心霊スポット紹介 言問橋
台東区と墨田区の区境に位置する言問橋。
心霊の詳しい怪異譚については下記リンク先を参考にして頂きたい。
東京大空襲の際に言問橋を渡り川の向こう側へと向かえば助かると思った人々が向かった先は火の海と化し、引き返そうとする人々と川の先に向かおうとする人々で言問橋がごった返していると、火災旋風が襲い掛かり焼死された方のご遺体で埋め尽くされたという。
言問橋は橋の改修工事が行われたが、親柱の改修工事が進んでいないために橋の上で焼死された方の血や脂が焼き付いているとされる。
そんな、陰惨な過去を抱える言問橋のいまを撮影してきた。
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戦災により亡くなられた方々の碑
台東区浅草七丁目一番
隅田公園のこの一帯は、昭和二十年三月十日の東京大空襲等によりて亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。
亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、"戦災だび"に付され東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。
戦後四十年、この不幸な出来事や忌わしい記憶も、年毎に薄れ、平和な繁栄のもとに忘れ去られようとしている。
いま、本区は、数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調製するとともに、この地に碑を建立した。
昭和六十一年三月
台東区
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言問橋の縁石
ここに置かれているコンクリート塊は、一九九二年言問橋の欄干(らんかん)を改修した際に、その基部の一部の縁石を切り取ったものです。一九四五年三月十日、東京大空襲のとき、言問橋は猛火に見舞われ、大勢の人が犠牲となりました。この縁石は、当時の痛ましい出来事の記念石として、ここに保存するものです。
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【まとめ】
東京大空襲の際の痛ましい傷痕が遺る言問橋。
人が多い
車も多い
心霊検証するなら人目を避けて夜中にするしかないという結末に至った。東京23区にある心霊スポットならではの問題かもしれない。
インスタグラムで過去にあげたが新宿の都立戸山公園で心霊検証を行った際にも、最初は明るい時間帯で撮影したが飲食禁止なはずなのに何故かカレーパーティーで賑わうカップルと家族連れが多く、人を避けて公園内を撮影するのが非常に困難なために二回目の検証の際は夜に行った過去がある。
しかし、霊は現る場合と警戒して現れない場合がある。そのあたりは確実とも言い切れないので、ひょっとしたらと思える事例があったが恐怖だと言い切れるレベルではないため、冷静に見極めてその場を後にしたのが東京の夜の心霊検証だった。
言問橋でじっくりと撮影はできなかったために、心霊現象ともいえる事例すら、付け加えていうなら急いでしまったので戦災で亡くなられたであろう御霊の存在ですら視認できなかった。
夜に行けば違うのかもしれないが、確信をもっていえる答えではない。タイミングが悪かったことだけは間違いのない事実かもしれない。いると思えばいたかもしれない、ただそれも思い込みによる錯覚といえば確実にいたらおかしいと思う場所にいたとは言い切れないため、やはり時と場を改めたほうが良さそうだという結末に至った。
最後になるが言問橋で旅立たれた方々が昇天され輪廻転生されていることを心の底から願うばかりだ。
END
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