊張も和らいで笹団子も談義も楽しめた。

こういう、たまの安心があって、なんとか私は生き延びてこられたように思う。

こうして書いていると、笹団子の作り方を直接習わなかったのは残念だったけれど、私は笹団子を通して、味以外のたくさんの温かさと記憶を受け取っていたことに改めて気づく。

色んな記憶どれも大切

以前に、自分の中にある感性感覚は受け継がれてきているものも多いと書いた。

作り方こそ教わりそびれたけれど、笹団子そのものの美味しさも、手作りのものを通じた食べ物や人との交流の大切さも、笹団子を通じてたくさん教わった。

私の中に、目には見えないけれど、多くの温かい記憶が刻み込まれているんだと思う。

支援という仕事をしていると、どちらかというと、過去の辛い冷たい傷にフォーカスすることが多い。自分自身にある傷も含めて意識しやすい。

でも、時にはいい記憶をもっと確認してもいいなと思う。

私は虐待サバイバーで支援者なのだから、過去の辛さにいつもしっかり向き合わなくては…。

さほど意識せず、常に自分にそんなことを課していたかもしれない。

何事に対しても、向き合いたいとき、向き合ったほうがいいと思えるときに向き合えばいい。義務なんてない。

自分の生きるリズムを大事にしているなら、今の自分はどっちの気持ちを優先したほうがいいか、わかる。

これっていつも目の前の相談者に対して、私自身が話していることなんだけどなあ…。

他人には言って、自分自身ではなかなか実行出来てないことをまたひとつ発見してしまった。

支援者アルアル。

なんだか、今はこれ以上考えず、久しぶりに笹団子を頬張りたくなってきた。
もちろん、おばあちゃんに感謝しながら。
(実は先日デパ地下で笹団子を発見してしまったので、すぐにも入手可能(笑))。


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