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モノへのこだわりは自分感覚へのこだわり

1 片付けの難しさ

身の回りの片付けを少しずつ進めていくと、自分が過ごす空間が落ち着いたものになってくる。整理整頓の末に残ったモノに囲まれたとき、心地いい感覚はそのモノを通して満たされる。
着る服は肌触りがよくて、顔写りもよくて気分があがるし、毎日手にする道具たちは皆、馴染みがよくて、使うたびに安心感を覚える。

一方、片付けを続けていると、簡単な問題から難しい問題にチャレンジしていくように、だんだんとレベルアップして難しさを感じるようになる。
頭の中が??だらけで片付かなくなってくる…汗

これは本当に必要だろうか??
これは気にいらないのに何故とっておいてるのだろうか??
これは気に入っているのに、なぜ着ようと思わない??

モノを手にとった時の感覚を探って確かめる機会が増える。
自分の感覚に問いかけているのに明確な答えが返ってこないとき、それ以上片付けていくことへの難しさを感じる。

2 持ち物へのこだわりは自分の感覚へのこだわり

自分の持ちものは選りすぐりのお気に入りばかり。
そうするためには、自分の感覚を研ぎ澄ませて向き合う時間が必要だと思う。

自分の周りにお気に入りしかない人や、これさえあればオッケーというミニマリストは、自分の感覚と向き合う時間を大切に過ごしてきただろうと思う。

例えば、仕事をするときは唯一このペンだけ、というとき。
自分の手で持つペンは、見た目に美しいと思う色や形。持ったときの質感だったり、書いたときの書きごこちだったり、そのひとつひとつがまさに自分にとってベスト、とおそらく納得しているから、唯一お気に入りのペンとして選べている。

以前このペンで書いた文章がいまの成功のきっかけになったから、このペンは縁起が良くて、げんかつぎです、という場合もあるかもしれない。
それでも、そのペンを手にするときの、自分はラッキー、という自分の気持ちを大切にしたいからこそのこだわりだ。

結局のところ、ペンにこだわっている、というのは、そのペンを所持して使うときの自分の感覚にこだわっていることになる。

お気に入りのペンを見つけるまでには、きっと自分の感覚に充分に注意を向けている。私流に言えば、自分の内側にのめり込んで、自分オタクな時間を大切に過ごしているだろうと思う。

3 手帳にこだわる私

私はまだまだ自分オタク時間不足という自覚アリ。優柔不断なところも多くて、色んなことに対して、なんでもいい、どっちでもいい、ということが結構ある。

そんな私でも、ここ数年、日々使う手帳に関しては結構こだわってきた。

私は毎日のスケジュールを携帯に入れるのではなく、紙の手帳に書き込むのが好きなタイプ。自分にぴったりと思う既製の手帳は見当たらないので、数年前から市販を手帳を組み合わせてかなりカスタマイズしている。

表のカバーは手に取るときいつも触れて感覚を味わうことになる箇所だ。だから、こんな質感だけは避けたいとか、見た目で暗い印象を持ちたくない、とか、少なくともこれは避けたいというのはおのずと自分の中から湧いてきた。そうして今の手帳の表紙は、明るい色で汚れを落としやすい素材のものになった。

中身に関しても、いつも全体を見渡しておきたい私は、いっぺんに予定が確認出来ると安心するし、タスクを書き込むことで安心感が得られる。 だから、1か月の予定がザッと見渡せるよう月ごとのスケジュールを書き込み、かつ、日々のタスクを書き込む箇所をカスタマイズした。

こうして私は、手帳にこだわるというより、手帳を扱うときの自分の感覚にこだわっている。


4 片付けながら自分感覚を再発見する

私にとって、選択肢があるのに、なんでもいい、というときは、自分の感覚に関心があまり向いていなくて大切に扱えてないサインだ。
たまに、なんでもいいことを許せるゆとりが今自分の中にある、ということはある。でも前者のことのほうがやっぱり多い。

自分の感覚にいい加減な態度をとっているかなと思ったとき、自分の負担にならないところから、お気に入りのモノを見つけて、それまで使っていたモノと置き換えていくのがいいかもしれない。

片付けには自分の感覚をリセットさせる効果がある。
片付けることは、今までの持ち物に抱いていた馴染みの感覚をスイッチオフにする。そして、場合よっては断捨離して、自分が心地いいと思える別のモノに置き換えていくチャンス。モノを通して自分の感覚を再発見するチャンスだ

コロナ禍、多くの人にとって、まだまだひとりを大切に過ごす時間は続きそう。
そんな時には自分の身の回りのモノから始める感覚リセットをおすすめしたい。


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